おもてなし

古都のオーケストラ、世界へ! ──「オーケストラ・アンサンブル金沢」がひらく地方文化の未来

古都のオーケストラ、世界へ! ──「オーケストラ・アンサンブル金沢」がひらく地方文化の未来

日本初の常設室内オーケストラが金沢から世界へ発信します、のパブリックイメージは、ワールドワイドなネットワークにアクセスする高性能端末、軽量で機動力に優れたノートパソコン、SOHO = スモール・オフィス/ホーム・オフィス(もはや死語?)のような感じだと思うのだが、そしてその方向で記述がまとまっているわけだが、

90年代からゼロ年代のノートパソコンが通信インフラとか電源の確保とか、本気で持ち歩くには意外に重たい、とか、未来型の夢と現実のギャップがあったことを知っている人間としては、ほんまかいな、わたしたちの知ってる90年代ゼロ年代と少し違っているんじゃないか、と思わないでもないところもある。

(設立の立役者である岩城さんのキャリアとしては、名古屋や札幌やメルボルンで蓄積した、いわば「オーケストラの田中角栄」(必ずしも悪い意味だけではない)としてのノウハウの集大成であって、決してゼロから「新しいこと」をやったとは言えそうにないと思う反面、「ああ、これってアンサンブル金沢がやったことを他所がマネしたのか」とか「岩城さん、ここでやったことを他でもやろうとしていたんだな」と種明かしされた思いで読んだ箇所もある。

クラシック音楽の本は、天才神話の磁力が今も衰えていないということなのか、どうしても、特定の人や団体に焦点を当てて、そこで観察された特性を「個性・卓越・唯一無二」と持ち上げようとする傾向があり、この本も25周年の祝儀本なのでやっぱりこの話法から自由になりきれていない気がするのだけれど、実際にそこで起きていることは、他の都市や団体とのネットワークがどういうものなのか、そしてそのネットワークのなかでのこの団体の振る舞いの特性はどうなのか、という話にならざるを得ないんじゃないのかなあ、との思いが残る。

立ち上げの頃、記者会見は、まず金沢でやって翌日東京でやる二本立てだったという記述が出てきて、その二重帝国の住人みたいな振る舞いは、結構、大事なポイントなのではないかと思った。びわ湖ホールもそうだけど、これが、90年代に「地方の時代」を演出することに成功する秘訣であり、岩城さんやびわ湖時代の若杉さんはそのメイン・プレイヤーだったように思います。)

そのあたりに気をつけながら読みすすめると、どうやら、例のハーフの女子アナさんに先駆けて、金沢は「おもてなし」のブランディングに成功した街ということになっているらしいのが気になった。

宮様とか、百万石のお殿様とかを名誉職に据えて粗相のないクオリティで「おもてなし」を実現できる街なのだということが背景にあるんじゃないだろうか。

著者がどのように「おもてなし」を受けたのか受けなかったのか、そこはわからないけれど、私は、金沢というとそこかな、という気がする。ほぼ同じ時期に出来たセンチュリーとは、共通する時代背景がありながらも、別の街で別の歴史を歩んだ楽団。

(あと、一箇所だけ、地元の要請を岩城さんが巧みに「かわした」という表現があって、おそらく直し漏れなのだろうと思うけれど、やっぱり、この表現は、一度でも出てきたら、「ああ、やっぱりこの書き手はそういう意識なのね」って思われちゃうから、ミスったかもしれませんね。言われたほうからしたら、一度言われたら、はい、もうそれでわかりました、となるからね。差別の非対称性とはそういうものだ。)

[で、そういう風に金沢やびわ湖が動きだした同じ頃、東条センセは札幌PMFのなんやら委員でいらっしゃった、と、そういう世界情勢になるわけですね。←やっぱり最後はそこか(笑)。

でもこの本は、私には「平成音楽史」の最初の頁、「地方」の自発的な動きという風に見せながらも中央の知恵者が巧みに誘発・誘導することでガフの扉が開いたセカンドインパクトのお話であって、その事件の記録を、フェーズが終わりつつある現在の地点から振り返っている気持ちでしか今は読めそうにないです。]