音楽の出演料と著作権

「作曲者」に認定されないミュージシャンは著作権料の恩恵にあずかることができないから不平等だ、という議論をポピュラー音楽学者が仕掛けているようだが、プレイヤーは出演するごとにギャラが入るんじゃないの? 楽譜を準備した者は、プレイヤーと違って演奏ごとにギャラが入るわけではなく、これでは生活が成り立たないから楽譜や録音に対する制作者としての権利を認定しよう、というのが著作権だったはずで、その基本を故意に隠して議論するのは詭弁だと思う。

著作権を大陸観念論の産物だと主張するのは、20世紀のイデオロギー批判の悪しきプロパガンダだろう。音楽著作権の確立に尽力した音楽家たちは、ロッシーニとマイヤベーアにせよヴェルディにせよリヒャルト・シュトラウスにせよ、概して実務的で実業家肌の人たちです。(日本の芸術と著作権に関して顔をさらして発言してきた三田誠広や松本零士や小林亜星もそうだと思う。)

二流とはいえ学者を名乗るのであれば、事実を踏まえることなく、印象論で議論するのは、もういいかげん止めて下さい。

JASRAC という組織が自動機械風に料金の徴収を過激化させるのは、著作権の思想的問題というより実装の不具合だと思う。いきなり思想問題に格上げするのはおかしいです。

(増田聡先生は、本を出版するときに、それまでネットに公開していた論文を全部引き揚げましたよね。そうやって商業出版の利益を確保するのが著作権の基本なんじゃないんでしょうか?)