ついでに書いておきますが、私は、別にコンヴィチュニーのオペラ観、演劇哲学みたいなものを取材しようと思ってアカデミーに参加しているつもりはないです。
もちろん、そういうようなものは了解しておかないと話についていけなくなるから、ちゃんと聞きますけど、一番知りたいのは、この人が何をどういう手順で組み立てているのか、という具体的な細部なんですよね。
それから、10日間というスケジュールがあらかじめ設定されているときに、何をどのタイミングでどれくらいまで作るのか。1回目に順番にやっていくときはどうで、もう一回戻ってきたときにどうなるか。あるいは、それぞれの段階で歌手の皆さんや助手についている演出の受講生さんたちはどういう風に動いているか。どんな風に場の空気が変わっていくか。問題が起きたときにどう切り抜けるか。指揮者さんやピアニストさんとの関係をどう構築して、どのタイミングで何がどう変わっていくか、とか、その流れを知りたいから、可能なかぎり最初から最後まで全部出る。
5日目の朝のセッションで「フローラの夜会」(と呼べばいいんですか)を作っていて、ヴィオレッタがアルフレードと鉢合わせして、バロンにエスコートされながら、ここへ来てしまったことを後悔するところが、何回やっても動きと音楽のタイミングがしっくり来なくて、やや稽古が膠着して、
それでも「もう一回やってみよう」となったとき、
所定の位置に戻るためにみんながざわざわ動いている隙に、コンヴィチュニーは指揮者にだけ小声(ドイツ語)で、音楽が入るタイミングをそれまでやっていたのとはワンテンポずらように指示したんですよね。
そうしたら、全部ぴったり合っちゃった。
ということは、ピアノも棒についてきて、それまでとは違うタイミングに、歌も全員当たり前のように合わせた(合唱もいた大きな場面です)。
で、一気に稽古が締まって、その先がスムーズに流れ出したんですよね。
みんなプロですから、もちろん、それくらいできる。そんなに難しいことをやったわけじゃないのだけれども、なんとなく惰性で緩んだ感じだったところに、電流が流れたみたいになって、全体がひとつの「マシン」としてスムーズに動き始めた印象でした。
こういうのがみたい。
わざとイレギュラーなパスを出して、反応を見たんだと思うんですよ。指揮者も共犯に巻き込んじゃって、ちょっとズルいんだけど、「よし、ついて来たな、これなら行ける」みたいな感じ。
以後、この場面の稽古が盛り上がりすぎて、3幕に入った午後は緩い空気になっちゃいましたけど、コンヴィチュニーは、こういう小技込みでテクニックを駆使して稽古をつけるから、人が付いてくるんだろうと思う。
(周りを振り回しすぎたかな、ちょっとバランスを崩したかな、という反省がその夜の夢につながった可能性があるのでは、と想像しないでもないけれど……。)
マネして誰もができるわけじゃないこういうのを目撃すると、何か得した気になりますよね。(なりませんか?)
カットがあろうがなかろうが、人生として、面白いじゃないすか。