「音楽を考える」という授業の概略

(7/21、古典派の書法の特徴、モーツァルトの器楽とグルックのオペラ・アリアの話を追記しています。)

神戸女学院の音楽学部で、今年の前期は「音楽を考える」という授業をやっています。具体的なテーマとしては、「音楽分析の基礎」ということにして、「音程」、「リズム」、「和声」、「旋律と伴奏」、「形式」といった音楽の組み立てを具体的に把握しようとするときに使う基礎概念の成り立ちと意味を整理しなおしています。

かなり手探りで話を進めてきたのですが、なんとなく全体の目処が立ってきたので、以下、これまでに話したこと、これから話そうと思っていることの概要を書いてみます。

まだ授業で話していないことを先行公開することにもなりますが、実際の授業は、具体例を使って、あらすじだけではない形にふくらませて進める予定なので、「ネタバレ」というより「予告編」ということになるかと思います。それに、ここに書いた話のあらすじに対して何らかのリアクションをいただけたとしたら、それを踏まえて実際の授業をブラッシュアップできるわけですから、学生の皆さんにとってもメリットがあるだろうと判断しました。
ちなみに、授業は全学共通の教養科目的な位置づけのもので、受講生の半分が音楽学部、半分は他学部という構成になっています。

音楽専攻ではない学生さんに、いきなり「音程とは?」といった話をするのは酷だ、というのが普通の考えだろうとは思います。(実際、ピュタゴラスの数比論をもとに「ド・レ・ミ・ファ」の音階を計算する、といった話は、「わからん」「興味深い」と感想がまっぷたつにわかれてしまいました。)そしてそういう面倒・不評をあらかじめ回避するために、こういう枠の授業では、「音楽の社会史」、音楽は単なる暇つぶしの娯楽ではなく、宗教や政治と結びついて様々な役割を果たしてきた等々という話をして、「だから皆さんも音楽に関心をもってくださいね!」と音楽の「宣伝」でまとめるのが普通だと思います。実際、私もそういうタイプの授業をこれまでに何度かいくつかの機会にやらせていただきました。

でも、そういう話ばかりをやっていると、不満が募ってきてしまうんですね。「音楽とはそもそも何なのか?」という部分を正確に説明しないで、特定の部分をショウアップしながら効用だけを喧伝していいのか?そういうやり方は、「音楽は部外者がその内側に立ち入ることのできない特殊な営みだ」という、割と広く世の中に共有されているイメージをかえって助長するのではないか、と思ってしまうのです。

だから、音楽というのは、いったい何がどうなっているのか、音楽に携わる人間が何をどのように発想しているのか、ということを音楽専門ではない人にわかるように説明することに、一度チャレンジしてみよう。もしそれが上手くいったら、音楽専攻の人にとっても、自分が何をやっているのか、ということを考え直す機会になるかもしれないのだし……。そう思って、かなり力不足で無謀とも思いつつ、こういうテーマに挑戦してみました。

結果的には、ヨーロッパの音楽の人工性を、よくある「西洋合理主義への批判」という一般論に解消することなく、具体的に見ていく、というえらく大げさなプロジェクトになってしまっております。^^;;

そして、「やっぱりクラシック音楽というのは予備知識があれこれ必要な、面倒でムズカシイ音楽だ」という感じを助長しているような気もします。

でも、開き直るようですが、ヨーロッパの音楽のことを、多少「ムズカシイ」と思ってもらったほうがいいのではないか、という気が最近しはじめています。誰にでも自分自身の常識の延長で理解できる「普遍的な」音楽なのだ、とは言えないし、そういう言い方は、ヨーロッパの音楽の中にある特殊な発想を隠してしまうか、さもなければ、ヨーロッパの特殊な発想を「普遍的」だと強弁して押しつけることになりかねない。

文化人類学や民族音楽が注目されていた70、80年代には、「クラシック音楽=普遍的」という思いこみへの批判がかなりさかんだったのですが、いつの間にかそういう戦闘的な物言いがなされなくなって、どこの国のいつの時代の音楽であろうと「感じるままに」受け取ればいい、という雰囲気になっているように感じます。そのほうが楽なのだとは思いますが、それは、結局のところ、「自分の思いこみ」の側になにもかもを引き寄せることでもありますよね。そういう「現代」の「わたしたち」の「常識」に回収できそうにない部分を、もう一度、できるだけはっきりした形で見えるようにしておきたいな、というちょっと古くさい意地(?)も、この授業の動機のひとつであったような気がします。

ということで、以下、かなり長い文章ですが、お時間のある方は、よろしければおつきあいくださいませ。

(なお、実際の授業は、音楽の専門用語をひとつずつ専門でない人にもわかるような言い方で解説して、具体例を示しながら進めているつもりです。以下の文章は、そのように進めてきた数ヶ月の授業のストーリーだけを圧縮したもので、音楽用語をナマで使っています。誰にでも読みやすい文章ということを考えずに書き飛ばしていて、概念だけで具体例がほとんどなくて、むしろ、非常に読みにくいと思います。自分自身のための心覚えであって、自分のペースで書いて、わかりやすさへの配慮をほぼ放棄しています。あらかじめご了承ください。)

●音程とリズム

4月から始まった授業で、6月まで、約3ヶ月かけて検討・説明してきたのは次の2点。

  • 音の把握に「高低」の比喩は必須ではないということ(おそらくこれは、五線譜システムの成立が事後的に生み出した感覚だったと思われます。授業では、楽譜成立以前=ギリシャから中世の音楽理論を振り返りつつ、そこでは、音の相互関係を数的な比例でとらえる発想はあっても、「高い」「低い」という空間的な比喩はまだ入り込んでいないようだ、ということを指摘しました。)
  • 音楽に、ニュートン物理学的な等質に流れる時間表象は必須ではないということ(ルネサンスまでの音楽は、言葉に付随して進行しており、特定の時間表象を想定する必要がほとんどなく、アルス・アンティカのリズム・モードやその後の計量記譜法も、数音のグループをひとつずつ積み重ねる形で進み、絶えざる流れが果てしなく続くタイプの時間構成になっていた。そしてバロック以後の音楽は、時間の推移が和声の変化(和声リズム)によって制御されていて、いわば、等質な流れとは別のレイヤーで物事が進行している。)

[追記]

音の把握に「高低」の比喩が必須ではない、という言い方は、いったい何の話なのかこれだけでは意味不明だと思うので、やや長くなりますが、私の言いたかったことを補足説明しておきます。

●ピュタゴラスの数比論

「音程」概念成立の発端が古代ギリシャ、ピュタゴラス派の理論だということはよく知られていますが、グィード・ダレッツォなど中世の理論家は、ピュタゴラスの伝説をほぼ次のような言い方で伝承していたほうです。

ピュタゴラスという偉大な哲学者があるとき道を歩いていて、ある工場にやって来た。そこでは、5本の金槌で1つのかな床をたたいていた。その調和の甘美さに驚いた哲学者は、そこへ近づいていき、音とその抑揚の質は叩く手の違いによるのだろうと考え、まずは金槌を持ちかえさせてみた。だがそうしてみても、音の質は変わらなかった。調和の取れていなかった一つを除き、ほかの重さを量ってみたところ、驚いたことに、神の意思が働いたかのように、最初が12、2つめが9、3つめが8、4つめが6となっていた−−ただし重さの尺度は不明である。
(グィード・ダレッツォ著、Masaki Shimazaki訳『ミクロログス』より)

メルマガ・アーカイブ: No. 100

ここで、「発音体の質量の関係が単純な整数比(12:9:8:6)の場合、その発音体が発する音は調和する」という発見が紹介されています。今日の音楽理論の言い方をすると、「完全8度」「完全5度」「完全4度」は協和音程であり、それぞれの周波数比は、2:1、3:2、4:3になるという指摘に相当します。

