民間の「企業」に倣うvs民間の「大学」に倣う

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130227/244292/

こんな記事が注目されたりしているようですが、

考えてみたら、大学人がしばしば反発するとされている「大学はもっと民間を見習うべきだ」のスローガンは、

大学経営を民間企業経営と同じ発想でやるべきだ、の意味に解釈されるから、「そんなのは無茶苦茶だ」と反論されるわけですよね。

そして、この反論は比較的たやすいので、この手のアホなスローガンは、もはや、大学人が反論を思うがままに投げつけることのできる「ネタ」化している気配すらある。(「政治の力で最後は押し切られてしまうかもしれないが、たとえ敗北したとしても正義は我にあり!」みたいな感じに、財界人が何か言うと大学人がワラワラと周囲を取り囲む光景が日日繰り広げられておる。)

でも、日本にも他の国にも、既にたくさん、「民間の大学」というのがあるわけだ。

「大学はもっと民間を見習うべきだ」というスローガンは、だったらこれからは国立大学も私立大学に頭を垂れて、見習うべきをどんどん見習っていきましょう、となれば、民間さんにとっても大学さんにとっても、さほど悪い話ではないんじゃないか。

賛否両論あるだろうことはわかるけれども、理念というか目標設定として、国立大学が私立大学化を自ら積極的に目指すのじゃ、となれば、行政との交渉とかだって違った風になりそうですよね。経営権を個々の大学が握る理由づけも簡単になる(独立経営を目指すのだから)等々……。

で、私立がフォローできない「公共的ななにか」だけ国立に残す、ということが本当に完遂できたらどうなるか、想像するのは、ちょっと面白いかもしれない。

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今は、大学の主力が国立であることを前提に、私立大学は国立から「人材」(←経営の話をしているのだから堂々とこの言葉使いますよ(笑))をスカウトするべく、定年を国立大よりあとに伸ばしているわけですよね。そしてこの慣行は、一種の「天下り」っぽいものになっている。

でも、大学の主力は私立であって、しかも、独立経営で水準を維持するためには、教員(←人材だ)の新陳代謝をよくしたい、となったら、若手を高報酬で持っておくほうがよさそうだから、定年がどんどん若くなるかもしれない。

そして私立大学定年後の「第二の人生」を国立大学で過ごすのが普通になるかもしれない。

これは、

「余生は、多少給料が安かったり、公人としての縛りがきつかったとしても、世のために働きましょう」

であって、こういう振る舞いが、「天から下る」ではない、「天へ下る」の意味で、「天下り」と呼ばれるようになる

……とか。

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実は音楽では、既にこれと似たことが起きていますよね。小澤征爾は私立音大に学んで、ボストンで民間のオーケストラを長年監督したあとで、ほぼ「第二の人生」として、ウィーンとか松本市とか水戸市とか京都市とかで公的な立場の仕事をやるようになった。

小澤征爾を育てて、外国へ送り出す立役者であった吉田秀和も、民間の文筆業を長年やって、最後に水戸市のアートセンターの館長になった。

考えてみれば、阪大が国立大学で最初の音楽・演劇学の講座を設置したときには、関西大学から山崎正和を呼び、関西学院から谷村晃を呼んだわけで、民間で暴れていた人たちが「第二の人生」として任官した感じがあったように思います。

たぶん他の分野でも、「戦後社会」が「成熟」とか「柔らか」を言い出した時期には、多少似たことが起きていたんじゃないでしょうか。(山崎先生自身がそういう風潮のオピニオンリーダーだったわけだが。)

90年代以後の大学改革は、「本来の大学の姿」を歪める外圧であるかのような見方が大学内部には結構あって、わたくし自身もそんな感じに思ってきましたが、

落ち着いて考え直すと、確かに迷走したところはあったけれど(博士量産政策だけが突出して、彼らの多くが失業者同然になっちゃった、とかね)、でも大筋では、民営化=私学化の方向へ動きつつある今日この頃だったりするんじゃないだろうか。

「財界人」なる人たちが「民間を見習え」ゆうてきたら、「民間」の語を脳内で「私立大学」と置換してから、対応を考えたらよろしいねん。それだけで、応対にかなり余裕ができるんとちゃいますかね。

(もちろんその際には、「私立大学=マスプロ営利主義」みたいな、全共闘全盛時代の古い私学像をアップデートして、今の私学がどうなってるか、国立大学のセンセ方にわかっておいてもらわんならん、ということにもなるのでしょうが。)