武満徹について

4/30の京都フィルハーモニー室内合奏団の定期演奏会「武満徹の世界」(指揮・ピアノ:野平一郎)。

  • 雨ぞふる(室内オーケストラ)
  • カトレーンII(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット)
  • トゥリー・ライン(室内オーケストラ)
  • そして、それが風であることを知った(フルート、ヴィオラ、ハープ)
  • 群島S.(室内オーケストラ)

演奏会の感想はあとで別に書くつもりですが、曲目解説を書かせてもらって、準備過程で色々なことを考えました。

その都度、mixiの日記に書いていたものを一部編集して転載します。

●SEA <=> tAkEmitSu(2006年02月12日 01:25)

ピーター・バート「武満徹の音楽」(音楽之友社)という本を買ってきました。山尾敦史さんのブログで少し前に本が出たことを知って(http://yamaonosuke.blogzine.jp/honke/2006/02/post_59bf.html)、今、武満徹のピアノ曲の解説を書いているので(=丸山耕路リサイタル)、その資料と思って買いました。

関連のあるごく一部分に目を通しただけですが、素晴らしい本。ヒルスブルンナー「ドビュッシー」(島村書店)などに匹敵する、第一級の作曲家論だと思います。そして、ちょっと変な言い方になりますが、武満徹は、ヨーロッパ(イギリス)の音楽学者が本気でモノグラフィを書くような音楽家=「音楽史の主要登場人物」なんだなあ、と改めて思いました。

岡田暁生さんの「西洋音楽の歴史」は、ヨーロッパの芸術音楽を大河にたとえていて、「20世紀は、ヨーロッパの芸術音楽(クラシック音楽)という千年の大河が世界音楽の海に注ぎ込み、もはや、他の音楽と混ざり合って、明確なイメージを結ばなくなった時代」と位置づけていたわけですが、「武満徹の音楽」を読むと、武満徹は、まさに、その「20世紀の音楽の海」をしなやかに泳いたんだなあ、という気がしました。

自分自身の周辺には、雅楽や邦楽があって、はるか西のほうには、ドビュッシーとか、ベルクとか、メシアンとかがいて、さらに西のほうにある国から、ジャズと映画が海を渡ってやって来た。陸地は国境とか民族とか文化とかで区切られているけれど、「音楽の海」では、全部がつながっている(いた)のかもしれない。武満徹の作品を丁寧に読み解いていく文章を読んでいると、そんな感じがしてきました。それは、戦後の日本という特殊な時代だったからこそ可能な「きれい事」のイメージだったかもしれないですが、武満徹というのは、なるほど、そういう音楽かもしれないなあ、と思います。

で、このエントリーのタイトル「SEA <=> tAkEmitSu」ですが。これは、80年代から、武満徹に、「海」とか「水」とかにまつわる曲がいくつもあって、その多くには、「SEA(海)」(SをEsと読みかえて、「ミb〜ミ〜ラ」)の音型が隠しテーマのように出てくる。そして、この3文字は、武満という名前(TAKEMITSU)の中で、音名に読みかえることのできる文字でもある。という指摘です。(シューマンSchumannの「SCHA」とか、D. ショスタコービチの「D.SCH」とか、音楽史には、何人か、そういう「音の署名」を作品に書き込んでいる作曲家がいます。)

私が子供の頃、リアルタイムで経験したのは、まさに、この「水」の時代ですね。「オーケストラがやってきた」で、「ア・ウェイ・ア・ローン」(だったように思うのですが記憶が定かではなく、別の曲だったのかも知れません)を放送したのを、すごく鮮明に覚えています。たしかその時にも、「海=SEA」のことを解説していました……。

2月18日が、武満徹の10回目の命日です。

●武満徹の「インターテクスチュアリティ」(2006年04月05日15:37)

一念発起して、小学館の武満徹全集の最初の2巻(管弦楽編と室内楽編)をアマゾンで買いました。豪華な装丁で、資料的にもよく調べてあるようですし、特に第1巻の解説書は、小澤征爾・谷川修太郎対談以下、吉田秀和・大先生など、そうそうたる関係者のエッセイが載っていて、「世界的作曲家の大全集」を、日本の(orかつての「へるめす」同人の?)総力をあげて、威信に賭けて作り上げた感じでした。

でも、こうやって全部集めてみると、この人の曲は、どれも「小品」なんですね。演奏会のメインになるような大曲は、管弦楽の「アーク」(全6曲)と、雅楽の「秋庭歌一具」(全7曲)くらいしかなくて、あとは、数分から十数分の曲。映画音楽などを除いたシリアスな音楽が、CD21枚に収まってしまいます。一日24時間あれば、全部聞き終えることができる分量ということになりますね。なんとなく、ポピュラー音楽の人(ビートルズの「赤盤/青盤」?)みたいだなあ、という気がしました。