なお、厳密に言うと、金槌だと上の話が成立しないようです。おそらく本来の発見は、太さが同じ弦を使って、発音体の周波数比=弦の長さの比=質量比、となるような事例でなされたではないかと思います。伝承の過程で、話としてわかりやすい金槌にすり替わってしまったのでしょう。

それはともかく、ここでの注目したいのは、後世が「音程」という概念で把握することになる音の「ある種の性質」が、この文章では、楽譜などの視覚表示を媒介することなく、ダイレクトに「数字」に結びつけられていることです。音という形のない現象の性質を、「数」という量的な関係に変換して把握する道を開いたという点では画期的ですが、あくまで「数」ですから、そこにはまだ、「高い」「低い」という比喩が必須ではなかっただろうと思えるのです。

(ピュタゴラス派は、小石などを使って「数」を考えていて、数論を加算可能な領域に留めようとする傾向があり、無理数を忌み嫌っていたといわれていますから、ここで重要だったのは、そうしたシンプルな数的秩序が音の領域にも見出されるという発見であって、音の性質を網羅的に理論化したり、まして、連続的に変化しうる「音程」というようなイメージには、あまり関心がなかっただろうと思われます。)

●モノコードによる音の可視化(ただし「一次元」)

中性になって、こうした音の「ある種の性質」をより詳しく学習するために、一本の弦を張り、駒で弦の長さを変更できるモノコードという楽器が使われるようになったようです。(伝説では、「宇宙の音楽(ムシカ・ムンダーナ)」という発想を紹介したことで有名なボエティウスがモノコードを発明したことになっているようです。)

Masaki Shimazakiさんは、グィード・ダレッツォ「ミクロログス」から、モノコードで音階(「ドレミファソラシド」)を作る方法を解説した部分も訳出してくださっています。

グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その5

今回は3章の前半を見ていきます。3章ではモノコード上の音の配置方法が2種類紹介されています。まずはその1つめです。

http://www.medieviste.org/blog/archives/000719.html

先に述べたように、今日私たちが「音程」として把握しているような音の「ある種の性質」は、弦を発音体とする場合には、弦の「長さ」に対応します。ですから、一本の弦の振動部分の長さを駒の移動で変えて、その都度駒の位置を記録していけば、ちょうどギターのフレットのように、短い弦に対応する音(=ピュタゴラス流の数比論で小さな数字に対応する音)から長い弦に対応する音(ピュタゴラス流の数比論で大きな数字に対応する音)へと、様々な音を数直線的な一次元に可視化することができます。中世には、モノコードを使って、そうした様々な音の一次元的な配置を簡便に実現する方法が工夫されていました。上のリンク先は、そのやり方を説明した部分の訳出です。リンク先にある画像を見ると、雰囲気がつかめると思います。

モノコードという学習用弦楽器を使うことで、中世には、音のピュタゴラス流の数比関係を可視化できるようになっていたわけです。

ただし、ここでもまだ、音の可視化されたイメージが「一次元的」だということに注意すべきだと思います。数の大小に対応して音の「位置」を決めることはできますが、それはまだ「高さ」の比喩とは結びついていません。(雑駁な言い方をすると、この「音の数直線」は、縦にすることもできるし横にすることもできる。モノコードでは、音が弦と並行に横向きに配置されるわけですから、この見た目をもとにすると、今日私たちが「高い音/低い音」と呼んでいるものを、「右の音/左の音」などの水平的な比喩でとらえた可能性だってありえたはずなのです。実際、ピアノのような西洋の鍵盤楽器では、「低い音=左の音」、「高い音=右の音」ですよね。)

●五線譜における歌詞と音程の二次元表記

「音程」と呼ばれることになる音の性質を紙の上に「縦軸」で表示するようになったのは、おそらく、五線譜(正確にはその原型になったネウマ譜)が歌(キリスト教会の聖歌)を表記するための発明だったせいではないかと、私は想像しています。

五線譜(ネウマ譜)は、歌詞の上に、点や線など声の抑揚を示す記号を覚え書き的に書き足すことから出発したようです。注目したいのは、この最初の段階で、紙の上の「横軸」は既に歌詞の表記(=歌の時間的な推移の表記でもある)に占領されてしまっていたのだということ。言葉を左から右へ横書きするのは、楽譜の誕生のはるか以前から西洋で確立していたやり方ですから、これはごく自然なことでしょう。そして、楽譜(歌の記録)が、横書きの歌詞に何かを書き足す形で出発した以上、「音程」のような音のその他の属性は、「縦軸」に配置するしかなかった。これが、「音程」を「縦軸」(=「高低」の軸)として可視化する発想の最初なのではないか、という気がします。

今では、音に「高低」があるということ、ほぼ発音体の振動周波数に対応する属性である「音程」を「高い/低い」というイメージとセットで体得することは、ヨーロッパの音楽を学ぶときのイロハ、「楽典」や「絶対音感」教育の大前提です。でも、これは、人が本来的に音を「高低」で表象する能力をもっている、ということではなく、五線譜システムから派生した後天的・文化的な習慣ではないかと思うのです。

五線譜の定着以後、ヨーロッパの音楽では、「音程」を「高低」の比喩でとらえる発想を自明の前提として、いわば「音の高低」を内面化したような表現がなされるようになっていきます。悲しみを表現する歌で音が下降して、喜びの表現で上昇するとか、「天国」を示す響きは「高い音」、「地獄」を示す響きは「低い音」などというように。だから、私たちは音の「高低」の比喩に何の疑いも抱かないし、むしろ、それを「感じる」ことができなければ、クラシック音楽を楽しめない、というところがあります。

でも、歴史的に遡ってみると、やっぱりこれは、ヨーロッパ独特の「文化」なのであって、安易に自明視するのは、ヨーロッパの音楽になじみがない人とのディスコミュニケーションの原因になる可能性がある。ヨーロッパの音楽のある種の「とっつきにくさ」、あまりにも自明視されているがゆえに見落とされがちな「最初の敷居」のような気がします。絶対音感教育の功罪や、音痴とは何か、という話も、たぶん、この「高低」の比喩に遡って考えたほうがいいんじゃないかな、と私は思っています。

[追記おわり]

[さらに追記 7/14]

●音楽の時間とニュートン力学の時間

「音程」概念が「高低」の概念の結びついたのは、おそらく五線譜の成立によるのだろう、という話に続いて、授業では、音楽における時間の取り扱い、広い意味でのリズムについて考えました。

カチカチと均等な間隔を刻む時計などを連想しながら、「時間」というのは決して止まることなく等質に流れつづけているという風に私たちは漠然と思っている。少なくともニュートンの物理学(近代の自然科学)がこの前提の上に構築されているとよく言われます。実際、ニュートンは「自然哲学の数学的諸原理 Principia Mathematica Philosophiae Naturalis」(いわゆるプリンキピア)冒頭の諸定義の最後のところで、こう書いています。

Hitherto I have laid down the definitions of such words as are less known, and explained the sense in which I would have them to be understood in the following discourse. I do not define time, space, place and motion, as being well known to all. Only I must observe, that the vulgar conceive those quantities under no other notions but from the relation they bear to sensible objects. And thence arise certain prejudices, for the removing of which, it will be convenient to distinguish them into absolute and relative, true and apparent, mathematical and common.

I. Absolute, true, and mathematical time, of itself, and from its own nature flows equably without regard to anything external, and by another name is called duration: relative, apparent, and common time, is some sensible and external (whether accurate or unequable) measure of duration by the means of motion, which is commonly used instead of true time; such as an hour, a day, a month, a year.

