分析美学

の入門書なるものを本屋でちょっと立ち読みしたが、これって要するに、感性や芸術を語る言葉についての分厚いマニュアル、言葉というツールを使いこなすための注意点を事細かにまとめた説明書みたいなものなんでしょう。

こういうものがあれば、ちょうどセンター試験がマニュアル通りに行われる「仕事」であるのと同様に、感性や芸術を語る行為を「仕事化」できて、人材を一般職として普通に求人できるようになるはずだ、という、いかにも会社社会っぽいスタンスを感じました。

ただしそうだとしたら、気をつけなければいけないのは、この手のマニュアル化の前提として、現実に運用されている言語をこのようにモデル化できるはずだ、論理的な操作に適したこのような記号体系に置き換えることができるはずだ、という「発見的」なツールのはずだと思うんですよ。

システムの組み立てが、

現実の言語運用 → そこから抽出された記号体系

という方向になっているはず。

そしてその記号体系を論理的に操作することで何らかの未知の結論が導かれたとしても、その知見の評価は、現実の言語運用と照合して検証されねばならないはずだ。

分析美学なるものの運用で得られた知見は、現実(の言語運用)に対して、「規範的」に働きかけることはできないはずだし、そのように現実世界で作用している様々な「規範」や「理念」や「行動」にコミットするのではなく、その手前の作業なんだろうと思います。

スマートな記号体系に習熟することで、現実世界へのコミットメントが円滑になったり効率的になることはあるかもしれないけれど、現実世界で仲間を集めて何か行動しよう、とかいうときに、「分析美学ではこうなんだから、お前らみんな従え」みたいな言い方はできないはずです。

なのに、どういうわけか、若くて行動力や野心に満ちあふれた人たちが、みんな自ら進んで分析哲学に群がった。

それが過去20年くらいの光景ですよね。

それは、若者たちが自ら進んで去勢手術の列に並んでいるかのようでもあり、スコラ哲学っぽいと部外者が言うのは、この「去勢感」のせいだと思うのですが、まだやるの?