追記:「人文系になり損なった大学人」

愚劣な話題は、考えているうちにどんどん気分が悪くなるので簡単な追記で打ち止めにするが、

「人文系大学人(またはそのなり損ない)」という文言は、下のエントリーのように「人文系」という限定を外して考える解釈とは別に、

人文系大学院を出て、なおかつ大学人になれた者のなかに、「人文系」(とは、しかしそもそも何なのか?)をまっとうできている人(「人文系大学人」)と、まっとうできていない人(「そのなり損ない」)がいる

という狭い狭い区別(ほぼ差別)を言い表している、という解釈があり得るかもしれないと思い至った。

こうなると、もう、大学内部のぐちゃぐちゃした人間関係の闇への入り口なので、好きにしてくれ、である。

そしてここまで狭い話になると、双方が実名で個人や団体を特定する形で議論・相互啓発して個別に問題を解決したほうがいいと思う。

「○○大学教員であるわたくし某は、××氏のこのような発言もしくは行為をかくかくしかじかの理由で不適切もしくは不当もしくは錯誤であると考える」

と問題提起して、当事者間でしかるべく対処すればよろしい。

匿名が横行するソーシャルな場で陰湿に憂さ晴らしをして片付く話じゃないと思う。

そういうことをしていると、管理者が「そのような陰湿な場は丸ごと廃棄してしまおう」と言い出しても、世間は、まあしょうがないだろうなあ、という反応になろう。

市立大学が市長の修士号請求を不可判定した、という興味深い事例があるらしく、闇に潜るのではなく、大学が大学らしさを回復する道がないわけではないようですから……。

(ちなみに、私は十年以上前に大阪大学共通教育機構というところの授業を2年だけ担当させてもらって、学長名義で賞を授けるというので本部までもらいにいったりしたが、この講義枠のその後の取り扱いにしても、学長名義で授かった賞なるものについてのその後のフォローについても、不可解なことが細々と起きたので、大阪大学の教員集団は、学問の府としての名声・業績がどうであるかとは別の話として、相当に面倒くさい「職場」なのであろうと思ったことであった。

しかし私自身が経験したことが、どのような枠組みで一般化しうる「問題」なのか、さっぱりわからんので、この件はそのまま放置している。

私個人にとって、「阪大は嫌なことが色々起きる場所であったなあ」という漠然とした記憶の一部を構成しているが、さしあたり、これは私個人の感慨に過ぎぬ。)