相対 relative ということ

相対主義(そうたいしゅぎ、英:relativism、独:Relativismus、仏:relativisme)は、経験ないし文化の構成要素やそれに対する物の見方が、その他の複数の要素や見方と相対的関係(is relative to)すなわち相互依存関係(is dependent on)にあるという考え方である。

相対主義 - Wikipedia

relative ということが話題になっているのだから、これは他我や複数の対象に「関係 relation」を想定できる事例の話だよね。

なお、しばしば、「文化や価値観は全て平等である」という平等主義や、「自己の文化や価値観を他人に押し付けてはならない」という寛容主義に相対主義という名前が付されることもあるが、ここではこれらを厳密に区別する。

相対主義 - Wikipedia

相対を relative の訳語として使用するのであれば、平等や寛容と区別しないと混乱するよね。

その意味で、relativism は「関係主義」と訳しておいたほうがよかったのかもしれない。relativism が相対主義として提唱されたときには、「絶対主義」や「中華思想」への対案を見つけた嬉しさが先に立って、relation を想定できない複数の個物が相[あい)対する事例にまで考えが及ばなかった、ということだろうか。

万物が関係しうるものなのかどうか、ヒトのやることはどこかに必ず共約成分があると言えるのかどうか、どちらとも判断しかねると言うしかないのにね。

[食い物の美味い不味いがその土地への偏見に発展しかねない、というような事案は、relation が見つかる見つからないに関わりなく生じるから、むしろ、寛容・不寛容の問題なのだろう。少し考えれば気づきそうなものではあるが。]