織田作之助と井上靖の戦後関西音楽小説

私が大学へ入った頃は、生協の書籍部に『構造と力』が平積みしてあって、これは通俗的で恥ずかしい勘違いかもしれませんが、その頃翻訳が出たダールハウス『絶対音楽の理念』を、柄谷行人の『近代日本文学の起源』と比較しながら読めてしまうところがあったように思います。音楽学の研究室へ入ると、「零度の音楽」とか言っている院生がいましたし。

だから、ほとんど同じ世代で藝大のエクリチュール教師にストレートに心酔している人がいるのを知ると、音楽一筋なコンセルヴァトワールの世界に身を捧げて、日本の企業がニューヨークの一等地のビルやハリウッドの映画会社を買いあさっていた時代のあれこれとは無縁な人生があるのだなあ、とびっくりしてしまうのですが……。

音楽が俗世間から隔離された「自立/自律芸術」であるというロジックが本格的に導入されたのは、日本では実は戦後になってからではないか、という気がしています。ワグネリズムとか教養主義的なベートーヴェン理解を切断した戦後の東大や京大の美学が、結果的に、真空の実験室の前衛運動を庇護することになったのではないかと思っています。

松下眞一も俳句をたしなんでいましたが、真空の時空を漂う音楽芸術には、言葉の形式化のアートである「詩/韻文」がよく似合うのかもしれません。(そして詩人・滝口修造に近かった武満徹がのちに小説すなわち散文を書く大江健三郎に接近したのは、詩と音楽の蜜月が終わりつつあったと見るべきなのかもしれません。)

音楽の周りに俗にまみれた人間たちが渦巻く姿を書くことが、通俗的・風俗的でありつつ玄人筋にも読まれうる小説として成立した時代が実はつい最近まであったようです。

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織田作之助「道なき道」は、敗戦直後の昭和20年の『週刊毎日』10月号に掲載された短編で辻吉之助・久子がモデル。織田作之助は、坂田三吉が妙見山へ勝利を誓う、というような芸道小説を書いていますし、これも、その系譜ということになるのでしょうか。ヴァイオリンの稽古をしていると、いくたまの夏祭りの枕太鼓やお囃子が聞こえてくることになっているので、彼らは「夫婦善哉」や「わが町」と同じ大阪上町オダサク・ワールド、路地(ろうじ、と発音するらしい)の住人でもあります。(実際に辻父子はこのあたりに住んでいたようです。)

クロイツァーやローゼンストックを感嘆させた毎日コンクールの帰途、特急列車の車窓から富士山を眺めていると、芸の鬼である父親が「日本一のヴァイオリン弾き! 前途遼遠だ。今夜大阪へ帰ったらすぐ稽古をはじめよう」と現実へ引き戻す。上手いですね。

*「道なき道」は青空文庫ですぐに読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/card46306.html

辻久子自身は、『音楽之友』昭和23年11月号のインタビューで「あれを讀むと昔のあの頃の事を懐しく思い出しますわ」と言いつつ、「でも全部がホントの事ばかりでは無いのですよ。」と釘を刺していますが……。

(余談ですが、昭和23、24年頃の『音楽之友』は、総目次で見出しから読みたい記事だけ選び出す効率的な「研究」をしているとわからないと思いますが、あからさまに婦人雑誌として編集されています。表紙は毎号、若い女性の絵になっていて、グラビアページで、音楽家がモデルのようにポーズを決めています。若き日の朝比奈隆も、まるで映画スターみたい。男たちが燕尾服で舞台上にひしめくオーケストラの写真は一枚もありません。もしかすると、意図的に排除されているのかもしれません。そろそろお年頃の辻久子は、少し年上の原智恵子らとともに、雑誌の常連だったようです。)

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井上靖というと、学校の推薦図書になりそうな伊豆の少年時代を書いた自伝小説や、大河ドラマの原作にもなった歴史小説、それからシルクロードものですが、初期には、毎日新聞記者だった経歴を生かした実録ものをかなり書いていたようです。(そして記者時代には、茨木の松下眞一の家に下宿していたこともあるのだとか。)

芥川賞を受賞した「闘牛」(昭和25年)は、先輩記者、小谷正一がモデル。2年後の『文藝春秋』昭和27年2月号に発表した「貧血と月と爆弾」は、小谷が新日本放送を開設する話です。

短編 (井上靖全集)

短編 (井上靖全集)

開局の目玉企画としてアメリカの名ヴァイオリニストの独占放送をする、というクライマックスも実話。小説中のラーネッドはメニューイン、マネージャーのカルテスはストローク。大阪のR交響楽団(もちろん関西交響楽団)の謎めいた事務局長、菅安二郎は原善一郎のこと。A社(毎日新聞社)とS社(朝日新聞社)は、それぞれが出資する新日本放送と朝日放送が同時に認可を得て、民間放送の分野でも熾烈なライヴァルになることが予想されていました。(実際の新日本放送の社屋は大阪駅の東の阪急デパートのビルに上階を建てまして作られました。大澤壽人が晩年に音楽部門で働いていた朝日放送は、大阪駅の南西、終戦直後には駅からその黒い外観が見えていたという朝日会館のなかにありました。)

