見切りをつける対象

……ということで、既存の色々な枠組みをそのままできるだけ残してやっていくとしたら、ここまでに書いたようなことになると思うのだけれど、誰(どこ)に見切りをつけるか、他にもいくつか選択肢がありうることに気づいた。

「音楽の友」という雑誌は、もう忙しすぎて各地の公演の網羅的な批評の人の手配とかまでとてもまともに手が回る状態じゃないらしく、関西のことは何もわかっていないようなので(それは具体的なやりとりを通じてよくわかっている)、利用できる時にこっちの都合がいいように利用しちゃえばいい、というのもひとつの考え方ではある。

批評とか連載とか持ってる人間に関西の音楽団体が次から次へと原稿を依頼して、面白そうだから聴きに行ってみようか、という気にさせちゃえばいいわけだ。(昭和の時代じゃあるまいし、もちろん、アゴ足付きじゃなく、全部先方に自腹切ってもらいますよ。)で、ぐるぐる巻きに抱き込んで、彼等が自発的に関西のことを書こうという気にさせれば、それはむしろ、関西人の勝ちである、と(笑)。

編集部は裏で何が起きてるか、忙しすぎてわかりゃしないんで、今回みたいに、枠を押さえて原稿が出ることが決まってから、してやったり、と笑って見れてばいいわけですな。

原稿の中身は、しばしば、かなりしょうもなかったりするわけですが、東京のライターに「内容」なんて最初から期待しても無理である、ということでね(笑)。

[某加藤女史とかも、この秋は本当に調子が悪いのか、なんか冴えない感想しか書けてないし、「売れっ子」さんが忙しくて判断力が鈍っている今こそ、こっちが思うように操る絶好の機会かもしれませんのう。私は、他人をダマしてそのツケが返ってくるのは嫌なので、自分ではそんな駆け引き、絶対しないし、できないから、こうして全部書いちゃいますけどね。みんな恐ろしい綱渡りみたいなこと、よーやるなあ、と思うだけです。]

P. S. 曲は有名だけど、チャイコフスキーの4番はまとめにくい作品だと思う。演奏する人間が曲の勢いに巻き込まれて姿勢が崩れそうになるところがあるから、ブロムシュテット&N響みたいに絶対に計画した通りにレールを外れない、というの以外のところへ踏み出して、なおかつ一定の結果を得るのは並大抵のことではない。今回の大フィルは、伝え聞くところでは初日にあっちこっちほころびがあったようだが(複数の人からそう聞いた)、2日目、オーケストラ側がやばいところを自発的に補って指揮者を救うような関係になったんじゃないか。えらく落ち着いて着実に音楽が進んでいたから。ま、初日だけ来て東京へ戻ってから何か書く人は、好きに書いたらよろしいわ。