Isaac Newton's Principia 1687, Translated by Andrew Motte 1729: Definitions

物体の運動などを通じて人間が知覚・観察できる変化は「相対的な/見かけ上の時間」であって、自ら自然的に流れる均質な持続こそが「絶対的な・真の時間」だと言うのですね。

「相対的な時間」と「絶対的な時間」の関係について、ニュートンは「誰しもよくご存じであろうから」と言うだけです。でも、「相対的/絶対的」という言葉遣いから推測すると、「絶対的な時間=等質な持続」こそが世界・自然界にビルト・インされた基本構造であって、人間は、その基本構造を直接知覚することはできず、物体の運動・変化を通してそうなのだろうと推測するしかない、と考えていたのでしょう。パソコン内のあらゆる制御は内蔵時計にもとづいて行われているけれど、内蔵時計が正確に動作しているかどうかをパソコン自身が検証する手段はない。「マトリックス」の中の人は、その外に出ない限り「マトリックス」の歪みや、リアル・ワールドの姿を知ることはできない、というのに似た話です。

そしてこの「等質な持続」を前提しないと、「時間変数t」を用いたニュートン力学の数学的諸法則を組み立てることはできない。哲学や科学史で、ニュートン力学の基底に一種の「神学」(「神が世界・自然をこのように創った」という信念)があると言われるのはこのことを指摘しているのだと思います。

アインシュタインの相対性理論によって、この「時間=等質な持続」が成り立つのは、地球上のような一定の条件を満たす特殊的な場合だけだという風に理論が更新・改良されたようですから、ニュートン的な「絶対時間」は、もう乗り越えられたドグマと言っていいのかもしれませんが、様々な力が渦巻く広大な宇宙の構造を探求したり、原子・量子の極小世界を取り扱うのでなく、ごく平凡な日常生活を送るうえでは、「等質な持続」を想定しておくほうが便利ではあるわけですね。

一方、音楽とつきあううえでは、こうした「等質な持続」とは別の時間イメージが必要かもしれない。これは、哲学的・美学的な「時間論」でしばしば指摘されることですし、音楽の現場でも、「等質な持続」のイメージは、実はそれほど便利じゃなかったり、かえって邪魔になったりもするようです。「音楽に夢中になっていると、時間があっという間に経過する。退屈な時はなかなか時間が進まない」という「主観的な意識」だけではない時間の機微が、音楽にはあるらしい。

この授業では、哲学・美学方面ではなく、もっと音楽の現場で普通に手に入る発想や技法に即した形で「音楽の時間」のしくみを説明する手がかりはないものか、ということを考えてみました。

●教会音楽はどのように歌われたのか?

こういう話をするときには、まだ人がニュートン力学を知らず、機械時計もメトロノームもない世界を考えた方が好都合だと思うので、中世に遡ってみることにしました。中世は、リズムの記法が存在しないネウマ譜から、アルス・アンティクァのモード・リズム記法を経てアルス・ノヴァの定量記譜法へと、リズムの記録方法が成立・発展した時代ですから、その意味でも、「音楽における時間」の問題を考えるのに格好の時代だと思います。

中世の音楽というと、単声のグレゴリオ聖歌からポリフォニーが発展していく教会音楽の歴史が、資料も多いですし、歴史を連続的にたどることができる「クラシック音楽の起源」として昔から音楽史で詳しく解説されています。一方、放浪楽師や宮廷の騎士歌人は、いわば「中世のポピュラー音楽」。楽器の由来などから見えてくる十字軍やシルクロード交易によるアジア・アフリカとの交流は、「民族音楽としてのヨーロッパ音楽」を考える格好な話題。意外に中世の音楽状況は多彩です。

でも、全体とした多彩であったことがわかってくると、なおさら、教会音楽の特殊性が際立ってくるように思います。教会の外の音楽には、どこから伝わってきたのか色々な楽器があって、騎士道的な恋の歌があり、何らかの儀礼的な意味をもっていたであろう各種ダンスがあったのに、教会の中はア・カペラが基本で、祈りの言葉を唱える独特の抑揚による「うた」だけが鳴り響いている。そして「時の把握」という点でも、教会の音楽=聖歌には、世俗の歌曲や舞曲とは違いがあるように思います。

最近の古楽では、中世の舞曲を太鼓の周期的なリズム・パターンに乗せて、いかにも「ダンサブル」に演奏したり、騎士歌人の歌をイスラム風の瞑想的なドローンの伴奏で歌ったりします。それは、資料から導きだされる実証的な復元というより、中世にあったであろう文化の多様性を現代の我々が感じ取れるようにするための「演出」だとは思いますが、残された資料を見るだけでも、そういう「演出」を施したくなるなるような音楽ではあるわけですね。

一方、グレゴリオ聖歌は、ネウマ譜で連綿と伝承されていて、そういう「演出」が入り込む余地がない。聖歌は、なによりもまず、唱えるべき「言葉の連なり」。歌の「速度」は、言葉を唱えることが基本ですから、楽譜に指定しなくても、言葉が明瞭に発話できるやり方として自ずと決まる。ダンスのように、周期的なリズム・パターンによって音楽的な「ノリ」を生み出す必要がなかったのだと思います。

そして楽譜に記載されている「音程」は、それぞれの単語・音節をどのような抑揚で歌うかという指示。例えば、「アレルヤ ALLELUIA」という言葉に「レファミ・ミソファ・ファ・ミ」という音程が対応しているとしたら、「AL-」の部分で尻上がりに声を揺らして(レファミ)、「-LU-」は一段高い音で同じように声を揺らして(ミソファ)、「-LU-」は声を揺らさないで保ち(ファ)、「-IA」のところで声を落として歌いおさめる(ミ)。音程の記載は、言葉の「読み方」。教会の祈りという特別な状況における発話の作法のようなものが書き記されているのだと思います。

ギリシャ神話には、絶えざる流れとしての時間を司る「クロノス」と、適切な機会・好機・チャンスを司る「カイロス」という二人の時間の神がいることになっているようですが、その区別を援用するとしたら、教会の聖歌は、「クロノス」的な絶え間ない時の流れに音を乗せるのではなくて、しかるべき時(カイロス)を捉えて、しかるべきやり方で行う発声行為と言えるかもしれません。

キリスト教では、人間の時間には、はっきりした「はじまり」(世界の創造とイエスの十字架)と「おわり」(最後の審判)があることになっているようですし、人の「生」にも「誕生/死」という「はじまり/おわり」がある。「今この時」は、「はじまり」と「おわり」のあいだの「つかの間」なわけですね。形のない音(=人の声)で祈るというのは、そういう「今この時」の「はかなさ」の認識と結びついているのかもしれません。

ミサという聖変化の儀礼があって、その式次第のしかるべき時にしかるべき言葉を唱え、そのしかるべきタイミングで声を揺らすのが「うた」である。そこが、「ノリ」を増幅したり、瞑想的な「持続」のなかに入り込むタイプの音楽との違いであるように思います。

中世後半には、複数の人間が同じタイミングで別の抑揚で歌う多声音楽が試みられるようになったわけですが*1、多声音楽を実現するリズム記法、モード・リズムや定量記譜法も、発想としてはグレゴリオ聖歌の延長上で説明できそうな気がします。

モード・リズムは、記号自体がネウマとほとんど同じで、ただ、そこに音の長短の弁別を読み下しのルールとして付け加えただけですし、定量記譜法も、あいかわらず「しかるべきタイミングで発話する」というグレゴリオ聖歌以来の態度で解読されていた可能性が高い気がします。グレゴリオ聖歌の所定の「言葉」を発声するように、所定のリズム記号を読み下していけば、結果的に大伽藍のようなポリフォニーができあがる。多声音楽は、そういう、いわばボトム・アップで一音節づつ積み上げていく音楽であって、近代の合奏音楽のように、全体を俯瞰しながら細部の役割がトップ・ダウンで決まっていく音楽ではなかっただろうと思うのです。

[さらに追記おわり]

[さらにさらに追記 7/17]

