制度いじりは革命ではない

上のエントリーを踏まえて考えるとしたら、

既存のしくみとして人間社会でうごめいている諸々の制度 institution をいじくり回すだけでは、それらをダイジェスト方式(パンデクテン方式)で総覧したときに見えてくる社会全体に「革命」が起きるわけじゃないので、制度いじりに過剰な期待を掛けるのは迷妄である、と言えるかもしれない。

決して、役人さん・事務職さん・サラリーマンさんを貶めるつもりはないが、

制度いじりだけで世界が変わるかのように思ってしまうのは、失礼ながら、役人・事務職・サラリーマンの哀しい「制度的 institutional」な発想の限界を露呈していると言わざるを得ないかもしれない。

それは、revolution(神の定めとしての正しい円環運動へと人間社会を軌道修正すること)でもなければ、restration(復古・維新=古い伝統へ引き戻すこと)でもなく、

強いて言えば、誰がその地域に「王」として君臨するか、王様の首をすげ替える中国風の易姓革命のミニチュアっぽいかもしれないが、世の中の人の動きへの手入れとしては、せいぜいできることは、修復(repairとかメンテナンス)なんじゃないか。

都市の修復を住民の既存の自生的な活動にゆだねるか、「民間」と呼ばれているけれどもその実体は「王様の取り巻き・お気に入り」であるところの人脈・出入り業者に全部丸投げしてしまうのか。今出ているアイデアは、かなり荒っぽい二択で、どちらか選べと言われても、どっちもイマイチっぽいから困るわけですよね。

大阪を「都」にすれば革命を起こせるぞ、と息巻いている人たちの帰趨が争点であるらしいこの春の選挙と投票は、そのあたりを考えながら応対した方がよさげ、ですな。