オペラ演出家は「憧れの職業」になっていい

コンヴィチュニー・オペラ・アカデミー、終わりました。

まじめな感想を書こうかと思ったのですが、考え始めると、「演出の劇場」の総括とコンヴィチュニーの現在、というようなことだけでなく、オペラ史におけるヴェルディの位置、とか、日本のオペラ史の過去と未来、とか、びわ湖ホールはこれからどういう劇場になろうとするのか、とか、めちゃくちゃ大きく複雑な話になりそうなので、

とりあえず、最終発表会を最前列で観て、私は3回泣いた、ということでお茶を濁しておきたいと思います。

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第1幕は大丈夫だったのですが、

(ヴィオレッタの幕切れの長大なアリアで舞台をのたうち回る彼女と、客席で大騒ぎするアルフレードの対決は、なるほど、客席から舞台に「介入」しようとする読書家のアルフレード(でも指揮者が歌手の側に付いたことで敗色濃厚となって追い出される) というのは、オペラ演出家として歌手にあらゆる手を尽くして働きかけるコンヴィチュニー自身の戯画でもあるんだな、と、このシーンは、泣かされるより、むしろ「頭」に働きかける効果が強かった。あと、21世紀の日本のオペラ歌手が舞台上をのたうちまわって歌う姿は、そういうことをやろうとしてジャーナリズムから半殺しみたいな総攻撃を浴びた半世紀前の武智鉄二に見せてあげたかったなあ、今ではこういうことができるようになりました、あなたのやったことは決して無駄ではありませんでしたよ、と、これも「心に訴える」より前に、頭を捻った感じの感想を抱く。2014年のびわ湖ホールのリハーサル室が、1955年に創作歌劇公演をやった今はなき大阪三越劇場にタイムスリップしたかのように、私には思えた。床から煽りのスポットライトが歌手を狙う小劇場風の照明だったし。)

第2幕はジェルモンの娘(アルフレードの妹)が本当に幕の裏から出てきたところで泣いてしまった。コンヴィチュニーのこのプロダクション最大の飛び道具と言うべき箇所なので、公演前に「ネタバレ」を慎んだ方がいい箇所だと思いますが、やっぱりここで空気が変わって、おお、と思うともうダメでしたね。

でも、それは演出の力と言うのみならず、娘役(アカデミーの初回「蝶々夫人」では蝶々さんの息子を演じていたので、5回シリーズの最終回に初回へのオマージュが入ってることにもなった)の彼女の儚げなたたずまいとか、この娘役を幕の前に引っ張り出すジェルモンを歌ったのが、前回の「魔笛」で弁者を演じたびわ湖声楽アンサンブルのメンバーで、前回の弁者も、コンヴィチュニー演出ではタミーノの前に立ちはだかりながらも、彼と話すうちに教団のあり方に疑念を感じて、後半ではザラストロ批判の口火を切ることになるキーパーソンで、中間管理職の悲哀(笑)を感じさせる良い役だったんですよね。(毎回、アドリブで愚痴を言って客席の笑いを取るのが決まり事になっちゃって、本番では「やりたくてやってるんじゃないよ、なんでこんな演出なんだよ」みたいなギャグをコンヴィチュニーの目の前の立ち位置で見事に決めた。)1年経ってジェルモンで、それがまた、本当に大変な状況で Piangi! Piangi! をやけくそ気味に叫ぶのですから感慨深い。

そういう背景というか、サブストーリーがあったうえで、ヴィオレッタ2号(今回は1幕とこの2幕1場、そして2幕2場から3幕を分担するトリプル・キャスト)のお芝居と、あと、切羽詰まった状況にぴったり合う声質が決め手であったように思います(若干ビブラートが細かめで、悲しみ成分が多かったかな、とは思いますが)。舞台上の3人それぞれが存在を主張して空間が充実したうえに、あんな風にすっとこちらの懐に入ってくる声で歌われたら、私はダメだ。今回屈指の名場面ということにしたい。

そしてもう1回泣いてしまったのは、第3幕で「パリを離れて」のあと、決定的な発作が起きて、それでもヴィオレッタが生きようとして二重唱がマーチみたいになるところ。人が死ぬ過程で臨終の瞬間が一番悲しいとは限らない、というコンヴィチュニーの主張は、確かにリアルだと思うんですよ。演技プランとしても、ヴィオレッタ3号(失礼な呼び方ですみません!)は、抜け毛を隠すためにかぶっていた鬘を脱ぎ捨てて、床にはいつくばって歌うここが一番強く感情が出せるし、それほど複雑な段取りもなく、納得・共感して歌うことのできる箇所だったんじゃないかと思います。(コンヴィチュニーは、いつでも歌手に過大な要求をしているわけではなく、本当にここが大事だと見定めたところで歌手を解放する人だと思う。)

