劇場法って結局……

一連の話にアホな角度から混ぜ返されないための保険、確認に過ぎないのですが、

  • (1) 民主党政権時代に平田オリザが劇場法作りに奔走した。
  • (2) オリザの当初の目論見は、劇場に法的な定義を与えて、そのミッションを遂行するための予算が付いたり、そのミッションを遂行する責任者の設置が義務づけられる形を狙っていたのだが……、
  • (3) いきなりそんなこと言われても対応できない、現状維持でいきたい、という現場の声に応えるために、だったら、予算が付いて責任者がいるニュータイプと、現状維持と、劇場に種別を設けたらどうかという話が出て、
  • (4) そんなこといっても、劇場の種別は誰が決めるのか、うちはどっちに入るねん、あと、音楽ホールもお忘れなく!……みたいに議論百出して、
  • (5) そうこうするうちに民主党は中がゴタゴタして震災復興も原発も揉めてるし、TPPだ消費税だとグチャグチャになって、
  • (6) オリザの顔を立てつつ現状を大きく変えるわけではない骨抜き法案(劇場,音楽堂等の活性化に関する法律)が平成24年に国会を通ったものの、
  • (7) 同年末には自民党に政権が移って、今日に至る。

ということで合っているのだろうか。

そうして、わたくしたちに目に見える劇場法の「効果」としては、

平成24年前後から、文化庁の助成に「劇場・音楽堂等」という文言の入ったものが出現したことくらいだと認識しているのだが、どうなのでしょう。

(「平成24年度優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」とか、「平成26年度劇場・音楽堂等活性化事業」とか、そういう文言がプログラムの表紙に記載された催しものが、そういえば、あるなあ、というように。)

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ちなみに、「歴年」をやった先のサントリー芸術財団サマーフェスティバル2014は、「助成=芸術文化振興基金」となっている。どういう枠組みの助成なのか、ちゃんと調べたらわかるのでしょうが……。

で、そういえば、ここ数年「劇場・音楽堂等」という文言の入る助成をときどき見かけるな、とはっきり意識したのは、先日、コンヴィチュニーの日本での演出講座の歩みを調べたときだったのですが(→http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140810/p2 *ただし煩雑なので、それぞれの催し物がどういう「助成」を受けていたか、リストアップはしていない)、

もし、民主党政権があそこまでヘナチョコでなく続いていて、オリザが夢見る「芸術立国」の拠点としての「劇場・音楽堂等」が実現していたとしたら、創造活動の拠点を目指して新装開店した「劇場・音楽堂等」のどこかが、目玉人事としてペーター・コンヴィチュニーを芸術監督に招聘する、というのも、ありえたんですかね。

「コンヴィチュニーinジャパン」は、わずか5年の出来事でしたが、出発時点で夢見ることができたかもしれないことと、ひとまず終了となった現在の時点の光景は、結構、違っているかもしれませんねえ。

そして、しかしそれにもかかわらず、いまもまだ、「劇場法」こそがニッポンの劇場文化の救世主である、と考える政治勢力もしくは文化・芸術運動もしくは文化・芸術ビジネスというものが、存続していたりするのでしょうか?

私には、いまいち打てば響く感じではない「壁」があるのだとして、それは、「法律の網」で上から一挙にお悩み解決する案件ではなさそうに思えるのだけれど。

大阪の「都構想」の原型になる議論は100年くらい前からあって昨日今日の話じゃないみたいだし、新国(長らく第二国立劇場と呼ばれていた)は、欲しいと関係者が運動をはじめて半世紀でようやく実現したわけだから、政治は気の長い話。自分が生きている間に実現するかどうかも定かではない話になってしまうんじゃないのかなあ……。