●バロック音楽:和声リズムの時代

岡田暁生さんは『西洋音楽史』で15世紀ルネサンスと、バロックへの過渡期と見ることのできる16世紀の違いについて、

一五世紀の合唱曲では和音は、曲全体に柔らかい色調を与える「背景」であり、同時に、横の線がばらばらにほどけてしまわないよう要所でそれらを束ねておく「紐」のようなものであったとしよう。それに対して一六世紀音楽では、和音が建物を支える「柱」になるのである。(53-54頁)

とまとめています。そして17世紀バロック時代になると、

通奏低音[図では太線]と和音が音楽を支え、その上に旋律[図では曲線]が飾られるというタイプの構造が、バロック音楽には非常に多かった。(74頁)

この通奏低音は、ジャズにおけるベースおよびピアノの役割とよく似ている。ピアノの左手およびそれを補強するベースが曲の土台を作り、ピアノの右手がコードを埋めていき、その上にサックスやトランペットといったソロ楽器が自由に遊ぶ -- あれと原理はまったく同じなのである。(同上)

複数の声が中空にたゆたうルネサンスのポリフォニーが、バスの上に和音を立てて、その上にメロディを飾る建築風のバロック音楽へ転換する。和音が、要所で声を束ねる「紐」から構造の「支柱」へと役割を変える……。本当に上手い説明だと思います。

確かに、岡田さんが指摘するように、16世紀末のガブリエリや17世紀のモンテヴェルディ、18世紀のヘンデルなど、バロック時代の祝典音楽には、「土台/支柱/装飾」という建築的な比喩がぴったりの垂直的な階層秩序があります。

この授業では、こうした様式転換を踏まえつつ、バロック音楽が発見した新しい「和声」の可能性を時間制御機能の観点から考えてみました。バロック時代の和声は、岡田さんが指摘するように壮麗な音の建築の「支柱」として鳴り響くこともあるけれど、それ以外にも、実に様々な可能性を見せてくれているように思うからです。

例えば、パレストリーナ流の「第一作法」の教会音楽は、バロックの和声法が、意外なことにア・カペラの多声合唱とも融合可能であることを示しています。バッハやヘンデルのフーガで、バロック和声法と対位法の融合はさらに強まりますし、パレストリーナ様式は、バッハ・ヘンデルの作例をいわば仲介役にして、今日に至るまで対位法理論の規範であり続けています。和声の「支柱」は、幾何学的なバロック建築の垂直軸のように表に露出することなく、繁茂する多声書法の背後に隠すこともできるわけです。

一方、ヨーロッパ各地(時には南米)発祥の踊りを様式化したバロックの宮廷舞踊では、「ループ状」に一定の和声進行パターンを繰り返したり、打楽器を用いることなく和音の変化で「拍」や「拍子=小節」を暗示する洗練されたリズム表現を発達させました。また、ドイツ・ルター派のコラールでは、堅固なカデンツを詩行の意味や構文と結びつけて、喜びや嘆き、断定や迷いや嘆きを表現する技法が発達していたようです。こうした音による「言葉の模倣」は、明らかにモンテヴェルディ以来のイタリア・オペラからドイツの音楽家たちが学んだレトリックだと思いますが、そのオペラでは、和音のニュアンスが演技を助けるだけでなく、時には調子よくどんどん和音が先へ進み、時には、歌手の台詞に耳を傾けるようにその場に立ちすくむといった具合に、和音の歩みがドラマの進行係のような役割を果たしているように聞こえます。バロックの和声は、祝典音楽で建築の「支柱」として屹立するだけでなく、歌や踊りやお芝居といったTPOに合わせて、柔軟に音楽の時間構造を制御・管理しているように思えるのです。(なかでも、バッハのイタリア様式のコンチェルトになると、声部の遊技的な絡み合いの背後に和音を隠したり、コラール風にがっちりしたカデンツで句読点を打ったり、ダンス風の周期的な和声変化で「ノリ」を作ったり、一曲のなかに和声のあらゆる可能性を凝縮したように変幻自在ですね。そして岡田さんが指摘するように、バロック的な「土台/支柱/旋律」の階層構造は、何世代もあとの20世紀アメリカに隔世遺伝して、ジャズの基本構造として復活を遂げたりもする……。)

このようなバロック和声の柔軟性は、逆説的なことですが、和声が、低音進行と一帯となった「和音=音の塊」として明瞭に聞こえるように書かれていたからだと思います。「和音」という「音の塊」の動きとして和声進行をはっきり聞き取ることができたからこそ、そこに一種のリズムを感じることができる。ニュートンの「絶対時間/相対時間」の区別で言えば、「和音」という「音の塊」の運動による「相対時間」。音の古典力学ですね。

(余談ですが、「和音の塊」をダイレクトに操作・連結して音楽を作るバロックの手法は、プログラミング言語で言えば、構文木をそのまま書き下すLispに似ているような気もします。Lispがリスト構造であらゆる要素を表現するように、バロック和声は、「前」と「次」をどんどん順につなげていって大きなまとまりを作ってしまいます。カデンツが句読点ということくらいしか構文規則がないというのは、開き括弧と閉じ括弧の対応くらいしか文法のないのに似ている……こじつけですが(笑)。)

ただしこの場合も、「和音」の動きが生み出すリズムは、かならずしも物理学的な「等速運動」である必要はないですね。古典力学に似たところはあるけれど、自然科学風の近代的時間・空間表象とは、まだ結びついてはいない。

例えばバッハのヴァイオリンやチェロの無伴奏曲で多彩な左手の運指や弓使いの名人芸が繰り広げられると、しばしば「拍」が伸び縮みします。現代の演奏家であれば、完全な「イン・テンポ」で演奏することも不可能ではないし、モダン楽器でそのように演奏する人もいますが、やっぱり、「無伴奏」は自在に「拍」を伸縮させたほうがフレージングの面白さがよくわかりますよね。時には音が細かく複雑に動いて、いったいどういうリズムなのか、今、何拍目のどのあたりにいるのか道に迷うこともあります。でも大丈夫。しばらくすると、「ガチャン」と歯車が動いたように和音が変化するので、「ああ、ここが○○拍目なんだな」という目印がみつかります。時間の流れを「和音」でがっちり制御しているから、多少アクロバティックなレトリックを使っても、「拍」や「小節」が崩壊しないんですね。チェンバロ音楽で、ファンタジアとフーガと舞曲でまったく異質の時間が流れているように感じさせたり、チェンバロ特有の和音の崩しや発音のタイミングのずらすに耳がついていけるのも、和声進行のナビゲーション、「道しるべ」があるからだと思います。

[さらにさらに追記おわり]

●古典派音楽における旋律と伴奏

そしてここ2回くらいの授業で取り組んだのは、「旋律と伴奏」という音の階層化の問題。

  • 17cのバロック音楽は、時間把握の土台となる和音が「音の塊」として具体的に聞こえる形で作られている。(いわゆる通奏低音技法、オペラにおける声+数字和音の器楽や、ルター派のコラール和声がその典型)
  • 18cの古典派音楽は、まるでバロック流の「音の塊」をダサイと忌み嫌うかのように、和音を「ばらす」技法(多種多様な分散和音)を発展させた。

とひとまず言えると思います。そして、この和音を「ばらす」技法が常態化することによって、音楽製作と音楽聴に構造的な変化がもたらされたのではないかと思うのです。

すなわちそれが、旋律(聴衆の関心の焦点となることが期待される「主要な音」)と、伴奏(和音のくずしとして背景的に聞かれることが期待される「従属的な音」)という区別。

この、旋律と伴奏を区別する態度、複数の音の組み合わせを注目すべき「主」の音と背景的な「従」の音に区別する、いわば「階層化された耳」というのは、バロック音楽の、ガチャンガチャンと「音の塊」が時を刻む音楽に比べて、構造の抽象度が上がっていると言えるでしょう。