ラーネッドの招聘はS社(朝日)に取られたけれども、契約の盲点を突いて、独占放送権を新日本放送が奪ってしまおう、というのが、題名にある「爆弾」。癖のある人物が入り乱れるややこしい話を、よくこの長さにまとめたものだと思います。

しかも、実際のメニューイン招聘では原善一郎が相当に暗躍したと言われていますが、小説は、小谷正一に相当する木谷の目線で語られて、菅(原善一郎)の動きがはっきりとは見えず、かえってその黒幕ぶりを際立つようになっています。そしてメニューイン来日直前に原善一郎が急死したことも、ちゃんと印象的なエピソード付きで出てきます。プロの小説は、こういう風に作っていくのですね。

ミューズは大阪弁でやって来た

ミューズは大阪弁でやって来た

メニューイン招聘と直前の原善一郎の急死は、関西交響楽団誕生の経緯を追った本書の最期を締めくくるエピソードにもなっています。

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井上靖の唯一の書き下ろし長編、昭和30年に新潮社から出た『黒い蝶』も関西楽壇内幕ものでした。ソ連のヴァイオリニスト、オイストラフを鉄のカーテンの向こうから招聘する経緯を扱っています。

井上靖全集〈第11巻〉

井上靖全集〈第11巻〉

吉田内閣から親ソ鳩山内閣への交替という大状況は実名でそのまま出てきますが、芦屋の富豪・江藤弥介が、病死した娘・良里子の謎めいた遺言でソ連のヴァイオリニストの招聘に取り憑かれる、という筋立てはフィクションだと思います。

江藤の妄想に巻き込まれて動く主人公も、小谷正一がモデルだと言われていますが、小説中では、茨木で倒産寸前の石鹸工場を経営する詐欺師まがいの実業家、三田村になっています。「貧血と月と爆弾」と同じく、入れ替わり立ち替わり、怪しげな男たちがたくさん出てきます。夫と別居中の江藤の妹・舟木みゆきへの恋心が、読者を引きつける物語の横糸。ビジネスと恋愛、という通俗サラリーマン小説の典型のような構成なのに嫌味がなく、いかにも「昭和」な感じの男たちの腹芸炸裂なのに幻想的な味わいがあるのは、ヴァイオリニストの名を「ムラビヨフ」というエキゾチックな響きに設定した、作者の絶妙な言語感覚の賜物だと思います。「ムラビヨフ、ムラビヨフ……」と呪文を唱えると、殺伐とした大阪の実業界に、まるでアラビアンナイトのように、江藤弥介、舟木みゆきという現実離れした存在が出現する。井上靖、いいですね。

実際の小谷正一は辻久子を支援していて、辻久子のほうも、小谷を信頼していたようです。辻久子が東京のホテルで来日したオイストラフのレッスンを受けることができたのは、もしかすると小谷が間に入ったのでしょうか。小説『黒い蝶』には、トリックスター的な活躍を見せる毒舌のヴァイオリニストの左近豹太郎、浪華会館で演奏会を開く女流ヴァイオリニストの生田清子が登場します。設定は実際の辻父子と一致しませんが、左近の言動は辻吉之助をモデルにした部分があるのかもしれません。

同行二人、弦の旅 (なにわ塾叢書 (77))

同行二人、弦の旅 (なにわ塾叢書 (77))

辻久子は占領下の昭和20年代のインタビューでは、「偉いヴァイオリニストがたくさんいるアメリカへ行きたい」と発言していますが、その後、ソ連を訪問してオイストラフと再会することになりました。

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ほかにも、宮城道雄が関西交響楽団との共演のための来阪途上で列車転落死した経緯から、宮城と旧知の内田百間が「東海道刈谷驛」を書いていますが、織田作之助と井上靖、戦後関西楽壇には、小説家を触発する「物語の種」が色々あったようです。

サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)

サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)

以上、夏休みの読書感想文風に。

(それにしても、こういう人間くさい物語を面白いと思うか、こんな話は「音楽そのもの」を扱わない邪道であって、音楽をそういうものに巻き込んで欲しくないと思うかは、人それぞれ趣味の問題ということになるのでしょうか。音と俗世のからまりを肯定したり、忌避したりする感性自体の歴史性を云々することに、人はもう疲れてしまったのでしょうか。)

音楽社会学序説 (平凡社ライブラリー (292))

音楽社会学序説 (平凡社ライブラリー (292))

ダールハウスの音楽美学

ダールハウスの音楽美学

本当は、シンフォニアから出ていた杉橋陽一訳のほうが良いと思うのですが、Amazonではこちらしか出てこなかったので、ひとまず。