電波少年・橋下徹

[色々、追記あり]

[補足 → http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120730/p1 ]

西洋人はこう考えるであろう、こういう人たちであろう、と勝手に空想を膨らませたうえで、(1) だから私たちも見習おう、と従順になるのと、(2) でも私たちはそうじゃない、と反発するのは、コインの裏表みたいなもので同等に空しい。

「そんな絵に描いたような西洋人は実在しません」

ということで話が終わる。

政治家はかくあるべし、という、ものすごく高邁な理想論を掲げたうえで、今の政治家をそれに近い人として讃えるのと、理想との落差が酷すぎると文句をいうのも、同様に同じことで、空しい。

そんな絵に描いたように立派な政治家は実在しないし、そんな基準を設けたら、なり手がいなくなる。

偉そうなことを言うお前は誰やねん?という泥仕合のはじまりです(笑)。

(彼が市長をやっているのは、あなたがいずみホールの現代曲の選曲実務を全部負わされているのと同じで、とりあえず今はそんな面倒なことを押しつけられるお人好しが他に見つかっていない、というだけのことなんですよ。どこもかしこも大変なんです。^^;;)

片山杜秀の本(5)線量計と機関銃──ラジオ・カタヤマ【震災篇】

片山杜秀の本(5)線量計と機関銃──ラジオ・カタヤマ【震災篇】

やはり東日本の皆さまには、大阪の誰でも気楽にコメントできてしまうバラエティショウ相手にオノレの偉さを誇示する遊びでご満足されるのではなく、「中央」のことに取り組んでいただくのがいいんじゃないかと思うのです。

      • -

バカみたいな指摘だと言われるかもしれませんが、今の大阪の市長さんがテレビに出演していた頃の様子を弁護士バラエティでしか見ることのできなかった東京の人は、あの人が昔からあんな感じにものをいう人だった、という呼吸がよくわからなくて、それで過剰反応になるみたいですね。

彼が最初に出てきたのは弁護士団のひとりとしてだったけれども、そのあと、大阪ローカルでちょっとずつ他の番組にも出て、東京には配信されていない、やしきたかじんの番組の常連になったわけですね。

発言の脇が甘くて、ツッコミどころ満載なのはその頃から何も変わっていないし、彼の発言に対しては、視聴者だって同意していたわけではなく、それどころか、彼が出てくる番組で、彼の発言が主導権を握ったり、そのまま通るというような場面があったわけではない。見るからに素っ頓狂に浮いたところがあって、そこを他の出演者からツッコまれたりしながら、ワイワイガヤガヤと番組は進むのであって、視聴者が了解したのは、素っ頓狂なアンチャンだけれども、コマの一つとしてこういうのを置いておくと、番組が機能するなあ、回っていくなあ、ということであったように思います。

で、だったら試しに自治体という場でやらせてみたら何かが回っていくのではないか、と誰かが考えたのでしょう。

彼の「主張」が支持を集めたわけではなく(素朴に支持している人もいるのでしょうが)、彼を置くことでワアワアと賑やかになって「番組が成立する」ところが買われた、ということなのではないかと思います。

番組のために若手お笑いコンビをユーラシア大陸横断に派遣したり、女性タレントをアラファトに会いに行かせたりする「電波少年」というのがありましたし、海の向こうにはマイケル・ムーアとかもいますし、カメラ片手に街へ出て行って「アポ無し取材」という手法は、日本だけでないテレビのやり方のひとつとして、もう、おなじみですよね。

あれの大掛かりなのが、今、大阪府や大阪市で撮影&放映中である、ということなんじゃないでしょうか。

実際、知事や市長になってからの「キャラ」は、テレビの中にいたときと同じだし、松村邦洋や松本明子が、タレントとしての「キャラ」のままでズカズカどこでも入っていくから「アポ無し」が面白いのと同じ意味で、橋下徹が、大阪ローカル番組でやってるのと同じキャラで首長をやっているから、ああ、やってるなあ、とそんな感じだと思います。

      • -

こんなことを言うと、タレントを政治家にするなんて大阪は民度が低い、とかの意見がすぐに出てきますが、それは、大阪をバカにしているという以上に、タレントなりテレビなりのスキルや演出力を舐めているのではないかと思います。

テレビが、「番組」を成立させるためだったらどこまでもやる狂気を秘めた装置に育ってしまっていることは、既に周知のことじゃないですか。

そして、政治が巧妙にテレビを利用する、というのと、テレビが政治を巧妙に利用することの境目はほとんどなくなっていると見ていいのではないか。

「維新」とか何とか、彼らの主張がどうこうという話ではなく、番組作りの手法、一歩ずつステップアップしてブラウン管の外側を巻き込んでいく手法として先進的である、という言い方ができるかもしれない事態が進行しているんじゃないか、という気がします。

大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーへのメディア史

大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーへのメディア史

政治と宣伝が統合されていくプロセスは100年以上の歴史があってこうなっているわけだし、複雑になりすぎている統治機構には、「サルにでもできる」状態に透明にマニュアル化して回していかないと立ちゆかないところがあるんじゃないか、とも思う。

この部分は、誰がやっても同じにできるようにマニュアル化して自動化しちゃおう、この部分は、予備知識なしに手を突っ込まれると収拾がつかなくなるから、面倒でも「取扱注意」の但し書きをつけておこう、というような仕分けをするうえで、どこへでもズカズカ入ってくる「電波少年」的キャラクターは使い勝手がいい。

エンタテインメントの世界では、それはもう常識といっていいんじゃないでしょうか?

