コンクリートのモダニズム、電気信号のモダニズム

[門井慶喜] 建築の仕事って江戸時代までは究極の実学、体力仕事で、頭でっかちな人にはできなかったはずなんですけれども、昭和になるとコンクリートという画期的な建材が実用化されます。コンクリートは要するに粘土みたいなもので、物理法則に逆らわない限り、どんな建物でも建てられる。頭だけで作ったイメージも楽に具現化できちゃうんです。(154頁)

ぼくらの近代建築デラックス!

ぼくらの近代建築デラックス!

ここで言われているコンクリートと建築のモダニズムの関係は大事なところで、コンクリートみたいな建材が実用化されたからこそ、「意識とは意識された存在である」とか、「近代とは近代的であることが決定的に重要になった時代である」とか、「社会学とは社会の自意識だ」とか、そういう頭でっかちにぐるぐる回る状態が実現するということだと思います。

(鉄筋コンクリートのお城がある大阪で太平洋戦争末期にコンクリートの軍艦「武智丸」を設計した技術者の息子が、劇界の風雲児・武智鉄二だ。)

大久保くん、ここ、試験にでるから、よく復習しておくように(笑)。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20141225/p1

聴覚文化でコンクリートに相当するのが、広い意味での電子音楽、電圧の変位を物理的な振動に変換する技術なのだろうと思う。

Ryuichi Sakamoto Selections:Electronic M (commmons:schola)

Ryuichi Sakamoto Selections:Electronic M (commmons:schola)

NHKのスコラで「電子音楽」の括りでテルミンなどの電気楽器から磁気テープの編集、スタジオ録音のノウハウまでを扱っていたときに、坂本龍一も小沼純一も、「これは今までだれも聴いたことのない音だったのです」という言い方をしていたけれど、冷静に考えると、「今まで聴いたことのない音を初めて聴く」という体験は色々なところにある。ヴァイオリン属やサクソルン属の音色が統一された合奏(つまりバロック・古典派の室内楽や19世紀の金管バンド)だって、あるいは、強弱を一音ごとに変化させることのできる鍵盤楽器(ピアノ)だって、それぞれの時代の「初めての体験」だったし、ヘルムホルツの本をぱらぱらめくると、音響学の仮説を検証するための様々な器具(頭で考えた仮説を「聴いて確かめる」ための装置)が紹介されている。

音感覚論

音感覚論

アマゾンで注文してもなかなか届かないなあと思っていたら、先日、梅田の紀ノ国屋に1冊置いてあったのでアマゾンをキャンセルしてその場で購入。

「誰も聴いたことのない音」を作り出す試みは比較的ありふれているのだけれど、ヘルムホルツの19世紀後半ですら大変な手間のかかる「土方仕事」だった。しかし電圧変位を操作する技術が実用化されたことで、頭に思い描くとおりに音を鳴らすことができそうな気がしてきた。本当に全能なわけではないのだけれども、あたかも「意のまま、思うがまま」であるかのようなイメージを電子音楽が流布させた。

(川崎さんご自身は、日頃のご研究でそれだけではない電子音楽の諸々を追いかけていらっしゃると思いますが。)

コンクリートや電圧変位の操作といった技術と、結果として生まれる作品の物珍しさをつなぐことで、「意のまま、思うがまま」の循環が動き出した。その状態を指して、20世紀の人々は、これがモダニズムだと言った。

そういうことではなかろうかと思います。