ベーゼンドルファー ピアノセミナーI ピアノが語る演奏者へのヒント

この日は朝11時から約一時間、新大阪の日本ベーゼンドルファーのショールームでのセミナーを聴講しました。講師は同社東京技術課の村田公一さん。(引き続き、午後から室内やホールでの音響に関するセッションがあったのですが、私は京都へ移動したので、ここで失礼しました。)

内容は、ピアノという楽器の歴史とその中でのベーゼンドルファーの特徴を映像、音源、実験などを交えて紹介するというもの。

ほぼ、日本ベーゼンドルファーサイトhttp://www.bosendorfer-jp.com/で、左のメニューの「Line Up」から「Quality」と進んだところにある解説に相当する内容でした。

楽器としてのピアノの特徴というと、鍵盤の先にハンマーがあって、ペダルを踏むと……という内部のメカニズムの話になりがちですが、お話を聞いていて、むしろ、「メカ」を包む巨大な「木箱」(外から見えるケース部分ですね)にこだわりがあるようでした。

実際に音を共鳴させてホール全体に届けるのは、森から切り出した木で作った巨大な箱の力。そう考えると、ピアノは「木の楽器・森の楽器」なんですね。

ベーゼンドルファーでは、半年ごとくらいにこういうセミナーを開いているそうですから、具体的な内容は、是非、ご自身で参加してご確認ください(無料ですが、会場が大きくないので事前登録が必要になるようです)。

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歴史的な楽器を使った演奏会は今ではかなり増えていて、過去のピアノがどんなもので、どんな音がして、作曲家たちが同時代の楽器とどのように付き合っていたのか、という話、いわば、「作曲家から見たピアノ」の情報は、かなり広まっているんじゃないかと思います。

(ザ・フェニックスホールの数年前のレクチャー・シリーズの内容も、大阪大学出版会からCD付き書籍として出版されるようです。)

新・教養書シリーズ『阪大リーブル』2007年4月創刊
【001】ピアノはいつピアノになったか?(CD付)
伊東信宏編 280頁 定価1785円

http://www.osaka-up.or.jp/index.html

今日のセミナーは、楽器を実際に作っている技術者の視点、「制作者から見たピアノ」のお話で、音にこだわって職人さんが楽器を作るプロセスを考えると、ピアノの「高級車を連想させる巨大な黒い機械」(伊東信宏)というイメージもある種の文化を背負っていて、ネガティヴに退ければ済むことではないかもしれないな、と思いました。

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ベーゼンドルファーの創業者はウィーンのピアノ制作者ブロッドマンの弟子だった人です。で、ベルリンのフィルハーモニーの隣にある楽器博物館へ行くと、かつてウェーバーが所有していたブロッドマン製のピアノが展示されています。

ペダルが4つ(通常のペダルと、ウナコルダ、弱音器をハンマーと弦の間に挟むソフトペダルと、低音部分に薄紙のようなものを挟んで特殊効果をねらったファゴットペダル)ついている当時としては大型の楽器。ウェーバーの遺品を遺族が19世紀末に当時のプロイセン皇帝へ寄贈したようです。

私がここへ見学に行った時には、偶然、どこかの団体のガイドツアーがあって、学芸員と思われるお兄さんがこのブロッドマンのピアノで、「魔弾の射手」序曲の出だしのところを弾いてくれました。ホルンのコラールのあと、悪魔が忍び寄る減七和音のピアニシモのトレモロが鳴るところ……。ああ、これがウェーバーの音なのか、と、自然な柔らかい響きを聴きながら、もやもやしていた疑問を解く大事な手がかりをもらった気がしたのを覚えています(当時ベルリンには図書館へウェーバーのピアノ曲の調査で行っておりました)。