サルまん サルでも描けるまんが教室 21世紀愛蔵版 上巻 (BIG SPIRITS COMICS)

サルまん サルでも描けるまんが教室 21世紀愛蔵版 上巻 (BIG SPIRITS COMICS)

サルまん サルでも描けるまんが教室 21世紀愛蔵版 下巻 (BIG SPIRITS COMICS)

サルまん サルでも描けるまんが教室 21世紀愛蔵版 下巻 (BIG SPIRITS COMICS)

      • -

そして「アポ無し」の「ガチ」だと言っても、やっぱり番組として、演出として成立する範囲というのがあるわけで、よく観察してみると、市長の彼も、額としてはたいしたことないのに話題になりそうな分野を狙い撃ちしてるじゃないですか。

文化・藝術というのは、いかにも真っ先に狙われそうな分野だし、やっぱりそこへ来たか、というようなものなのではないか。

本当に「アポ無し」が来ちゃったので、それぞれの団体さんが頑張って対応しなければいけないことになって、被害を先送りできそうなところ、難しそうなところ、まだよくわからないところ、と明暗はわかれていますが、どっちにしても、テレビですから、ひととおりやり尽くして、旬が過ぎたら収まるんじゃないですか。

閑古鳥の鳴く店を番組で行列店に変身させる、というのも、ひと頃よくある企画でしたが、「テレビ的」にはお客さんがたくさん入る絵が撮れたけれど、結局その先は続かなかった、みたいな話も聞きますし、身の丈にあったつきあいかたをすることが肝要なんですよね。

      • -

市長さん本人だけでなく、一般の方でも、ちょっと気に入らないことがあったときに「○○はファンの心がわかっていない」という橋下な口ぶりを反射的に使う、という動きがあるようですが、子供が流行もののアニメや何かの口真似をしているようなものですから仕方がない。

(大植英次という特撮ヒーローものみたいな番組が終了してがっかりしているところに、4月クールから「電波少年・橋下徹 藝術・文化編」がスタートして、子供たちがそっちへ乗り換えつつある、ということなのでしょう。「夏休み文楽特集」も盛況なようですし。)

親戚の子供をみていても、「こんなにアニメにはまって大丈夫なのか、アホの子になってしまうんじゃないか」と心配になる年頃がありますけれども、たいていそれは一過性で、そのうち、普通に中学生・高校生になっていくようですから……。

そして、高飛車な言い方をするにせよ、優しく言うにせよ、自治体にお金がなくて、抜本的なV字回復、というのはどうやら無理みたいなので、ワアワア言いながら、その状況に慣れていくしかないのでしょう。

総論で頭ごなしに(PTAが「俗悪番組」を封殺したがるように)言っても埒が明かないことは歴史が証明しているので、各論で覚悟を決めて、言うべきことをワアワア言えばいいんじゃないですか。

そうおっしゃられても、これは無理です、というところはその都度ビシャリと言えばいいのだし。

上方文化講座 曾根崎心中

上方文化講座 曾根崎心中

初演の一人遣いがどういうものだったか、興味のある人は読むといい。何かのタイミングでフレームアップしようと市長さんが狙っているに違いない大阪市大の業績です。

曾根崎心中は、どの道オリジナルを一人遣いでやるわけじゃないし、たくさんの太夫さんを舞台に上げたい現在の人材育成の都合上、最後は人海戦術なのでしょうから、色々好きなことを言いあえばいいんじゃないですか。

作品の来歴で昭和30年の改作だけを言うのも不充分で、そのまえに、歌舞伎で扇雀(現・藤十郎)の「新しい女形」の爆発的なヒットというのがあり、文楽になったのは、それに便乗したようなところもあったのでしょうか。脚本はどちらも宇野信夫だし。歌舞伎の台本は宇野信夫、文楽は野澤松之輔の脚色・節付けによる復曲。上の本には近松のオリジナルと文楽の現行台本の両方が収録されています。(当時は、「赤い陣羽織」や「夫婦善哉」を人形浄瑠璃でやったり、文楽は他ジャンルの流行ものを次々取り込んでいました。)文楽としての曾根崎心中はその程度の新しい(若い)演目。タカラヅカのピンク色のパリより、さらに歴史は浅いです。

浄瑠璃を読もう

浄瑠璃を読もう

タイミングよく、こういう本も出ました。読めば「仮名手本忠臣蔵」のお軽のファンになること必至。

大忠臣蔵 [DVD]

大忠臣蔵 [DVD]

そしてお軽おもしろいじゃん、と思った人が観るなら、数ある忠臣蔵映画のなかでも、これがわかりやすいと思います。

      • -

結局、「橋下知事・市長」というのは、現在闘病中の大阪の視聴率男やしきたかじんが仕掛けた、いかにも彼ならやりそうな壮大な「新番組」だと思うのです。

そして、橋下の顔と声を正面から受け止めようとすると、何と申しましょうか、人を苛立たせるところのあるキャラクターですけれども、「演出:やしきたかじん」だと思えば、大阪の人だったら彼のことを知らない人はいないし、腹もたたないでしょう。そしてどのあたりに地雷があって、どう対処したら機嫌良く物事が進むのか、だいたいわかるはず。たぶん、そこを手がかりにするといいんじゃないか、橋下を直接相手にする、という風に考えない方がいいんじゃないか、という気がします。

そんなことに気付いたからといって、何になるのか、よくわからないところはありますが。

(で、やしきたかじんとは何者なのか、というのが、知らない人に説明するのがとても難しい案件なのかもしれないのですが、東京の方で、大阪のあの市長のことが気になって仕方のない人は、むしろ、まず、たかじんって誰、というところからはじめるといいんじゃないでしょうか?)