前衛とアメリカニズム

以前は、音楽史で20世紀の前衛・実験を紹介すると、学生さんが構える感じが多少はあったように思うのだけれど(難しいけど大義があったのだろうvs難しくて理解できない)、今年は、こちらの説明の仕方が多少変化したせいもあるのか、ダイレクトに「面白い」という反応と「これは酷い」が真っ二つに分かれた。

「これは酷い」というリアクションにはこちらが応答しなければいけない、とあれこれ考えたのだが、

結局、20世紀の前衛はいわゆるアメリカニズム(機械文明の権化)への危機感によるアレルギー反応と見れば、うまくいきそうな気がしている。第一次大戦で心神喪失状態のところにアメリカさんが入ってきたことで、知識人たちはブチギレて、常人にはわけのわからないことをわめくようになった。彼らは、そうせざるを得なかった。攻撃は最大の防御、で20世紀に乗りだそうとしたわけですね。保守であれ前衛であれ……。

(ゴダールも、アメリカは嫌いだと露骨に言いますもんね。その話題になると「史上最大の困ったチャン」であるところのアドルノと大して変わらない。それがヨーロッパのインテリのプライドみたいなものなのでしょう(だったのでしょう)。)

で、21世紀になって、ヨーロッパさんが随分おとなしい(ように見せて上手に自分の立ち位置を見つけようとしている)感じになると、今度はイスラムだロシアだ中国だ、ということになってきた。

音楽史の20世紀は、そろそろこれくらい大づかみに21世紀との関係で整理しなおしていいのかもしれない。