ウェーバーのピアノソナタ第2番も、柔らかいトレモロの中で、遠くからかすかに聞こえる感じでメロディを歌いはじめます。先ほど、ピアノは「森の楽器」と書きましたが、ベーゼンドルファーは樹齢八〇年の木を使って、その後の乾燥、組み立てで、トータルでひとつの楽器ができあがるのに九〇年以上かかるそうです。森の中での長い長い時間を経験して生まれた楽器ということですね。ウェーバーのトレモロも、ピアノからそういう「木の響き」を引きだそうとしていたのかな、などと今回改めて思いました。

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ちなみに、ウェーバーは、ブロッドマンの他に、小さいキャビネット型のピアノなど、複数の楽器を使っていたようです。そのひとつがドレスデン郊外ホスターヴィッツのウェーバー博物館に展示されています。ここは、ドレスデン宮廷歌劇場指揮者時代のウェーバーが、夏の休暇中に使った別荘だったところ。そうした移動先には、馬車に乗せて小型ピアノを持ち込んでいたようです。自宅にフルスペックのデスクトップを置いて、移動時はモバイル用途のノートパソコンを使うような感じだったんでしょうね。

オフシーズンに「魔弾の射手」を書いたり、「オイリュアンテ」初演でウィーンへ行ったり(ここでベートーヴェンとも会っている)、ロンドンで「オベロン」を初演して、そこで亡くなってしまった時には、おそらく、キャビネット型を使っていたのだと思います。

ですから、ウェーバーがソナタ第2番や「魔弾の射手」を本当にブロッドマンで弾いたかどうか、確定は難しいのですが……。

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ベーゼンドルファーといえば、同じ新大阪のショールームで、以前、同社の創業当時の楽器を少しだけ弾かせてもらう機会がありました。(恩師、谷村晃先生が、阪大退官後、大阪芸大時代に続けておられたレクチャー・コンサート、96年頃だと思います。)

タッチは軽いのですが、鍵盤に触れると(「弾く」というより、本当に「触れる」だけで十分だったのです)、魔法のように柔らかい残響が広がる、まさにロマン派の楽器。ペダルを踏む直すときの音の変化は、楽器が大きな肺で呼吸しているような感じでした。

今日のセミナーで、ベーゼンドルファーのピアノは、木の部分(枠や外箱)にストレスを加えないで、楽器全体が自然に共鳴することを重視しているというお話でしたが、そういう設計思想には、19世紀の遺伝子を伝わっているのかな、とも思います。

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18世紀の楽器が現在のピアノとはほとんど別物なのに比べると、19世紀の楽器は「新奇さ」の点では話題性が乏しいところがあるかもしれません。細かく見ていくと現在と地続きでないところがいろいろありそうなのですが、でも、まったく未知の「遠い世界」というわけでもなくて……。

それに、ややこしいことに、20世紀になっても、家庭などでは19世紀(or19世紀風)の古い楽器が使われていたようですね。(恩師の谷村先生は、子供の頃(1930年代)自宅にあった古いプレイエルの音がピアノの原体験だと生前おっしゃっていました。)演奏家で言えば、自宅での録音を好んだと言われているギーゼキングの音は、どうも昔のピアノのような気がします。グールドも、自宅では古いチッカリングを好んだと何かで読んだ記憶があります。グールドの浅いタッチは、チェンバロ的というだけでなく、19世紀の楽器のイメージとも実は地続きなのかもしれませんね。(そう考えると、グールドのストコフスキーへの讃辞とか、ブラームス・ベートーヴェンの至福感も説明がつきそうな気がしてくる……。)他にも、コンサートではスタインウェイのフルコンを使って、自宅では19世紀のアンティークを使い続けているというピアニストがいるんじゃないでしょうか。

黛敏郎が武満徹に贈ったピアノもプレイエルだったんですよね。昨年はピーター・ゼルキンが古典調律で武満とバッハを弾いていましたが、いっそ、武満徹をアンティーク・ピアノで弾くサロン・コンサートも悪くないかも。誰か企画しませんか?