無音室と反響室

世界的な高度経済成長が一段落した20世紀の最後の30年、ジョン・ケージからサウンドスケープへ、という音のエコロジーの議論でケージの無音室体験が神話的に語られてきたわけだが、反響残響という現象に関する知見は、今では音楽専用ホールという窮屈な人工空間の設計と、録音編集技術のノウハウとしてマニエリズムに堕落している。

SNSのエコーチェンバー効果という用語で、反響残響の功罪が語られる事態は、視聴覚のリタニーという思想宗教めかした議論より、はるかにリアルに、聴覚文化の転機を告げている気がする。

なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果|WIRED.jp

[追記]

それにしても、吉田寛先生が周囲の反応をここまで頼みにしており、「エコーチェンバー」なしには生きられない人だとは意外である。コウモリはエコーで世界を「見る」生物であることが知られているが、このケースはそのようなある種の「動物化」ではなく、単に「空気を読む・空気を醸造してその中で生きる」という、いわゆる「典型的日本人」の作法に過ぎない気がする。まさかとは思うが、自らの習い性となっている「エコーチェンバー効果」への依存をギブソンの言うアフォーダンスと誤認しているのではあるまいか。

数年前にプチ・ブレイクした「ニッポンの聴覚文化論」は、こんなことで大丈夫なのか。