落ち穂拾い

時間がないので、いくつかの思いつきを短くメモ。

(1) ロジェストヴェンスキーのブルックナー

ブルックナーの5番を色々な演奏でまとめて聴く、ということをやるとしたら、シャルク版が面白かろうと思うのだが、どうして正面切って面白がる人がいないのだろう。何に遠慮があるのかしら。

(あと、マスカーニの「イリス」はあからさまにイタリア・オペラのなかのワグネリズムだと思うのだが、人はどうして、ヴェルディの晩年のワグネリズムばかりを強調して、マスカーニのワグネリズムを軽く見るのだろう。ワグネリズムは男たちの高潔な絆だから、シェークスピアに援用するのは大歓迎だが、異国趣味やフジヤマ、ゲイシャと組み合わせてはならない、女の話にワグネリズムなど生意気である、みたいなことなのだろうか? 関西二期会の舞台公演をみながら、この作品を2008年(東京)、2011年(京都)としつこく演奏した井上道義は、やっぱり「世間より少し早すぎる」人なんだなあ、と思った。めちゃくちゃ面白い作品じゃないですか。「蝶々夫人」や「トゥーランドット」より前の作品なのに、コルンゴルト「死の都」と似た感触の場面すらあるし。)

(2) ピアノの暗唱

鍵盤楽器は、リサイタルが登場するまで、自分で譜面を読みながら弾く読書に似た「読譜」音楽だっただろう、ということを前から思っているが、同時に、一度読んだ/弾いたことのある曲を(完全に正確ではないとしても)記憶して、暗唱する楽しみ、というのがあるように思う。実際、鍵盤音楽に関していいレクチャーをやる人たちは、しばしば、いちいち楽譜を見ないで、説明しながらその箇所を自分で弾きますよね。それは、クララ・シューマンが弟子達に強く薦めたと伝えられる「コンサートにおける暗譜」とは別の体験で、詩や物語の一節を暗唱するのに似ていると思う。「コンサートにおける暗譜」は、むしろ、そうした「ピアノの暗唱」と対立する文化かもしれない。

たとえば、「コンサートにおける暗譜」は一曲一曲を特定して分離するが、「ピアノの暗唱」は、ある作品を弾きながら記憶のなかで連想を呼びさます。ベートーヴェン/シューベルトの時代の「ピアノによる模倣」の楽しみは、そうした、「ピアノの暗唱」と連動することで豊かな広がりを実現したのではないかと思う。

(パリでのジャンケレヴィッチの講義はそういうものだった、とか、ミュンヘンでのゲオルギアーデスがそうだった、という話が伝わっているが、私の身近では、谷村晃や岡田暁生は楽譜を見ないとピアノを弾けない人だった。私は、さわりだけだったら、すぐに授業でパラパラ弾いてしまうのだが、日本には、そういうのはお行儀が悪い、とか、本場の大家にだけ許される神業である、とか、妙な思い込みがあるのだろうか。

でも、北米のバーンスタインやチャールズ・ローゼンはピアノをパラパラ弾きながらレクチャーしますよね。ピアノという楽器は、記憶をたよりに多少不正確でもどんどん「暗唱」しちゃえばいいのに、と私は思う。)

(3) ワルツは舞踏譜に書けない

ボーシャン/フイエやラモーの舞踏譜が残っているおかげで、今日のバロック・ダンスの隆盛があるわけだが、考えてみれば、19世紀のワルツのようにカップルでクルクル回るダンスは、ボーシャン/フイエのノーテーションでは記述できない。(2人のステップが重なってぐちゃぐちゃになってしまいますから。)

ワルツが新しいタイプのダンスであった、ということをそういう論法で説明することも可能なのではなかろうか、と思ったりする。

[追記]

英国のカントリー・ダンスがフランスのルイ14世の宮廷に紹介されたとされるコントルダンスは、カップルで踊る振付が簡易舞踏譜で残っているようですね。

モーツァルトの頃のウィーンの宮廷舞踏会でコントルダンスがカドリーユやドイツ舞曲とともに流行ったのは、メヌエットのような17世紀以来のダンスより自由に男女のペアで動くことができたからだろうと思いますが、19世紀に男女のカップルが自律して踊るワルツが一人勝ちするまでの過程で、ラインやスクエアの位置どり(現在のフォークダンスに残っているような)とカップルのペアリング(競技の社交ダンスの基本単位になっているような)が交錯して踊る過渡期があったような印象を受けます。その過程のどこかで、ダンスをノーテーションできなくなっていくようですね。

モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のメヌエットの上をドイツ舞曲とコントルダンスが横切る複合拍子の混乱は、こうした混沌とした過渡期の記録、ということになるかもしれない。

(4) 磁気テープにおける作品概念

「プリンプリン物語」って79年から82年の放映ですよ。そんな最近の作品ですらテープ消去しちゃって残っていなかったという。いま「作品」と書いたが、作品だなんて思っていなかったわけですね、当時は。少年ドラマシリーズしかりで。

テレビ局が録画テープを使い回すときに、子供向けの番組を優先して消去して、オトナ向けや文芸大作は残した、というような事実はたぶんないと思う。むしろ、磁気テープの記録を「作品」とみなす態度の成立には、家庭用再生機の普及で磁気テープの記録が商品化されたのが決定的だったのではないか。「プリンプリン物語」が残らなかったのは、家庭用ビデオ再生機の普及直前という絶好(最悪?)のタイミングだったことによるのではないか。