大阪へ帰化、でどうか?

「こういう風に縦の線がビシっと揃って、音のバランスが整っていたら、東京では絶讃されるから見ていてごらん」

「ええっ、こんなに無表情なのに?!」

という会話が某日ザ・シンフォニーホールの終演後にあったわけだが、東京公演について、まさに、予想通りの人が予想通りの感想を発表した(笑)。

ちなみに、大阪公演と東京公演では合唱の編成が違っていて、ホールの構造も違うから、おそらく配置も同じではなかったんじゃないかと思う。

大阪公演では、大合唱がバルコニー席と舞台後方左右のひな壇を壁のように埋めて、ソプラノとアルトは、この巨大な舞台装置のような合唱に囲まれた場所で歌った。そしてこの配置が、最後の復活の歌では、まことに効果的でした。マーラーが、この場面で交響曲をオペラ(グランド・オペラ〜楽劇系統の陶酔的スペクタクルに観客を巻き込むタイプの)に変容させたかったんだな、ということを十分納得させてくれる結末だったと思います。ソプラノの安藤さんは、群衆を率いる女神という感じで、舞台的・視覚的な「中心人物」を見事に演じた。

飯森くんが今回はとにかくマジメ一筋で、ここまでオーケストラもひたすらガマンと忍耐の一時間だったのを、最後に歌と合唱が別世界へ引っ張っていった。これはアリだと私は思いました。

辛抱強い東北の皆さんと、スイッチが入ったらイテマエな関西人をうまくミックスした公演という風に言えるんじゃないでしょうか。

(飯森くん、東京の人たちってさあ、音楽家も周りの人も、今はなんだかみんな頭のネジの調整がおかしな感じになっちゃってるみたいだから、大阪へ帰化したほうがいいんじゃない? 快適な居場所が、きっと見つかると思うよ。

あんまり器用じゃない、とか、苦手なことがある、とか、そういうのは大した問題じゃない。性根の曲がったクズじゃなく、まっとうにやっていこうというのであれば、たぶん、関西人はキミを「人間」として迎え入れる用意がある。関西ってそういうとこやで。

ザ・カレッジオペラハウスの指揮者を退任して以来、久し振りに大阪音大の声楽科の人たちとの共演がかなって、そういう意味でもよかったじゃないですか。「再生」な感じ、あったと思う。)