だって、「ドソミソドソミソ」という音の動きが何らかの和音の「くずし」であるということを察知して、背景に押しやるという抽象的な「聴きなし」をしないと、旋律が浮かび上がってこないわけですから……。

古典派音楽の時代は、「ギャラント(粋)」や「自然」が合言葉になる啓蒙主義の時代ですが、この旋律と伴奏の区別というのは、典型的な「第二の自然」ですね。

これは、歴史は単純さから複雑さへと進むわけではないし、シンプルなもの(古典派)のほうが、案外、ゴチャゴチャした複雑なもの(バロック)よりも「高度で先進的」という好例であるように思います。

(余談ですが、シンプルなものが複雑なものの「あと」に来るというのは、例えば、「直感的な」GUIプログラミングのほうが、「呪文のような」CUIプログラムよりも高度に構造化・抽象化されているとか、シンプル・ライフやロハスや「動物化」が、「ナチュラル」への回帰ではなくて、精緻な文明化の帰結であるというのと似ている気がします。それから、「動物化」を含めて、ポピュラー・カルチャーのほうが、ハイ・カルチャーより「未来的」だというのは、やっぱりそうかもしれないな、と最近よく思います。「おバカ」であることは、たぶん、「真面目一筋」であるよりも、振る舞いとして高度に抽象化・構造化された「ニュータイプ」なのでしょう。そしてポピュラー・カルチャーの問題は、「大衆の本音」がハイ・カルチャーによって抑圧されている、という対抗文化段階ではもはやなくなっていて、今はきっと、「ポップ」という高度なふるまいについていけない「ダサくて、どんくさい人間」をどうするかという段階、全員がモーツァルトになれるわけではなくバッハみたいに意固地で職人的なオッサンだっているのだから、その対策を考えないと話が先に進まない、という段階なんでしょうね。)

古典派的なシンプルさは、作曲技法としては、個別的で一回的な「旋律」と、類型的で反復的な「伴奏」を書き分けたり、それぞれに別の音色を与えたりすることが必要になり、演奏の技法としては、旋律と伴奏の音量や奏法の弾き分けが必要になるということ。

それから、古典派の時代には、「旋律」と「伴奏」の境界を意図的に曖昧にしたり、逆に、極めて明快に書き分けたりする匙加減が「芸」であるということになっていたのだと思います。

古典派の作曲家は、技法に習熟した「晩年」になってから対位法に関心を持つ傾向がありますが、これは、過去へ逆戻りしているのではなく、「和声」の抽象化&「旋律/伴奏」の書き分け技法というフィルタを通すことで、対位法を再解釈しようとする試みだったのでしょう。

……というような話を、ここ2回くらいの授業でさせていただきました。

これで、音程論(空間表象)、和声&リズム論(時間表象)、テクスチュア論(旋律/伴奏の階層化)が完了して、かなり西洋音楽のモデリングとしては良い感じになってきたかな、という気がしています。

[追記7/21]

●実例:モーツァルトの作品から

古典派音楽における旋律と伴奏の関係について、授業ではモーツァルトのよく知られた作品を取り上げて具体的に説明しました。

ピアノ協奏曲第21番の第2楽章は、BGM的なイージー・クラシックとしてもおなじみの曲ですが、ここでは、旋律をピアノが受け持ち、伴奏を弦楽器と管楽器の和音が担当するという形で、「旋律」と「伴奏」が別の音色に塗り分けられています。まるでピアノ独奏にスポットライトが当たっているかのような効果ですね。管楽器の音色に対する嗅覚、旋律の背景を柔らかい音色で彩るアイデアは、ハイドンにはないモーツァルトの特徴だと思います。

ただし、これほどわかりやすい「色分け」は古典派ではむしろ例外的でしょう。この協奏曲の場合は、ウィーンの公開演奏会で一般愛好家向けに書かれた作品なので、自分のピアニスト・作曲家としての特徴が一目瞭然になる端的な書法を選んだということかもしれません。むしろ作曲家の「芸」が見えるのは、弦楽合奏のような同族楽器のアンサンブルにおける旋律と伴奏を書き分け。例えば「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第2楽章冒頭は、「旋律」を引き立てる古典派の標準的な書法の好例だと思います。

第一に、ここでは「旋律」が常に「上」にあります。まるで身分社会を体現するように旋律は最も高い音域を動いて、伴奏がこの旋律を飛び越えることがない。そして第二に、「旋律」が長短様々な音価・大小様々な音程で動き「個性的」な抑揚を作るのに対して、「伴奏」は「ド・ソ・ド・ソ」と一定の音価(8分音符)でパターン化された、いわば「匿名の」上下動を繰り返します。同時に鳴り響く多くの音の中から、容易に、「個性的なもの」と「匿名的なパターン」を聞き分けることができるように書かれているわけです。

クラシック音楽に慣れた人には、「今さら何を当たり前のことを言っているのか?」という話ですが、文化人類学者の川田順造がアフリカの現地民に、わかりやすい西洋音楽入門のつもりでモーツァルトを聞かせたら複雑で難解と言われて驚いたというエピソードもあります。同時に複数の音が鳴り響く状態の中から、「個性的形象」と「匿名のパターン」を聞き分けて、「旋律」と「伴奏」を把握するのは、慣れない人には案外、難しいことなのかもしれません。古典派音楽で「旋律」と「伴奏」が「わかりやすく書き分けられている」という印象は、ゲシュタルト心理学で言う「図柄と地模様の区別」のような人間生来の心的反応というより、習慣的・歴史的・文化的に形成・獲得された判断と言うべきでしょう。旋律と伴奏の区別は、人工的な構成物を「自然」に見せる「芸」、古典派の洗練された「作法」なのだと思います。(個人的には、この「旋律と伴奏の区別」というのが、音の「高低」の比喩に続く、クラシック音楽の「見えない敷居の高さ」。文化内の者には自明だけれど部外者には分かりにくいことのひとつなのではないか、という気がしています。)

ちなみに、古典派音楽では旋律が伴奏の「上」にあるのだ、という話をするとき、私はいつもディーター・デ・ラ・モッテがモーツァルトのト短調の弦楽五重奏曲の終楽章を分析した文章を思い出します(入野義郎訳『音楽の分析』として翻訳も出版されていますが、ここでは独自に訳出しました)。

このロンド主題において[…中略…]私たちは、重さではなく、幸福で軽やかな躍動を聞く。このイメージはきっちり言葉通りに受け取られねばならない。第一ヴァイオリンだけが休符なしに音楽(musizieren)して、第2、3、4声部は、1小節につき8分音符2つ分ずつ休符が入り、「薄い色で塗られている」。チェロに至っては、音符より休符のほうが多い。チェロ・パートの役目は、「音楽をやってるのはここじゃない、こんな低い場所ではなくて、3オクターヴ上だ」と示すことなのである。[…中略…]紺碧の空は視線を上へと向けさせる。無色透明な水平線から少しずつ青が濃くなっていくことによって。(Dieter de la Motte, Musikalische Analyse, 1968, S. 32)

モーツァルトの清々しい曲のイメージ、メロディ・パートと伴奏パートの役割分担、さらにはそれを弾いている各奏者の顔まで思い浮かぶような美しい分析だと思います。ここで注意してほしいのは、この美しいイメージが、あくまで、各パートの「音符と休符の割合」という楽譜の記載に依拠して語られていることです。楽譜を読み込むこと、楽譜に根拠を見いだせないところへ遠出しないこと。そういう「縛り」を設けることで無際限な詩的な言葉と空想を禁欲する。こうした「分析的な態度」でどこまでのことを語れるか、というのが第二次大戦後の音楽分析の挑戦だったように思います。作曲家デ・ラ・モッテの「音楽の分析」は、「統一原理」を信じない意図的に断片を積み重ねるような書き方をして、さらにダールハウスの「批判的コメント」を添えるという全体の構成を含めて、戦後西ドイツの音楽分析のエッセンスを伝える綱領的な仕事だと思います。(日本では、いちおう吉田秀和がこういう態度の先鞭を付けたと言えるのでしょうか。吉田秀和の批評のネタ元は意外に古くシューマン等だったりするようですし、音楽業界の人というより、基本は言葉の人「文士」だと思いますが、二十世紀音楽研究所の活動などを通して、同時代の空気を現場でつかみうる立場ではあったのでしょうね。最近の一連のテレビ番組や雑誌の特集記事は、戦後へのノスタルジー、「丸山真男ブーム」の音楽版のような気がして、個人的にはどうかなあ、という気がしますが……。)*2