それに、うちの父親のときも、これはもう本当に危険だからということで深夜に病院に呼び出されて、気管にチューブを入れます、そうすると24時間麻酔で半分昏睡状態にして、話はできなくなるけどいいですね、って医者に言われた夜が一番苦しかったですからねえ。そのあと、最後に家族が父と話をする時間を作ってくれて……。父はその後1ヶ月近く集中治療室で頑張りましたが、それは、家族にとって、事実を緩やかに受け入れるための時間でした。

そんな記憶がよぎって、目の前のシーンと重なるのは、これはもうしょうがない。

ミメーシスとかカタルシスとかというのは、追い詰めていくと、こういうことになりますよねえ……。これはもう、わたくしにとって、抗いようのないシーンでございました。

そのあと客席を間接照明の優しい光で明るくしたなかでヴィオレッタが幕の向こうへ旅立つのは、気持ちを整理して終わりを受け止めて、100分間の濃密な舞台から現実の世界へ戻ってくるのに丁度良いプロセスに思えました。

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で、最後にもう一度泣いてしまったのは、カーテンコールでコンヴィチュニーが呼び出されたとき。ドラマ本編は、段取り全部わかってますから、ここで来るだろうなあと思って、それでも負けるものかと頑張る、みたいな感じがあり、それでも押し切られた箇所が2つ、ということでフェアプレイのゲームの勝敗みたいなものですが、全部終わったここで泣いてしまうのは不意打ちでございました。

カーテンコールも前日のゲネプロの前に、段取りを決めるだけでなく本番通りの動きをコンヴィチュニーが、歩く速度とかタイミングとか、「演出」してあったんですよね。で、ゲネプロはカーテンコールまでやったので、本番はこのシーンを観る3回目だったわけですけれど、本番のカーテンコールは、まず、アンニーナへの拍手が大きくて、ああ嬉しいことだ、やっぱり皆さん、よく観てらっしゃるなあ、とほっこりした気持ちになる。(今回はコンヴィチュニーですからアンニーナはめちゃくちゃ良い役で、しかもアンニーナ役の歌手さんは、稽古のときは常に観客席の最前列右端のピアノの前(つまり最短距離で舞台に上がることができる場所)を定位置にしてらっしゃいました。出番は短いけれども2幕、3幕ともに何度も呼ばれるので、10日間ずっと同じ舞台衣装でスタンバイして、なんだか、舞台の上でも下でも最も頼れる存在、「困ったときのアンニーナ、呼ばれたら、いつでもすぐに出てきます」な感じだったんですよね)。

アンニーナのカーテンコールのあと、ジェルモンは娘役と3人で出て、ここにコンヴィチュニーは可愛い演出をつけて、アルフレードの3人には「三大テノールのようなネタを自分たちで考えろ」と指示。カーテンコールに至るまで、今回のアルフレードは、スターというより、ヴィオレッタの引き立て役として「三枚目」扱いされておりました(笑)。一方ヴィオレッタに対しては、特に指示はなく、3人のヴィオレッタが自分たちのカーテンコール等々を普通にこなして、アルフレードの3人が、やはりここもコンヴィチュニーの指示でややコミカルなしぐさで指揮者とピアニストを舞台に呼んで、次がいよいよコンヴィチュニーの登場。そうしたら、3人のヴィオレッタがコンヴィチュニーのところへ駆け寄って舞台へ連れ出す動きが、ゲネプロのときとは見違えて素晴らしく生き生きして、心がこもっているように見えたんですよ。まあ、演技ではなく、心からそうした、ということで、もう「芝居」じゃないわけですけれども、そういう流れになったことに感動しちゃいました。

もし、こういう風になることまで計算してコンヴィチュニーがカーテンコールの段取りを決めていたんだとしたら、まんまとヤラれたことになりますが(笑)、演出家というのは恐ろしい生き物ですな。

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さて、そして今回で終了ということになったコンヴィチュニー・オペラ・アカデミーは、成り立ちとか今回に至る経緯とかを言い出すと、そこにも色々語り考えるべきあれこれがあると思いますけれども、少なくともコンヴィチュニーと彼をサポートした主催者側のブレることのない方針として、これは、日本では類例のない「オペラ演出家養成講座」の最初の試みだったんですよね。

