何を楽観し、何を悲観するか?

ご本人の何倍ものご見解を開陳する学者先生も、たまにいらっしゃるが。

ま、あまり人のことを言っても藪蛇になりそう。

http://yohirai.asablo.jp/blog/2014/08/23/7420100

学者でも、最近の若い人たちは「5分」と言われたら無理矢理にでも話を5分でまとめる、というように、可哀想なくらい時間とか枠とかをはみだすことに臆病な生き方を仕込まれてしまっているところがあるように私には見えるのだけれど、あまり、そういう事情をご存じではないらしい。

(尺に収まるように話すのは一種の技術ですから、学者だろうがジャーナリストだろうが、コツをつかめばできます。難しいのは、限られた枠内で、単なる段取りではない何かを生み出すことだと思う。)

学者が「先生」として特異な存在感を発揮する、そういう中年や老人がいるほうが、かえっておおらかでいい、と思っておくくらいでないと、そういう人種があっという間に死滅して、「昔は良かった」と嘆くことになるであろう。それが私の、あまり当たって欲しくないけれども、当たってしまうのではないかと危惧している未来予想です。

淡々と時間が経過するだけで、特に何も面白いことが起きないと気づいたら、人はそっぽ向いて集まらなくなるわけだから……。

「ま、あまり人のことを言っても藪蛇になりそう。」(笑)