喜捨と司祭

貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生

貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生

訳者は巻末に解説のかわりに長大なピーター・ブラウン論を載せていて、七転八倒しながら、とばっちりでポール・ヴェーヌの上で紹介した本までもが「許しがたい」とdisられてしまう。なんだか、文体や思考の歩みが大久保賢先生そっくりで微笑ましいのだけれど、それはともかく、

ローマ教会の発展を歴史として語るときには、富める者の喜捨(そして貧しき者への慈善)という、それ自体は様々な社会文化にありそうな行為のキリスト教における位置づけが鍵になるらしい。

そして「喜捨→慈善」という回路の拠点としての教会、その担い手としての司祭がクローズアップされる。

なるほどこういう風に説明されると、私たちが漠然とイメージするカトリックの原点はここか、と思えてきますね。(レ・ミゼラブル冒頭の神父さんの燭台と食器のエピソードとか。)

プロテスタントの聖書/勤勉との違いもはっきりする。

もちろんまだ、それを手がかりにすることで理解の最初の一歩を踏み出すことができそうな図式を得た、ということに過ぎませんが。

(カトリックに関して、私が部外者として一番よくわからないのは神秘と苦痛(身体)の位置づけです。秘教 esoteric が苦手で、究極の易行かもしれない念仏に流れる異教徒なもので……。この点は、おそらく、ローマ教会の成立史とは別の方面からアプローチしたほうがいいのでしょう。)