現在形の消滅

https://twitter.com/smasuda/status/576395733504421888

もし「戦争」という語をこのような意味で用いるのが適切なのだとしたら、今現在は既に戦争状態であることになると思うのだが(実際今ウクライナやアラブは戦争してるし、日本のジャーナリストや「元首相」である鳩の人が巻き込まれたりしてるじゃん)、

それにもかかわらずこの文章が「……だろう」という未来予想の時制で綴られているのは何故か。

この文章で定義されている戦争状態においては、「今は戦争状態である」と現在形で綴ることに自己規制が働くのだ、というようなことを、この文章は含意しているのだろうか。

つまり、

明示的には

「○○だけがピンポイントで弾圧されるだろう」

と未来予測を語ることによって、実際には、

「現在形の断定という話法全般が、既に弾圧されるまでもなく消滅している」

ということが露呈する。

あるいは、そのような

現在形の断定全般の抑圧こそが戦争なのだ

ということになるのだろうか。

(なんともポモっぽい、ねじくりまがったお話でありまして、上のリンク先の話者は、あたかも「大文字のなんちゃら」という例のアレをリバイバル上演しているかのようだが……。)

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もしそうだとしたら、問題はむしろ、「戦争とはどのような状態であるか」ではなく、「何が話者に断定と現在形を禁じているか」、抑圧の源を探り当てることではないか。

「原因を探り、語る行為は御法度である」というエンドユーザーの抑圧は、何によってもたらされるのか。

(現在のものは現在へ、未来のものは未来へ。そして働き盛りの中年の未来が、変形した現在で埋め尽くされることがありませんように。)

[↑罵りでも呪いでもなく、強いて言えば祈りです……といちいち断ったほうがいいのかな(笑)]

その時初めて、津波がすぐそこまで来たということを知ったわけ。現場にいると、見えないんです。マンションが衝立になっているから。見ていたら、生きていないからね。

「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11

当事者は現在形で語れない、は、「新事態」ではない。

今何かが進行しつつあるときには、概してそうなるものです。

「公文書に「新事態」などという珍奇な文言を盛り込むことには断固反対である」

と現在形で断言すれば十分だ。

一万人のフォロワーとともに、私は現在形のない詩的言語でユートピアを生きるのです、というのであれば、他人がそれを止める権利はないが。