人文はしばしばドヤ顔で躓く

  • (1) 若田部先生は、新書で開口一番「経済学は役に立ちません」と言って、聞き手の栗原さんが「ええ!」とお約束にリアクションしていたんじゃなかったっけ? 株のトレンドを云々する投資家や経営者の自慢話を経済学者があれは経済学じゃない、と言うのは、漱石の「こころ」を道徳の本か何かのように読ませるのは文学じゃない(でも、そういう風潮に、我関せず、というわけにもいかない)のと同じではないかと思う。
  • (2) 売国奴はNGだ、そして買国奴もNGだ、というのは矛盾でも何でもない、ここでは売ると買うの対立が問題なのではなく、世の中には「売り買い」の領域に含めないほうがいいものがある、ということだろう。ナショナリズムはイデオロギーであって、それは経済の外部だ、という話なのではないか。半可通で間違っているかもしれないが、経済学が色々なモデルを作るときに「外部性」ということを言うのがそれではないか。ただし、「国」ではなく「政府」となると、これは経済のプレイヤーですね。でも「政府」もまた、「売り買い」の対象とはされない(売り買いしちゃったら、それは贈収賄という犯罪だ)。「政府」(国)は、通貨の発行とか金融政策とか、通常の個人・法人とは違う仕方で経済に介入してくる、というのが、経済学の基本モデルなんじゃないだろうか。そしてそれは、売国奴も買国奴も両方NGだ、という話と矛盾しない。(そして政府(国)がプロパガンダをエンタメという商品の形で市場に投入する件は、経済ではなくイデオロギー(としてそれが許されるのか)の問題だろう。)