学術を商品化したい人

ドラマと方言の新しい関係: 『カーネーション』から『八重の桜』、そして『あまちゃん』へ

ドラマと方言の新しい関係: 『カーネーション』から『八重の桜』、そして『あまちゃん』へ

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20141118/p2

↑で書いた金水先生の本の続報だが(リンクを張り間違えていたのを直しました)、

「役割語」という概念を「言葉のコスプレ」とみなして、商品化して売り出すことに積極的なのは日大の田中という人なのだということがわかった。(収録されているこの人の発表は文献調べがちょっと雑だ。)

金水先生は、オモシロに走るのはヤバい、というマトモな判断力があって、横浜や満州の中国人のピジンの手堅い調査に向かった。

「役割語」業界(?)は、どうやら、そういう構図になっているようだ。

コレモ日本語アルカ?――異人のことばが生まれるとき (そうだったんだ!日本語)

コレモ日本語アルカ?――異人のことばが生まれるとき (そうだったんだ!日本語)

中国人によるピジン日本語(○○アルヨ)の探索だけでなく、大陸に進出した日本人(日本兵)のピジン中国語が抗日映画などで一種の「役割語」になっていることの紹介もあって、これは骨のある議論に発展しそうです。

「カタコト歌謡」も、日本人によるカタコト英語等の話まで視野を広げると人類学的な展望が開けるのかも。日本の歌手による「カタコト・ドイツリート」や「カタコト・イタリアオペラ」も既に随分歴史と蓄積がありますよね。

日本人のカタコト英語であれ、外国人のカタコト日本語であれ、それを享受するのはもっぱら日本人である、という内向きの話で終わるんだったら面白雑学ですよね。