音楽分析とTPP:「JA化」する音楽学

「ポピュラー音楽や諸民族の音楽は、コンテクスト込みの固有性を尊重すべき文化であって、音楽・音響そのものを分析することは意味がない。」

という議論は、TPPで非関税障壁を撤廃すると、日本の文化である「コメ」が滅びる、という昔の自民党+農協に似ている。

たぶん今の農家は、そういうのとは違うところで動いているんじゃないかと思うし、経済学(若田部先生とか)が、そういう話じゃないよ、と言うのと同じような意味合いで、音楽学は、音楽・音響の分析という方法を堂々と必要に応じて使えばよろしい。「コメ」を滅ぼしてしまうような分析は、分析の対象の設定や方法が悪いに過ぎず、そこから一足飛びに「分析という態度自体が不適切」の結論にはなり得ない。

日本音楽や諸民族の音楽の研究は今では実演と研究がどんどん近くなっていて、今更、「音楽そのものは扱えない」という幼稚な神秘化はできなさそう。残党の多くはポピュラー音楽研究に流れて来ているのではないだろうか。ポピュラー音楽研究は、「JA化」したモダン民俗学と、脱「JA化」した普通の音楽研究に分派するかもしれないね。

そして切羽詰まったポピュラー音楽研究のキリギリスさんが、「ポピュラー音楽としてのクラシック音楽」ということで一夜の宿を頼みに来たときに、西洋音楽研究のアリさんが、わかりました、と言ってくれるかどうか、それは何ともいえないよね。