体系と制度:usus modernus pandectarum

modern に相当するラテン語 modernus は比較的若い言葉であるらしいと知り、現状の肯定というか、「昨今、当節」を特定の時代として切り出すという発想自体が、近世とか近代に特有であると言わざるを得ないのかなあ、と思ったりする。

でも、「他人を思い遣りましょう」風の相対主義で、「過去を現在の基準で裁いてはならない」一本槍ではやっていられないので、よほど強力な代案に帰依するのでないかぎり、今ここでこうして生きてる私たちの都合や事情はどうなるんですか、と、modern/modernus を言い募ることをやめるわけにはいかないだろうなあ、とも思う。

(「現在」が「未来」(の革命)のために奉仕すべきであったり、「過去」(の神話的世界)によって我々が生かされていたり、あるいは、世界は輪廻・循環しているので、現し身は儚い、とか、いきなりそっちの世界観を採用するから従えと言われても、急には無理だ。)

で、modernus の用例を探していたら、ヨーロッパの法制史に usus modernus pandectarum という言い回しがあることを知る。

「パンデクテン方式を今使う」

というような意味でしょうか。ローマ法に倣って法整備がなされた近世の状況を指すらしい。

Der Name dieser Epoche entstammt dem Titel des Werks Specimen usus moderni pandectarum (1690–92) von Samuel Stryk, einem Hauptvertreter dieser Stilrichtung.

Usus modernus pandectarum – Wikipedia

pandectae(日本ではドイツ語風に「パンデクテン方式」と呼ぶらしい)は、最初に総則として抽象的・一般的な規則・法則を立てて、そこから個別・具体的な細則へ進む形式を指すようだ。「日本の民法もパンデクテン方式である」と説明したりするらしい。

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話は、東ローマ帝国ユスティニアヌス帝の Corpus Iuris Civilis (市民法大全)に遡る。

これが今日「ローマ法」と呼ばれているわけだが、実際には、

  • (a) 皇帝の定めた法令=勅法 codex constitutionum

だけじゃなく、

  • (b) 過去の法学者たちによる学説の要約=ダイジェスト(digesta のギリシャ語が pandectae であるらしい)

と、

  • (c) ガイウスの著作を採用したとされる手引き institutiones

も広義の「ローマ法」に含めて考えるらしい。

そして(b)と(c)の編纂方式の違いから派生して、ローマ法を下敷きにして作成されたとされるヨーロッパの大陸系の法律は、

pandectae 方式(総則から細則へ)

vs

institutiones 方式(人・場所などによる分類)

の二系統がある、と整理できたりするらしい。

(ドイツ帝国に学んだ日本の民法は pandectae 方式で堅苦しいが、フランスの民法は institutiones 方式だから読みやすい、と言われたりするようだ。)

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だからどうした、という話だが、

pandectae が modernus にも息づいている、という話以上に、

pandectae (ダイジェスト)と対比すると、institution (制度)という言葉の輪郭がくっきりするとわかったのが嬉しい。

institution の訳語には「制度・慣習・施設」などが並ぶが、人間社会にはいろいろな活動があり、様々な設備・施設がそれぞれの使い方やルールを設けている。これはもう、既成事実として稼働してしまっているので、いきなり「総論」から説き起こすのではなく、順番に説明していきましょう、という論法・話法が institutional ということであるようだ。

典型的には役人さんや事務職さんは institutional に働いているわけで、だから、大学などでも、ここはこうして……という風に教員の「先生方」にご説明申し上げざるを得ないのだと思うのだが、

そうすると、「先生方」、なかでも、物事を総論から説き起こしたい気質の方々が、次第に苛立ちを募らせて、怒り狂ったりするわけですな(笑)。

新年度、桜が散る季節の風物詩。

(ドイツ音楽の総則はかくかくしかじかである、と論じる先生に向かって、「そうはいっても、劇場では institutional にこういうことがまかり通っておりまっせ」と進言すると、先生が不機嫌になっちゃったり、とか……。)