『聞こえくる過去』

聞こえくる過去

聞こえくる過去

未だに腰を据えてじっくり読む時間がないのだけれど、先日、あらすじを駆け足でたどるようにページを繰っただけでも、技法 technique と技術 technology の語を使い分けるアクロバティックな議論とか、レコードを「缶詰」と呼ぶ発想の背景ということなのだと思うけれど、防腐剤の登場が死の観念を変えたであろうところまで遡ることとか、いい感じに手強い本だなあと思う。

で、そういう風に手練手管を駆使して史料を読み解く本編の密度に比べると、現在の視点・著者の主張を打ち出す序論・終章は、面白くないわけではないけれど、とりあえずの暫定的な私見に見えてしまう。

おそらく、本来であればグラハム・ベルが立脚していた前提・文脈を広く探るのと同じ精度でベンヤミンやマクルーハンやフーコーやそれ以後の(聴覚)メディア論者たちを遡上に乗せながら音響再生産技術についての論究が(1920年で止まるのではなく)現在までたどりつくべきで、そういう巨大プロジェクトを完遂した暁には、この種の本の最初と最後の包み紙は、現行の序論・終章とは随分違うものになると思う。

この本に刺激を受けた読者がやるべきはそっちの作業であって、スターンの当座の序論・終章に飛びつくことではない。