最終回はトラヴィアータという大きな作品を取り上げて、歌手のみならず、指揮者とコレペティさんのピアノの負担が大きい作品ですし、合唱まで出演者の数も多い。さらに、舞台装置と照明(←照明が加わることでコーラスのシーンは印象が一変した、演出家はそのことも見越して動きをつけておかなきゃいけないんですね、稽古のベタの明かりでの見え方だけ考えていてはいけない)、衣装、小道具も色々そろえて(←歌手の動きが本番で変わるのは衣装を着けることによるテンションの変化も大きいと思う)、あれやこれやと、びわ湖ホールのポテンシャルを使い切る形になっていましたが(ホール側のサポート体勢は本公演と変わらないくらいのものになっていた)、それもこれも、すべては「演出家を育てるため」、こういう風にすれば結果はこうなる、という流れを全部包み隠さず見せるために用意されていたわけで、まあ、めちゃくちゃ贅沢な、現状で望みうる最高の環境だと思います。

演出受講生は、稽古と本番の間、助手として陰に日向に動き続けて、文字通りの実地研修をすることになりました。

で、実際に参加したメンバーは、ホール担当者さんのお話だと、このアカデミーを通じて、初回から今回まですべて一般募集でヤラセなしだったそうですが、特に今回は、既にプロの演出家への道を歩みはじめて、コンヴィチュニーのロンドンやウィーンでのトラヴィアータに助手として付いた経験のあるお二人がいて、彼らが、ツートップという感じで実務をまとめる形になっていました。

そのうちのお一人は、少なくとも私がみた回ではいつもコンヴィチュニーの脇について全体に目を配っていて、もう言ってしまっていいと思いますけれど、関西二期会の主要メンバーであるところの木川田家の三代目さん。そしてもうお一方、佐藤さんは初回に(から?)参加されて、先に出たコンヴィチュニー本の座談会にも出ていらっしゃいますが、既に学生時代からオペラ演出家を目指して動いていらっしゃったようで、最近は注目の若手という感じでお名前を拝見する機会がときどきありますし、ネットを検索すると、学生時代の母校の学生新聞のインタビュー記事が見つかったりします。(今は、ネット上に「人生」のログが半永久的に残る世代が社会人として活躍する時代なのですね。たぶん大丈夫だとは思いますけれど、おそらく同世代であるはずの早稲田の割烹着のあの人、みたいな感じにならないでくださいね、と願うばかり。ノーベル賞級とか、そんな煽りなしに、仕事を積み重ねてくださいませ。)

まあ、そんなことを言い出せば、今現在、日本のオペラ演出家として第一線で活躍していらっしゃる40代50代や、その上の戦後を引っ張ってきたパイオニアな感じの人たちだって、それぞれに、「オペラ演出家は一日にしてならず」という感じの来歴をお持ちでいらっしゃる場合が多いように思います。

コンヴィチュニーは、先日の平田オリザ、沼尻竜典との公開討論会で、「演出家は、系統だてて学ぶべきことがあるけれども、やはり、それだけではなれない。この人の言うことをきこう、と歌手に思わせるものをもっていなければならない」と言ってましたが、日本のオペラは、足りないものが色々ある、と言われ続けながら、足りないながらに、こういう人たちをみていると、なるべき人が立つべきポジションに立っていると思えないこともない。

結果的に、コンヴィチュニーの演出講座は、こういう場を設定すれば、ちゃんとそれにレスポンスできる人材が出てくる環境が今のニッポンにあったじゃないか、と確認する機会になった気がします。

そのうえで、次をどうするか。

「才能のある人間は、どんな環境でも出てくるものだ。やり方はどうであれ、出てきた人間にスポットライトを当てて、ちゃんと広報・宣伝さえしておけば、あとは勝手に育つだろう」

みたいなハードボイルドでいいのかどうか。

コンヴィチュニーの演出は、「演出というものは、舞台に出てきた人間に勝手に動いてもらって、そこへスポットライトを当てておけばいい、というようなもんじゃない」という強烈な意志と主張で観客に食い込んでくるわけですが、これを軽やかにスルーするか、それなりに受け止めてアクションを起こすか。でも、何かをやるとして、それは誰なのか? あとは我々自身の問題ってことになりそうですね。

(で、そこを具体的に考えようとすると、最初に書いたように、まあ話がいくらでも広がってしまいそうなので、今はここまで。)