黄色いオペラを卑下する黄色い人、そこに逆転の勝機を見いだす人

そういえば、能を見ない謡・仕舞の稽古人、プロの演奏を聴くのを億劫がる素人オーケストラ団員、オペラ公演に通わない声楽専攻学生、他人の舞台にあまり興味ない学校演劇部員、は多い。「やること」を楽しむ、凝るのも結構だが、良きホンモノを見聞きしない限り、究極において無意味なのではないか??

これは、なかなか良質のサンプルを採取できたような気がします(笑)。

そもそも、熱心なアマチュアの皆さんにこういう形で肘輝を食らわすのはどうなのか、ということもありますが、それはさておき、

能、オーケストラ、オペラ、演劇それぞれに、「やるだけ」の自己満足な人たちがいる、との趣旨だが、オペラだけ「声楽専攻学生」という制度上「プロの卵」な人たちなのは何故なのか?

日本人のやるオペラは、プロを名乗っているグループを含めて、すべて自己満足の素人芸、白人のやるものだけが本物のオペラ、という無意識の偏見というか、ご自分の思想がぽろっと出てもうてるで(笑)。

「オーケストラはいいけれど、黄色人種にオペラは無理だ」

とおもてるやろ(笑)。

声楽科の学生でまじめに勉強しないのは、シロウトさんのお稽古と違って、上に進めなくなるかもしれないリスクを承知でそうしているわけだから、その結果がダメなら落とせばいいし、それにもかかわらず素晴らしい結果を出せば通せばいい。それだけのことです。

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たとえば、

「マリア・カラスとグルベローヴァだけが“本物”で、日本に来るような歌手、日本人の歌手なんて聴いても無駄よ」

と信じて精進するオペラ歌手(の卵)がいたとする。

私は、それでは突き抜けられない壁があるんじゃないかと思うけど、でも、そんなオペラ歌手(の卵)の思いは、自分のキャリアパスとしてそんな生き方を選んでいるわけだから、シロウトさんの自己満足とは意味が違う。

むしろそれは、当人の意識としては「本物志向」なのだと思います。

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コンヴィチュニーは、先のびわ湖のアカデミーで、夫ハイダーの仲介でミュンヘンのグルベローヴァに会いに行ったが、一緒に仕事をするには至らなかった印象的なエピソードを披露していた。

グルベローヴァがウィーンで出会った師匠、ソプラノの Ruthilde Boesch は、ウィーンで戦後モーツァルトを熱心にやっていたグループの人であるらしい。ナチス協力せずに戦後占領下で指揮活動をすぐに再開できたクリップスらを中心に、「アンサンブル・オペラ」としてモーツァルトを復興する運動ですね。カール・ベームはちゃっかりここへ潜り込んだし、シュヴァルツコプフもここから出てきた。たぶん、二期会がモーツァルトをやるぞ、でスタートしたのは、こういう「古都ウィーン」の動向とどこかでリンクしていたのではないかと思います。

だから、日本のオペラ歌手がグルベローヴァのスタイルに共感するのは、オペラ歌手の系譜、筋目として正しすぎるくらい正しいと言えそうです。

でも、グルベローヴァは、きっとデビュー当時のモーツァルトが素晴らしかったのだろうと想像しますが、その後レパートリーを広げて、その過程で歌手としてのスタイルが「固定」して、そこで止まってしまいましたよね。他の追随を許さない高い水準ではあるけれど……。

マリア・カラスや最近のネトレプコも似たところがあるかもしれませんが、真面目なタイプの歌手が一挙にスターになると、しばしばこういうことが起きる。若い頃に身につけたものを「維持する」しかできなくなるみたいなんですよね。(たとえば福井敬にも、そういうところがありはしないか?)