次に、ニ長調のディヴェルティメント(K. 136)の第1楽章は、いわゆる「歌うアレグロ」の好例。「長い音符」で優雅にAからDへ降りていく第1ヴァイオリンと、他のパートの8分音符の刻みが組み合わされています。旋律と伴奏に好対照の性格を与えることで、アレグロの疾走感と滑らかな歌が奇跡のように両立してしまっています。そして同じ曲の第2楽章は、小澤征爾が桐朋で「斉藤せんせい」に鍛えられた思い出の曲としてよく言及している曲で、確かに旋律の語り口には、斉藤秀雄が強いこだわりをもっていたと思われる古典派のイントネーションの極意のようなものが詰まっていると言えそうですが*3、同時にこの曲は、伴奏(低音パート)に単なる「背景」や「水平線」以上の役目を与える書法の例にもなっている気がします。旋律の切れ目に、(あくまで「従者」的な慎ましさを保ちながら)合いの手を入れるんですね。主従関係を踏まえつつ、従者・脇役に活躍の場があるというのも、モーツァルトの音楽ではよく見かける光景です。

それから、ちょうど目下の人間(部下や秘書)への態度にその人の性格がにじみでるように(笑)、旋律と伴奏の関係は、旋律のキャラクターを浮き彫りにすると言えるかもしれません。自ら率先して動いて、あとから伴奏(部下)がついてくる「突撃隊長」的な旋律もあれば、周りの人たちに全部お膳立てしてもらってから登場する「消極的」あるいは「箱入り娘」的な旋律もある。例えば、モーツァルトの「ソナチネ」(ピアノソナタ K. 525)の第1楽章の最初の主題は前触れなしにいきなり(伴奏と同時に)はじまりますが、ト長調へ転調した第2の主題は、左手の「d→cis→h」という先触れ的なトレモロの下準備のあとで入ってきます。交響曲でも、第41番(いわゆる「ジュピター」)の第1楽章は、ほぼすべての主題が前触れなしで、いきなり入るので、まるですべて自分で決断する王様・カリスマ指導者風に聞こえますが、第40番の第1楽章は、震えるような8分音符の伴奏に促されるようにして主題が始まる。しかも、伴奏がまだ十分に落ち着ききらないところで旋律が入ってくるので、何をしでかすかわからず、周囲を振り回す情緒不安定な人という感じがします。

旋律の始め方が重要、というのも、デ・ラ・モッテのアイデアを参考にしています。「音楽における形式」という彼がギムナジウムの教科書用に書いた小冊子があって、そのなかの「4つのはじまり」という章で、様々なタイプの曲の開始が紹介されています。

1. 力強い開始主題 ハイドン ピアノソナタ 変ホ長調 Hob. XVI:52 第1楽章
主題は単独ではじまります。主題が自力で伴奏を作り出すのです。伴奏は、最初は和声的な支えにすぎません。ただ突っ立ていて、一向に動きません。運動エネルギーを供給できるのは旋律着想だけなのです。この例は、音楽が徐々に動き出す典型です。第13小節になって、ようやく旋律と伴奏が補い合い、切れ目のない8分音符が流れます。曲が完全に軌道に乗るのは、さらに20小節先です。(de la Motte, Form in der Musik, 1979, S. 42)

3. 敷き詰められた絨毯 シューベルト 4手ピアノのための幻想曲 ヘ短調 op. 103 - D 940
最初に伴奏。緊張した様子で合図を送ります。(「ご注意ください、まもなくご到着です……」)伴奏がヘ短調の音空間の扉をあけて、テンポを確立します。そのおかげで、主題は優雅に、何の苦労もなく引き入れられ、ふわふわと浮遊することができます。赤いカーペットが女王様のために敷き詰められたのです。実験:赤いカーペットを準備しないで、旋律をアウフタクトで始めて、その次の小節から伴奏を弾いてみてください。どうなるでしょう? 自力で進み、しかも伴奏の動きを促さなければいけません。旋律を弾き始めるのに、筋肉を必要以上に緊張させてしまうことでしょう。(ibid., S. 43)

モーツァルトの交響曲41番は上の「1.」のハイドン型、40番は「2.」のシューベルト型と言えそうです。

●グルック「オルフェオとエウリディーチェ」よりアリア「エウリディーチェを失って」

授業では、古典派音楽のまとめとして、グルックのオペラのアリアについて検討しました。

器楽を中心に見ていくとバロックと古典派(フローベルガー、バッハとハイドン、モーツァルト)の間に明かなスタイルの転換がありますが、オペラは1600年頃のこのジャンルの誕生からロッシーニの時代まで連続性を保ちながら漸進的に変化しているように思います。例えば、通奏低音にのせて演じられるレチタティーヴォ・セッコは「和音の塊」の上で歌手が語り演じていて、モンテヴェルディ以来のモノディ様式の継承という風に聞こえます。一方、アリアなどの歌の見せ場は「和音の塊」が崩れて「旋律と伴奏」に分化する瞬間。オペラは、レチタティーヴォとアリアが交替することで、バロックと古典派の二つの様式の間を絶えず行き来しているジャンルと言えそうな気がします。

グルックの場合も、オペラ史的には「お約束」から脱却しようとした「改革オペラ」と位置づけられてはいますが、それでも「和音の塊」の上で繰り広げられるレチタティーヴォが解消されているわけではないですね。第3幕、ギリシャ神話のオルフェオの冥府下りの伝説のクライマックス、オルフェオが半狂乱で憔悴し切っている妻エウリディーチェの姿を見かねて、彼女のほうを振り返ってしまう決定的な場面もレチタティーヴォで進行します。

(余談ですが、あらかじめモンテヴェルディ版の「オルフェオ」を観てからグルックを観ると、この場面の描き方の違いが興味深いですね。モンテヴェルディ版では、オルフェオはひたすら「ダメな男」。一方、グルック版では、オルフェオが振り返ってしまう「止むにやまれぬ事情」がしつこいくらいに描かれています。音楽史の授業では、「もし、あなたがorあなたのパートナーがオルフェオだったら、どう思いますか?」と毎年、感想を書いてもらうことにしています。そして……、試練を乗り越えることのできなかった夫オルフェオに対する学生さんの風当たりは相当厳しいですね。^^;;)

そしてポイントは、オルフェオが振り返ってしまい、エウリディーチェを今度こそ永遠に失ってしまった場面のアリア。カルツァビージの歌詞はこうなっていて、

Che farò senza Euridice?(エウリディーチェを失って、どうすればいいのか?)
Dove andrò senza il mio ben?(彼女を失って、どこへ行けばいいのか?)
Euridice! Euridice!(エウリディーチェ、エウリディーチェ)
Oh Dio! Respondi!(おお、神よ、答えてください!)
Io son pure il tuo fedel!(私は常にお前の忠実な夫です)

この茫然自失のグルックが(モンテヴェルディ版のように泣き叫ぶのではなく)優しい長調の歌で妻に最後の言葉をかけるところは、何度聞いても感動的。単独で歌われることもある(ヴィスコンティ「イノセンス」のサロン・コンサートの場面にも出てくる)非常に有名なアリアです。