第2巻解説書の対談で、高橋悠治が、ストラヴィンスキーの言葉(「良い作曲家は盗む。悪い作曲家は真似る」)を引き合いにだしながら、「あの人は、人のやっていることを盗むのが危険なくらい上手かった」と言っていますが、時代の流行の一番「美味しい」ところを上手に渡った人ではあるのでしょうね。そういう、周りに上手く順応できる感覚も、第二次大戦までの、近代的な「芸術家」とはちょっと違う感じ。小品が多いのは、「自分の世界」を作るのではなく、場にあった音を、依頼に応じて、切り取って差し出す感じだったのかもしれません。

論文集「武満徹 音の河のゆくえ」で、吉松隆は、武満徹のことを「クラシック音楽家の中で、同時代の感性=通俗性をもちつづけた希有な人」という言い方をしていました。日本のアカデミズムとは距離があって、一方、イギリスやアメリカ(アングロ・サクソン)に受けたのは、そういうところと関係するかもしれません。

イギリス人ピーター・バートの本は、武満徹による現代音楽の語法の「盗み/つまみ食い」をひとつずつチェックしながら、その自由な態度に「神秘」を感じて、肯定している本。

一方、楢崎洋子さんの伝記「武満徹」(音楽之友社)は、日本のアカデミックな視点からみた「通知簿」みたいな本でした。1曲ごとに、履歴書的な成立経緯のデータがあって、次に、作曲の技術面の「採点」。ただし、「担任の所見」的に書き添えられたコメントは、喚起的な文章で面白いです。楢崎さんご本人は、きっと感性豊かな人なのだと思います。

2月の京響定期(武満徹の作品を初期から晩年まで一望するプログラム)で、指揮者の岩城宏之さんが、舞台上から、楢崎洋子さんの曲目解説を、「こんなもの読まなくていいです」とケナすという、恐ろしい「事件」がありましたが、武満徹をめぐる人々の関係、それぞれの立場や思惑の交錯ぶりは、かなり込み入っているのでしょうか……。

●武満徹、調性の“森”へ?(2006年04月06日11:51)

武満徹は80年代に「水」にこだわりを示していました。そして、80年代以後に語っていた「調性の海」という言葉を、初期(弦楽のレクイエムの解説)の発言「音の河」というイメージと結びつけて、「水」は武満徹の通演低音である、とする見方が、今は主流のようです。彼は、いわば「音の海」を泳ぎ続けた海洋性の音楽家だ、というわけです。

これは、要するに、武満徹=島国「ニッポン」だ、といっているのと同じことだと思います。こういう風にすると、武満徹を日本の「国民的音楽家」に仕立てることができるし、同時に、アメリカやイギリスといった、北半球の他の「島国」で受け入れられた「国際性」の説明がついて、非常に座りが良い感じです。

90年代初め、晩年の作品「系図」をNHKで観たときに、マーラーやリヒァルト・シュトラウスみたいな音だったので、とても驚いた記憶があります。同じ時期の「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」というバリトンとオーケストラの曲を聴いて、さらにイメージがはっきりしました。マーラー「大地の歌」やシュトラウス「最後の4つの歌」のようなオーケストラ歌曲を思わせる贅沢な響きで、同時に、ブロードウェイのミュージカル風でもある曲でした(歌詞は英語)。(小沼純一さんのPHP新書の本は、この曲と「系図」が「タケミツ入門」に最適とのご意見なようです。)武満徹は、晩年、オペラを書こうとしていたわけですが、ふと、この「マーラー風」は、遠くウィーンのことを意識していたのかな、と思いました。

周りを森に囲まれた盆地で、「水の人」とは一番縁遠い場所。でも、ラヴェルが「ラ・ヴァルス」を書いたみたいに、ドイツ語圏の中でも、ウィーンは、官能的だし、人種のつるぼだし、ラテン系の人、フランス好きな人にとって、アプローチしやすい場所ではある気がします。ベートーヴェンを「盗む」のは大変だけれど、ウィーンの猥雑さなら、いけるかもしれない。ベルク(を色々「盗んで」いることはしばしば指摘されています)の次はマーラー、そして次は……、という感じ。(晩年の作品には、ピーター・バートによると、いくつか、ワーグナーの「トリスタン和音」が剥き出しで響く箇所もあるそうです。)

亡くなってしまったので、真相はわかりませんが、ひょっとしたら、オペラというのは、そんな「大陸への進路」でもあったのではないか、と空想してしまいました。(武満徹は、小澤征爾と同じく、幼年期を満州で過ごしているんですね。デューク・エリントンのレコードなどをそこで聴いている。「戦中の工場でこっそり聴いたシャンソンで音楽に目覚めた」というのは、大陸の経験を消してしまう「神話」かもしれません。)

武満徹が大好きだったハリウッドの映画の中には、ドイツ・オーストリアから亡命した人たちの「遺伝子」も流れ込んでいたわけですし、武満徹が「音楽の森」に分け入っていたら、きっと、また新しい鉱脈を見つけていたんじゃないかな、と思いました。

