暦年と歴年

2つ書きたいことがあるのだけれど、まず、簡単なほうから。

私もさっきまで気づいていなくて、「れきねん」をかな漢字変換すると「暦年」という候補がまず出てくると思うのだが、どうやらこれは、暦の上での一年(の長さ)、を指す語であるらしく、シュトックハウゼンの Jahreslauf (英訳は The Course of the Years、年の歩み、くらいの意味だろうか)の邦題は、歴年、の字を使うことになっているようだ。

ややこしい。

暦・カレンダーは関係ないんですね。

こじつけ気味に深読みすると、暦とか元号とか、というのは、(今でもそうですが)貨幣とかと同じように統治の重要なアイテムですよね。元首や政体が変わると暦が変わったりする。

ドイツの民間作曲家ごときが、ニッポンの宮廷音楽をいじくって我が国の「暦」にいちゃもんをつける、などということになったら、それはなるほど、黙ってないぞ、といきり立つ方面があるかもしれぬが[奇しくも今回は、サントリーホールに歩いていけるので首相官邸の真裏に宿泊して、お巡りさんが24時間警備しているバリケードの横の道を出入りしておりましたが……]、ヤーレスラウフという作品に関しては、そういうことではないらしい。

(逆に、ニッポンにおける時の移ろいのとらえ方と、ニッポンの暦の関係、みたいな、いかにも「伝統」が関わってきそうな領域をシュトックハウゼンが一切無視したことに、初演当時カチンと来た人がいたのかもしれないが、そういう人は、一柳慧の作品の結末あたりの多彩な響きを眼前に広げる日本庭園風の「佇まい」を鑑賞すればいいわけだ。)

[我が家の周りはクマゼミしかいないので、先に東京で首相官邸の裏手の植木にミンミンゼミが鳴いているのがとても新鮮だったのですが、大阪へ戻ったら、ここ数日の涼しさでクマゼミが一掃されて、数匹のツクツクホウシが残るだけになっていた。こちらは季節のうつろい、ヤーレスツァイテンですね。ハイドンの鶏が鳴くやつ。]