レチタティーヴォが属和音に半終止すると、まず旋律の輪郭を予告するオーケストラの前奏。上で伴奏の「赤いカーペット」が旋律の登場を準備する書法の話を書きましたが、オペラ・アリアの前奏は、同様の機能をさらに大がかりに実践する部分なのだと思います。オーケストラ前奏は、当時の決して舞台に常時注目していたわけではない高貴なお客さんたちに「歌がはじまりますよ」と注意を喚起する役割を果たしていたのでしょうね。

期待が高まったところで伴奏が一時停止して、歌手の第一声がアウフタクトで入ります。主演歌手が場の中心で注目を一身に集めて、自分のタイミングで歌い始める身震いするような瞬間ですね。一旦歌い出すと、その後の最初の一節は定型的な分散和音の「上」に旋律が乗る典型的な古典派の書法でスムーズに流れます。

ところが、旋律が一段落しても伴奏の八分音符の「カーペット」はまだその先まで続くんですね。そして伴奏に導かれる形で「Euridice! Oh Dio! Respondi!」の部分に入ります。最初の一節が、客席に向かって自らの声を披露する「劇場的な」歌なのに対して、こちらは、(ちょうどシューベルトの歌をリリカルだと感じるのと同じように)物語内のオルフェオが誰の目もはばかることなく発する言葉と受け止めることができるのではないでしょうか。そして「Rispondi!(答えてください)」の切実な、でも決して報われることのない叫び声とともに歌と伴奏が同時に静止。次はどうなるかと固唾を飲んで注目していると、声とオーケストラが同じリズムで動き、両者一体の書法で最後の一節「Io son pure il tuo fedel!(私は常にお前の忠実な夫)」が歌われます。

最初の2つの部分は、「旋律/伴奏」の組み合わせ方から判断するかぎり、

  • 第1節:主演歌手が聴衆に向けて発するスターの声
  • 第2節:物語内の役(オルフェオ)の肉声

という演出・演技プランを想定して書かれているように見えます。そして第3節(Io son pure il tuo fedel!)は、大げさにいうと、劇場で以上の段取りを共有した者だけが体験できる奇跡の瞬間。声とオーケストラが一体化すると同時に、スター歌手の現実世界での存在感と、彼が演じる役(オルフェオ)の心情の区別がつかない形で歌がクライマックスを迎えて、その一体感の中に観客も巻き込まれてしまう、そういう状況が期待されているのかな、と思います。もちろん、実際の舞台がそれほど都合よく進行するとはかぎらないわけですが(最近は舞台を瞬間的なネタで寸断する大胆な「読み替え」が流行ですし)、でも、オペラの醍醐味は、その場にいるすべての人を飲み込んでしまうような一体感が、他でもなく主演歌手のメイン・アリアのクライマックスで到来するところ、そうなるようにすべてが仕組まれているところにあるんじゃないでしょうか。

(授業では、このアリアを計2回聴いてもらいました。一回目は、あらかじめストーリーだけを説明して、音楽については予備知識なしに、先行するレチタティーヴォから続けてオペラの舞台の実況映像(字幕あり)を観てもらう形。二回目は、映像なしで、CDを使って今書いたような歌の構造をワンフレーズずつ解説・確認したあとで、総まとめとしてアリアを通して聴いてもらいました。一回目は、オペラを見慣れていない学生さんも多くて、なんとなくこんなもんなのかな、という茫洋とした雰囲気でしたが、二回目は、かなり集中して聴いてもらえたようでした。教室の中がコンサート会場のような雰囲気になって、頑張って説明した甲斐があったかも、と思える瞬間でした。)

[追記おわり]

●音響(サウンド)と形式

そして授業は、あと3回残っています。

いよいよ、ここで、「音楽分析」の本丸とされている「サウンド」と「形式」の話をしようと思っています。

見通しとしては、

  • 音楽を「サウンド」として聞くという態度は、ほぼ間違いなく、音響物理学による和声理論の再構成(和音を倍音列から説明しようとする試み)であろうということ、つまり、音楽への自然科学/物理学の導入は、時間論よりも和声論のほうが先行しているし、その影響も本質であったのではないか、ということ
  • 音楽の「形式」という議論における核心は、本来、複数の素材をどう配置するかという演出・レトリックに過ぎなかったものが、いつしか音楽の「基本構造」へとすり替わっているところにある、ということ

を説明しようと思っています。

19世紀になって、遂に音楽の領域に実証主義と還元主義が入ってきた、ということですね。

でも、これは逆に言うと、「クラシック音楽は合理主義の産物だ」という批判の標的になる現象が、せいぜい19世紀以後の風潮にすぎず、「氷山の一角」を撃つことにしかなっていない、ということの確認でもあると思います。

北極の氷が溶けても、世界の水位はそれほど上がらない、という話があるようですが、西洋音楽も、本当に恐いのは、19世紀という「近い過去」に付け加わって、水上にそびえ立っているかのように見えている実証主義と還元主義ではないような気がします。

「クラシック音楽」がムズカシイのは、それが「近代合理主義的」だからなのではなくて、音の「高低」という空間表象、和声変化を手がかりとする時間表象、旋律・伴奏という階層分化を聴き手の耳に強いるからなのではないか?

そしてたぶん、ワールドミュージック(非西洋的な音楽把握のモデル)とか、未来の新しい音楽の可能性とかを本格的に考えようとするのであれば、海中に広がっているこのあたりの土台をどこまで切り崩せるか、というところがポイントになってくるような気がします。

仕組みがわかってしまえば、別のモデルを立てることができそうな気もしますし、「たくさんあるうちのひとつの文化」として、それほど大げさに「敵視」することなく、つきあえそうな気もするんですけどね。

●音響学による和声概念の転換

ということで、最後に、ここで言おうとしている「サウンド(音響)」概念について、もうすこし具体的に説明します。

音響物理学によって「サウンド」としか呼びようのない新しい音のモデル、音(音楽)とは空間を満たす空気の多彩な波動のアラベスクである、という考え方が生まれた、というようなお話です。

残響○○秒の「音楽専用ホール」が作られたり、オーディオマニアを生み出したりもしている、今時の音楽観。「サウンド」はポピュラー音楽にとっても重要概念であるらしいですから、かなり大事な話になりそうだな、と思っています。

で、とりあえずWikipediaで「倍音」の項目など読んでみると、波動方程式のフーリエ級数こそが、基音/上音/倍音という音響学の基礎概念が生まれるきっかけなんですね。

フーリエ級数を使うと、理論上、あらゆる波動を正弦波の組み合わせに分解できるということがわかって、これを実用レベルに落とし込んだのが音声解析でおなじみのフーリエ変換。

フーリエ級数自体は数学・解析学の問題なのだと思いますが、ここに、

「人は、波動の解析で抽出されるような正弦波を<音程>として感知している」

という仮説を加えることで、波動解析が音楽と接続される。そしてさらに、

「波動が、倍音列 (基音の整数倍となるような正弦波の組み合わせ)に近づくほど、<音程>が明瞭になる」

という知見が生まれて、話は一挙に音楽の本丸、「和声理論」を攻略することになるんですね。すなわち、

「人は、倍音列を構成する音を<協和的>と知覚する」

というわけです。ここで遂に、ピタゴラスの数字崇拝的な数比理論が音響物理学と出会う。

音楽は、真理探求(正誤判断の積み重ね)をする知・科学というより、思考と感覚によって育まれた文化ですから、ルネサンス以後の歴史が数学と習慣によって見出した「三和音の快感情」と、その多彩な用法の蓄積が「誤り」として捨て去られるものではないですし、

だいいち、音響学における「倍音列」は、音響の解析という純粋に自然科学的な知見ではないですね。

私の理解が正しければ、音響解析は音が基音と無数の上音(「倍音列」に必ずしも収まらない)の組み合わせであることを確認することしかできないはず。(しかも、実用的な速度でフーリエ変換を運用しようとすると、その精度はかなり粗いものになってしまう。)

