誰よりも君を愛す

誰が誰を愛していようと、それは個人の自由だ。

しかしねえ……、いい歳をした大学教師が、「私は最愛の娘が幸福な将来を得るためであれば、英語中心主義の奴隷となることもいとわない」とか、「私は人生の師と見定めたこの人が言うことであれば、どのような理不尽であろうとも受け入れます」とか、そういう風な愛の強さを競い合うのに、コンピュータ・ネットワークを介した文字のやりとりは、適切なメディア・フィールドであるとは思えない。

愛を告白したいのであれば、平安貴族のように歌を贈ったり、60年代のラヴ・アンド・ピースのようにギター片手にシンガー・ソング・ライティングすればいいんじゃないの。

そういうことは、相手と一対一で、どこかで勝手にやってくれ、と私は思う。

地位も名声も常識もある大人が「愛こそすべて」みたいな精神状態で高揚するのは、それこそ、パワハラの温床なんじゃないのかねえ。