盤上ゲームを三次元にするとどうなるか、すごく面白そうなのだけれど、そういえば、4人でやる将棋がかつてはあった、みたいな話がありますよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
ホントなのかな、と思わないではないけれど、チェスがイスラム圏からヨーロッパへ伝わったのはチェスという言葉からも確かなようで、賢者ナータンの十字軍時代のエルサレムではスルタンの兄妹がのんびりチェスをやっている(笑)。
- 作者: レッシング,篠田英雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/08/05
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盤の次数を増やすのは、どこがどうなるか「想像」できるのだけれど、プレイヤーが増えると二次元の盤でもいきなり予測できない事態が多発しそうですね。
でも一方で麻雀のように、対戦ではなく、4人とか、もっと多い人数で安定しているゲームもあって、このあたりは、ベートーヴェンが最初の頃は弦楽三重奏を面白くできないかと色々やっていたんだけれど、やっぱり四重奏のほうがよさそうだと判断したのをちょっと思い出す。
2人で盤上で対戦するタイプはお互いが最適解を常に探し続けて、(実際には容易に収束しない局面でも)解が収束するポイントを必死に探すモードになるけれど、3人以上だと、考えたってわからないものはわからないから、運を天に任せる感じになるかなあ、と思ったりする。プレイヤーが増えると「賭け」に接近していきそうですね。
ただし、プレイヤーの数でゲームを分類するのは、すでに概略をゲームの理論が整理していて、わたしが知らんだけ。「高段者」の間ではおおよその話がついていそうな気もするが、いずれにしても、このあたりも、現状で周りを「文化」ががっちり固めているのが、ひとつ条件を変えると、いわゆる「理系」っぽく考えないといけなくなる通気口のひとつかもしれない。
和声を拡張するワーグナー以後の試みは盤の次数を増やすのに似ているが、対位法でテクスチュアを開くのは、プレイヤーの数を増やすのを連想させる。すごくおおざっぱに言うと、(プレイヤーの数を固定して)ゲームのフィールドの次元を増やすのは世界の神秘を解き明かす秘教的な世紀転換期の試みに似ていて(スクリャービンとかドビュッシーとか)、(ゲームのフィールドを固定して)プレイヤーが増えるのは戦間期の新古典主義に似ているかもしれない(ヒンデミットとか六人組とか、その先にホグウッドの古楽なんかが絡んでくる動き)。