「倍音列」は、自然科学と心理学の接点に花開いた作業仮説。「整数倍の周波数の組み合わせ」という人工的な音響モデルと、「音程の明瞭度」や「協和/不協和」という心理的ないし文化的な概念の相関関係を推定しているにすぎないわけですね。

それにもかかわらず「倍音列」が19、20世紀に広範な影響力をもったのは、神なき時代に自然科学がもたらした「神話」みたいなものであるように思います。

そういえば、内田樹先生も最近「倍音」がお気に入りのようですし、「倍音」神話の研究は、きっと「絶対音感」批判どころではなくスリリングな話になるんじゃなかろうかと思いますが、それはともかく、さしあたり、授業では、「倍音列」理論が解析学&音響学の実験室から、音楽の現場へ入りこむ上で決定的だったのは、「楽器開発」と「和声の拡張」である、ということにしておこうと思います。

(1) 19世紀になって、音響学(倍音列理論)を前提とした「良い響き」を目指して楽器の開発・改良が行われた。その代表がハイテクの塊としてのピアノと、最新楽器を総動員したオーケストラである。(ロマン派ピアノ曲の「夢のような」響きとか、オーケストラの「血湧き肉躍る」圧倒的な迫力。)

(2) 倍音列理論を導入することで、伝統的な協和/不協和理論よりも、「非倍音的」な音と「倍音的」な音の区別のほうが重視されるようになったのではないか。7の和音、9の和音が多用されるようになる事態はそのように説明すると理解しやすくなるのではないか。また逆に、同じ「三和音」でも、倍音列に沿った配置にしたほうが「響きがよい」と考えられていたのではないか。(そのように思われる作曲例はショパンからラヴェルまで無数にみつかります。)

またこれは、和声法が、楽譜というグラフの上で音の距離を計算する「数学的」な作業から、多様な音の組み合わせがもたらす空気波動を「耳」で検証する「音の化学実験」へと意味を変えたということでもあると思います。

和声の伝統的な理論は、和音を音程という「点」の組み合わせとして把握していて、それは、和音相互の役割が弁別されているという意味でも、それぞれの和音が「点」(音程)の相互関係として定式化されているという意味でも「functional=機能的・関数的」だったと言えるでしょう。

ところが、「倍音列」の仮説によって、和音が空間を多様な色調で染める「質」として把握されるようになった。それが「サウンド」ということなんじゃないかと思います。

それから、

19世紀になって、「主題の発展」とか「形式」ということがさかんに言われるようになりますが、これも、「和声」が「機能/関数」から「質」へと意味を変えたことに相関すると言えるかも。

「和声」が、融通無碍に変化する「質」として空間を満たしているのだとしたら(ワーグナーの楽劇やブルックナーの交響曲、ドビュッシーの印象主義はその典型ですね)、もはや、そこには、はじまりも終わりもないわけですね(スクリャービンの「神秘和音」は、そういう和音の「無際限」ぶりを神学的に解釈したものとみることができるかもしれません)。音程とリズムを組み合わせた「動機/主題」というのは、無際限の「質」(和声)にマーキングして、一定の秩序を確保しようとする試みだったような気がします。

(以上)

[追記]

●和声理論の「音程」概念と音響学的「周波数」の相互翻訳(不)可能性について

伝統的な和声論の「音程」と、物理学的な音波の「周波数」は、物理学が和声の基礎というのではなく、別のシステムへの「翻訳」に近いと思います。

音程を周波数に「翻訳」する時にこぼれ落ちてしまうものとして、わかりやすいのは短三和音と異名同音でしょう。

短三和音が倍音列で説明できないことは、しばしば指摘されていて、菊地成孔さんが著書で新説を紹介していたりもしていましたが、少なくとも、「協和音程=基音の整数倍の倍音」というだけでは上手くいかないようです。

それから、「異名同音」は、同じ周波数の音を和声理論が別に意味づける場合があるということ。例えば「ド#」と「レb」、「ソ#」と「ラb」は、平均律だと同じ周波数(ピアノでは同じ鍵盤)ですが、和声理論的には、意味や用法が違います。

「ソ#/ラb」の鍵盤の音と「ド#/レb」の鍵盤の音の周波数比は「3:4」なので、倍音列の理論では、協和度の高い音程ということになります。(第3倍音と第4倍音の関係に相当します。)ところが、伝統的な和声理論では、「ソ#」+「ド#」と「ラb」+「レb」は協和音程。一方、「ラb」+「ド#」と「ソ#」+「レb」は不協和音程ということになります。これは単なる机上の空論(楽譜上の空論)ではなくて、実際に使い分け(書き分け)られています。

ハ長調の曲で言うと、「ラb」+「レb」は「ナポリの6の和音」。一方、「ラb」+「ド#」という音の組み合わせは、次に「ソ」+「レ」へと解決することが期待される経過音として使うのが普通でしょう。つまりこの場合は、周波数的に「協和」している音の組み合わせが、解決されるべき「不協和音程」と意味づけられることになるわけです。

これを「音響的に協和している音を、観念的に不協和とみなしている」と言ってしまって良いのか、というのは、かなりデリケートな問題。言語によって、概念の分節法が違うとか、動植物の民俗的な分類が生物学的な分類と必ずしも一致しない、というのに似た現象だろうと思います。文化人類学や民族音楽学が注目されていた頃にさかんにいわれていた文化相対主義の議論を応用して、クラシック音楽的な和声理論と、物理学的な音響理論は「別の文化」と考えた方がいいだろうと思うわけです。

      • -

音響学的な音楽理解は、19、20世紀に様々な分野で起きた思考の自然科学化とでもいうべき現象のひとつだと思います。そして音楽理論への音響学の導入は、「誰もそれを無視できないくらい広汎にうけいれられている」という意味では、成功した理論ということになると思います。

でも、音楽史的には、音響学主義で失われたものがある、というほうが通説ではないかと思います。

その意味で「古楽」が古い音楽の「音響的(サウンド的)」な面白味を発見しつつあるのは、両義的で興味深い現象と言えそうですね。古楽では、鍵盤音楽の非平均律=古典調律の演奏が「倍音列」的ではない和音の味わいを「音響」として体験させてくれますし、平均律では楽譜上の違いでしかない様々な音程が、かつては「音響」として異なる性質をそなえていた可能性を示唆する例がいくつも見つかっているようです。

古い音楽を「音響(サウンド)」として楽しむというのは、19、20世紀を経た耳によって見出された倒錯的な時代錯誤である可能性が高いですが、でも、これが「倍音列」神話から自由になる決定的な一歩であることは間違いないでしょう。現在の古楽の演奏スタイルが「標準」として長く伝承され続けるかどうか、というのはわかりませんが(何らかの問題点を更新する新しい発想がいずれ出てくると思っておいたほうがいいかもしれない……)、古楽を「音響(サウンド)」として発見するというのは、歴史的に、避けて通れない道ではあったのだろうと思います。

*1:楽譜の形で記録が残されているのが中世後半からというだけで、実際にはもっと前から多声的な合唱が行われていたのかもしれませんが……。

*2:そういえば、NHKの番組に指揮者の大野和士さんが出演して「椿姫」の前奏曲について、まさに「楽譜から逸脱しないでイメージを広げる」ほんとうに感動的な解説にピアノを使って挑戦して、「プロフェッショナルな仕事」を実演したあとで、司会の茂木健一郎氏は「それは、あなたの主観でしょう」と言っていましたね。私はあの鈍感な発言を一生許さない、と心に誓っております。(笑)

*3:斉藤秀雄「指揮法教程」は合奏の統率方法を教える本であると同時に、古典派のイントネーションを「叩き/しゃくい/平均運動/先入」などの「手の動き」に変換して指揮者に「体感」させる楽譜の読み方指導の本だと私は思っています