それは、結構、ヤバいかもしれない世界だし、娘の真樹さんは、「オペラは徹さんに向いていない。残念だった残念だった、と言われながら死んでちょうどよかった」と言っておられたそうですが……。

(追記2006年04月06日12:00)

このエントリは、書きながらどんどん考えが沸いてきて、思いもしなかった結論にたどりついてしまいましたが……、武満徹の音楽の底知れなく「恐い」感じは、ひょっとしたら「戦後ニッポン」的な「海」のイメージの底の戦争体験+大陸の記憶かもしれない。ふと、そんな気がしてきました……。

●武満徹には高音質がよく似合う?(2006年04月19日05:47)

武満徹の「群島S.」という曲の勉強をしていたのですが、これは、小編成オーケストラを5つのグループに分けて、舞台の左・右・中央+客席の左・右に配置するという曲。こういう洗練されたステレオ効果がポイントになる曲で聞き比べると、圧縮音源とCDの差は歴然としてしまうのですね。手元のCDでは、楽器の位置が、トランペットとホルンのどっちが右に座っているのかまで、ちゃんとわかるのに、AACにしてiTunesで聴くと、音の出所がぼやけてしまって……。ライブラリを全部AIFで作り直そうかと思ってしまいました。

それにしても、きれいな音の曲でした(1992年=武満徹が亡くなる4年前の作品)。

  • 60年代の厳しい「前衛」=若気の至りor時代の要請
  • 晩年の「きれいな音」=作曲者の「地」であり、到達点

というお話には、したくないのですが、武満徹がここで亡くなったのは、変えようのない事実なのですね。この先にどういう音がありうるのか、ということは、私たち自身が探さなければいけないこと……。

●憧れの作曲家(2006年04月24日22:48)

京フィルの武満徹の解説、なんとか書きました。

子供の頃、音楽に興味を持つようになった頃、日本人音楽家で一番輝いて見えたのは、指揮者の小澤征爾と作曲家の武満徹だったように思います。

大学では、ドイツの音楽を勉強して、回り道しましたけれど、武満徹の楽譜を調べて、日本語の本はほぼ全部取り寄せたりして(大赤字^^;;)、やっと、武満徹がどういう人なのか、子供の頃の自分が見ていたものを客観的に捉える枠組みを、自分の中に持つことができたように思います。

京フィルの演奏会「武満徹の世界」は4月30日、京都コンサートホール小ホール。よかったらどうぞ。

●武満徹の「海」と「森」(2006年05月04日17:06)

先日(4/30)、京フィルの「武満徹の世界」へ行きましたが、指揮とピアノの野平一郎さんが、「武満徹は亡くなった時は、まだ66歳。道半ばだった」と言っておられたのが印象的でした。

この演奏会の解説を書いていた頃、私が考えていたこと(→「武満徹、調性の“森”へ?」)とも符合するし、そもそも、野平さんは、武満徹が書くことなく亡くなってしまったオペラ「Madrigata」の企画を引き継いで、昨年、完成・初演した方。武満徹の晩年の「調性の海」は、決して彼の終着点ではなかったはずだ、と考えている人は、ちゃんといたんですね。

前に書いたことと一部重複しますが、「海」は、とても「戦後日本」っぽいメタファーだと思います。

島国に生まれて、とりあえず目の前の「海」を泳ぎだした。途中で力尽きたらそのまま溺れ死んでしまうから、必死で泳ぎ続けていると、「海の向こう」のニューヨークから、ヒョイと作曲依頼の「縄」が投げ入れられて、それをしっかりつかんで「ノヴェンバー・ステップス」を書いたら、あれよあれよという間に、アメリカ大陸に、さらには、イギリスに引き上げられて、「国際的作曲家」としてエスタブリッシュされた。

……というような話。「海・水」は、死の恐怖と背中合わせで、諦めたらただちに永遠の眠りにつくことになるし、生き延びるためには、不断の努力が要請される場所であるように思います。

ヨーロッパ大陸の「オペラの森」は、たぶん、これとは違う場所。

「森」は、見るからに美しく魅力的で足を踏み入れたくなるけれど、あっという間に道に迷ってしまう。でも、木の実があったり、暖かい洞穴があちこちにあったりして、結構、その中で生きていけると思うのです。むしろ、ヌクヌクと暮らせるからこそ、そこを抜け出すことが難しい。

「森」は、圧倒的な生命力があって、だからこそ、目的(志=生の有限の自覚)を堅持しないと、自堕落になれてしまえる誘惑の場所のような気がします。武満徹は、そっちに行こうとした(戻ろうとした?)ところで亡くなったのだなあ、と思うのです。

「島」を出る、というと、つい必死に泳ぐ「サヴァイヴァル」をイメージしがちだけれど、背後に「森」を背負った大陸には、海を渡ったサヴァイヴァー(移民)の国=アメリカとは、また違った文化があるはず。

物事の決着はそう簡単に付きそうにないなあ、と改めて思っています。