政教一致の帝国

中国学の歩み―二十世紀のシノロジー (あじあブックス)

中国学の歩み―二十世紀のシノロジー (あじあブックス)

フランスの19世紀のシノロジーはデュルケムにせよマックス・ウェーバーにせよ、社会学の誕生にかなり影響を与えたんじゃないかという記述があって、なんとなく、ここが問題のキモのような気がしている。

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近代の定義は色々あるけれど、宗教を政治や学問と分ける、っていうのは、相当大きな決断だったんじゃないかと思う。

そして、一朝一夕にそれができたわけじゃないし、分けたからといって縁切りできたわけでもない痕跡が色々なところに残っているように思う。たとえば、哲学にとっても社会学にとっても、宗教の取り扱いは常に大きな課題であり続けていますよね。

そのことを否認すると、心のどこかに自覚的に取り扱うことができない様態で信念とかそういうのが棲みついてしまう。そういうやっかいさがあるんじゃないだろうか。

現代の日本人がしばしば口にする「好き」とか「嫌い」とかっていうのは、語の通常の用例を越えた何かを背負わされて大変なことになっているような気がするのだが、違うのか?

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で、日本の京大系シナ学もそういうところがあったらしいのだが、中国のことを考えようとすると、そこを分けるのが難しくなる。宗教と政治と学問を分けない文明があるということを近代の西洋人は意識せざるを得なかった、彼らはこの件をどう処理したか、とか、たぶん、そんな感じの話ですよね。

そして日本でも、分けたくない人が今も決して少なくない。で、抑圧しちゃってるもんだから、わけのわからんところにそれが発現する、とか、そういう見立てでどうか?

[追記]

  • 2012年 與那覇潤『「中国化」する日本』刊行
  • 201x年 中国学者A『政教一致の帝国』翻訳刊行
  • 202x年 日中関係が致命的な局面を迎え、中国学者Aは「売国奴」として大学の職を追われる。一方、與那覇を採用するか否かで東京大学教養部が揉めて、数人の教授が退職。
  • 203x年 中国学者Aは在野の中国ウォッチャーとして復活。與那覇は私学日本史教師の傍らで、名古屋の飲食店に文化の古層を探る『ナゴヤ・ドリンカー』が話題になる。(翌年には続編として『フクオカ・ドリンカー』『カナザワ・ドリンカー』が刊行され、それぞれ増田聡、輪島祐介に「はからずも飲食と音楽の関わりを探り当てる快著」と絶賛される。)
  • 203x年 『西洋と中国の出会い』翻訳刊行

仏教(インド、チベット)をめぐって過去20年に起きたのと同じようなことがこれから20年でシノロジーをめぐって起きるとしたらこんな感じか。その頃には社会学の景色も随分と変わっていよう。(與那覇潤=中沢新一、中国学者A=島田裕巳、ということで。)