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「すぐれて批評的、演劇的でありその重層性に舌を巻く」

https://twitter.com/MegumiMorioka/status/529982901476003840

「無機的行為の先に、太古の風景が立ちのぼるパラドックス」

http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/stage/141105/20141105034.html

ムツカシそうに見える単語を並べると完全武装したようで安心できる、というビョーキは、だいたい大学生が患うものだが、50歳近くになってからの症例は珍しい。

老いて騎士道に目覚めたドン・キホーテ……ではなく、「世の中がそっちへ動いているみたい、のりおくれちゃダメだ」とか、自分が持っていないものを他人が持っているとどんなことをしてでも手に入れたくなってしまう(というより、欲しいと思えばすぐに手に入れることができて、望めば何にでもなることができる私ってホントに素敵!)とか、消費者マインドが昂じた結果だと思うが、

生兵法は怪我のもと、という言葉を生まれて初めて使ってみようという気にさせてくれる。街中で「武器」を振り回すのは銃刀法の観点から考えても好ましいとは思われません。それがパッチモンだとしても。

(手っ取り早くない「自分の軸」を見つけるべきだ。あなたの愛する音楽堂は、音楽堂としてそれを見つけつつあるみたいじゃないですか。周りのあの人やこの人も、それぞれに「自分の軸」を持っていると思う。ここでちゃんと考えないと、あなたひとりだけが置いていかれちゃうよ。あるいは一生浮かび流され流れていくのだとしても、こっちへは行けないな、みたいのは自ずとあるはず。「じゅーそーせい」とか、そんな言葉が跋扈して、みんなの「舌」がぐるぐる「巻かれて」リボン結びに絡まっちゃって、まともに物が言えない世の中になるのが嬉しいですか? あなたはそれを望むのですか?)

参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20141105/p4