こういうタイプは、しばしば後進の歌手の「お手本」になったりしますが、たぶんそれは、ある地点で「止まっている」から、お手本にしやすい、ということでもあると思う。

それでいいのか。その先の、次の扉を開くモチベーションはないのか、ということは思いますよね。

かつて小澤征爾が、目の前で生き生きと動いているバーンスタインやカラヤンを追いかけて自分も猛然と走ったのとは、意識の構えが随分違う。

(私は、若い歌手さんたちのすべてがこういうタイプの「本物志向」に凝り固まっているとは全く思っていませんし、こういうタイプの歌手さんだけに着目して、「だから日本のオペラ歌手は」式に物を言うのは悪質な印象操作だと思っていますが……。)

そして興味深いことに、この場合の、何をもって本物とみなすか、という判断は、最初に引用した「黄色いオペラはすべてニセモノ」と暗黙に言ってしまっているも同然のつぶやきや、そのつぶやきを何も考えずに拡散したりする人たちが想定する「本物」と、ほぼ同じものです。

実に「文学的」なドラマじゃないですか(笑)。

日本人のオペラを見ようとしない日本人オペラ歌手と、それを「勉強不足も甚だしい」と批判する野次馬日本人は、閉じた空間のなかで、実は話がぴったりかみ合ってしまっているわけです。

こういう状態を、タコツボと言うのよね。

こういう種類の「本物志向」は、東大の丸山眞男先生が「日本の思想」で嘆いたり、京大の竹内洋先生とその一党が教養主義の没落以後の廃墟に繁茂するキッチュな「亜インテリ」と呼ぶ現象のサンプルとして、格好のものかもしれませぬ。

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ただし、これはたぶん、単なる「自分探し」の話ではない。

「肌色」の憂鬱 - 近代日本の人種体験 (中公叢書)

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残念ながら『肌色の憂鬱』は明治から昭和まで、遠藤周作の話で終わっているので、そこから現在に至るところは、誰かがこれから書き継がなければなりません。遠藤周作は、西洋という「光」が射すことで「影」が出来る、という言い方をしていたようですが、北米で東アジア人音楽家が一定の役割を果たしている、という話の「影」の部分を見るのはこれから、なのでしょう。

例えば、日本のオペラのメイク、化粧がどのように変遷しているか。欧米の歌劇場に所属している日本や東アジアの歌手たちの場合はどうか? アフリカ系の人たちの場合はどうしているか?

北米の今どきの人文社会科学系音楽文化研究、いわゆる「新しい音楽学」の流れで、そういうことを調査するのはアリなんじゃないかしら。

そして80年代以後の「肌色」問題を語るときにYMOのような現象は必ず押さえておかねばならないと思われますが、日本企業が海外で絶好調だった時代に、「イエロー・マジック・オペラ・カンパニー」を誰かが作ってワールド・ツアーやっておいてくれたら、藤原義江が自分の歌劇団を連れて何度かアメリカ遠征に出た時代との比較ができて、面白かったのに、と思ったりします。(浅利慶太がスカラ座で蝶々夫人を演出した、という話だけでは、あまり広がりがなさそうですしねえ……。)

今からでも遅くない。コンヴィチュニーを誘って誰かやってみる?

(ディアギレフのバレエ・リュスがパリへ乗り込んで成功して、東京バレエ団はベジャールと組んでパリへ行ったわけだから、その路線でジャパンを打ち出すなら、ダンスのほうが話が早いですかね。ガードが固いオペラで突破口を開きたい、そんな話をもちかけたら、コンヴィチュニーは結構乗り気になるかも、と思いますけど……。

ウィーン国立歌劇場で、日本人歌手たちがコンヴィチュニー演出の魔笛を日本語の訳詞で上演できたら、面白そうじゃないですか。パパゲーノが「ボクも君と同じ人間さ」という台詞を日本語で言うの。)

[……というか、今ここまで書いてようやく気がつきましたが、

「ベジャールと組んで東京のバレエがパリへ行けたんだから、コンヴィチュニーと組めば日本のオペラだって」

というストーリーを思い描きそうな日本人興行師、具体的に思い当たりますよねえ。これではほとんど名指しに近いですが(笑)。ひょっとして、一連の流れがあの学校からスタートしたのは……。]