音楽家の科学知識

音楽家の教養のなかでも、文学や隣接諸芸術について音楽家たちがどんな知識・関心をもっていたのか、それから音楽家の宗教観というようなことは調べるのが当たり前になっているように思う。

歌や芝居の仕事をしたり、教会で仕事をする人が多かったのだから、順当な調査ということになるかと思う。

音楽家がロマン主義に感染する経路は文学を参照しないと説明できないし、19世紀には音楽家たちが自らたくさん文章を発表するようになっているし……。

磯山センセが、バッハ研究でそういうのに先鞭をつけようとして、バッハの蔵書に関する研究書をまだちゃんと読んでないのに美学会の発表で引用しちゃった事件、というのもありましたが(笑)、そういう多少のドタバタがありながらも、「文化史としての音楽史」路線は軌道に乗った感じがある。

モーツァルト (作曲家・人と作品シリーズ)

モーツァルト (作曲家・人と作品シリーズ)

たとえば、もう出てから9年ですが、音楽之友社のこのシリーズだと、モーツァルトの伝記のなかで、18世紀のフリーメイソンとは何だったのか、ということも、ひとつの節を割いて説明してある。

結局、アンシャン・レジーム末期のヨーロッパの社会上層に教会とか宮廷とか職業とかを横断する社交サークルの需要が潜在的にあって、そこにうまくはまったみたい。

ウィーンで流行したのは、ヨーゼフ2世が事実上解禁(マリア・テレジアの禁止令を撤回)したあと、ロッジの統廃合という形での締め付けに方針転換するまでの数年間であるらしい。モーツァルトがフリーメイソンに嵌まった1784-1785年はウィーンでの最盛期らしいので、モーツァルトに定見があったというより、世間の流れに乗っただけっぽいですね。熱心ではあったらしいけれど……。

このあたりを統計データ付きで説明してもらえると、「魔笛」の今から見るとつっこみどころ満点なザラストロの教団をどう考えたら良いかの手がかりにもなる。

宗教めかした儀式性や、現体制から離反しそうな思想・政治のメッセージが見え隠れするけれど、たぶんそういう大問題よりも、目の前の人間関係、人付き合いがフリーメイソンの魅力だったのでしょう。

人間は、青春の誇大妄想で頭のなかがいっぱいになったその先で、多少生活が安定してくると、今度は反対に、セカイのスコープをフェイス・トゥ・フェイスの範囲に絞りたいお年頃になる。成功者たちが、その地位を安定化させようとして協定を結ぶわけだ(笑)。

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でも、音楽家は、本当にこんな風に「人文・ヒューマニティーズ」にどっぷり浸かって、まことに「人間臭い」だけの生き方をしていたのかどうか?

ロココは「自然美」を発見した、とか、心という「内なる自然」と外界の「外なる自然」の関係が問題になった、とか、雑駁にそんな風な説明がなされたりしますが、自然史と自然哲学が一挙に厳密で強力になった時代なのだから、そういう「理系」方面の知識だって持たなかったはずはないですよね。

ゲーテは典型的にそういうユニヴァーサル志向な人だったらしいし、音楽家に身近なところでは、楽器がどんどん改良されていくのは、自然科学と産業技術のわかりやすい成果ですもんね。

19世紀の楽譜が精密になるのは、頭脳労働の「音楽の建築家」の地位を確保した作曲家たちが、正確な設計図を必要とするようになったように見える。

ピアノという楽器は当時の「ハイテク」だった、という渡辺裕センセの音楽機械論は、だったらベートーヴェンはそのような「ハイテク」についてどれくらいの知識をもっていたのか、という方向へ探索を進めてもいいのかもしれない。

それから半世紀すると、サン=サーンスみたいに自分で天文学や博物学に手を出す人まで出てくるわけじゃないですか。

世紀末の芸術・思想にエルンスト・マッハがインパクトを与えた話は比較的よく出てくるわけですけれど(廣松渉は若かりし頃にマッハをいくつか訳しているんですね、さっき初めて知りました、インテリ左翼とニューサイエンスの絆はマッハに始まる、それが「科学的社会主義」ということか?)、でも、ここで唐突にアートが「理系色」を強めたわけではなさそうな気がします。

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出

息子ペーターの回想録によると、バルトークは蓄音機とか鉱石ラジオとか、そういうものの「しくみ」を息子に詳しく教えたがったらしい。

オームの法則とか知ってたんじゃないかと思うし、だとしたら、ゲオルク・オームが音色を倍音の組み合わせだろうと推論したことや、ヘルムホルツの、人間の耳は周波数の違いを検知できる構造になってるんじゃないか説とか、概略は知っていそうですよね。フィボナッチ数列の黄金比にご執心だったくらいだし。

ワーグナー以後の七色のオーケストラとそのあたりの知識は絡み合っていたのだろうし、ワーグナーの息子ジークフリートがバイロイトの舞台照明を研究したり、音楽家の知識の重心は、どんどん、ただの人文・ヒューマニティーズじゃないところへ移っているように思います。

「文化史」の流れで20世紀の音楽を眺めると、人間臭いイデオロギーズに音楽家たちがまみれていく姿が見えてくるわけですけれど、そしてそういう風な人間臭さを詳細に調べ上げるのがニュー・ミュージコロジーだったりCSだったのかなあと思うのですが、音楽家は、ホントにそこまでバカだったのか、「ミュージシャンもリスナーも、ボクもキミも、アナタもワタシも、みんな同じ人間さ、人類は皆兄弟、それが音楽の奏でるハーモニー」だったのか、即断せずに確認しておいたほうがいい領域が残っているような気がしますね。

20世紀のニューメディアが登場した当初は、しくみの概略くらいはわかっていないと手を出せなかったはずですし、メディア論でもなんでも、ユーザ目線に引き寄せすぎると、逆にわからなくなることがあるかもしれない。

マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術 (モード・ジャズの原点を探る)

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ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実[新装改訂版] (スピリチュアルな音楽の創作過程)

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そんなことを考えていくと、「モダン・ジャズはやっぱり偉かった」論にたどりついてしまいそうで、岡田暁生の延命に手を貸してしまいそうなのは痛し痒しなのですけれど(笑)。

(コルトレーンの訳本の2006年音楽之友社版の担当は、現在アルテスの鈴木氏だったんですね。)