2014年にもなって渡辺裕と三浦雅士。選ばれたことが学者として「前途有望」の意味になるのであろうか(反語)。
拾っておくべきトピックを一覧して破綻なくまとめた印象があって、ひとつひとつのトピックを掘り下げていくと大変なことになるはず。この人はどこへ向かっていくのか、ということまではわからなくて、そういう意味では「最初の一歩」。課程博士というのはこういうことなんだろうなあ、と読んだときに思った本なので、サントリー学芸賞は、へえ、そこまで持ち上げるのか、と驚いた。
- 作者: 長門洋平
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2014/01/23
- メディア: 単行本
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他にこれというものがない、という年度賞の相対評価と、「聴覚文化論」とか「文化資源学」とか言っている手前、推しておきたい、という渡辺裕の思惑の合わせ技なのではないか。
最近のインスタレーション系の造形芸術とか、演劇・映画とか、すぐれたものは、そこらの作曲家・音楽家よりはるかに「耳のいい人」がやっていることが多い印象がある。
そういう人たちに向かって、「音の専門家」と本当に胸を張って言えるのか。
そして、(一昔前の映画批評風の言葉遣いで言えば)著者は溝口健二を耳のいい映画作家であると断言する覚悟があるのか。作曲のことがよくわからない人だったらしいけど、そんなことはどーでもいい話として。
[この本は、「論文」としてまとめる関係上、そういうケンカの強そうな感じを一切出さずに書いたのかもしれないけれど……。]
端的に言って、好きなこと書く佐々木敦がかすむような強力な光源が欲しいわけじゃないですか。強力で長持ちするLEDみたいな人材が出てくる場所、という設定にしましょうよ。ご隠居の茶飲み話のようなことでなく。
「身の毛がよだつ」とか、そんな語彙が脳内を支配している状態で審査をするのは、東大教授にあるまじき反知性主義だと思う(笑)。溝口健二をそういう語彙に脳内が支配された状態で見聞きしていらっしゃるのだとしたら、それは通俗というものだと思うし。
ジメジメした日本的情念の映画と思われているものを音響という角度から切ったら全く違う断面が見えた。そういう風にスパっと割り切れていれば、成功して賞賛に値する「学芸」なのだろうし、そこまですっきり学問の刃が通っているわけではないけれど、このボリュームがあれば努力賞以上であり得るかもしれない。選者はいったいどのように判断したのか、はっきりせい。人前で学問の内輪の事情ばっかりグチグチ言うな。そういう単純な話なのではないのだろうか。
評論家が学者の「学芸」度を評価する、という独特のスタンスの賞なので、学問として突き抜けている、とか、批評として突き抜けている、という場合は、学芸賞の圏外になることがあるようですしね。賞というのは、概してそういうもの。共同体の年中行事なのだろうけれど。テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書)
- 作者: 伊藤剛
- 出版社/メーカー: 講談社
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