講演終了、1970年大阪万博は巨大だった

ご来場の皆様、ご静聴ありがとうございました。

[追記:こちらの補遺もあわせてどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101109/p1 ]

70年大阪万博という巨大イベントについては様々な切り口があると思うのですが、今回は、前半で実演3曲(貴志康一「竹取物語」、大栗裕「青衣の女人」と「淀の水車」)を中心に、まず関西の1960年代までの洋楽の流れを振り返ってから、万博における関西の洋楽関係者(大栗裕、朝比奈隆、辻久子など)が受け持った仕事をご紹介するという形にしました。

関連情報として、(1) 1964年に辻久子の独奏で放送初演された大栗裕のヴァイオリン協奏曲、(2) その辻久子もラロのスペイン交響曲で出演した大阪フィル1970年7月20日の万博クラシック演奏会のために作成された「大阪俗謡による幻想曲」1970年稿、については、最近見つかった資料があり、それもご披露させていただくことができました。(詳細はまた機会があれば。)

先月の美学会で、美術史関係の先生方が大量の視覚資料(スライドですね)をお使いになるのを目の当たりにしてしまい、先日のNHKの番組でも、個々の話題をきっちり「絵」にする(映像化する)と訴求力が増すのだなあと思わされ、今回は、40点ほど写真・映像資料を使う(演奏以外の場面はほとんど常に視覚資料を使って話をすすめる)形にしてみました。

盛り沢山な分、歌劇「地獄変」(1968年初演、1970年万博クラシックの枠で再演)については、ごく一部分だけしかご紹介できませんでしたが、私としては、これでひとまず、2010年現在の段階でお出しできる情報をひととおり表に出すことができたかな、と思っております。

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万博のスローガン「人類の進歩と調和」のうちで、「進歩」部分=当時夢みられていた「未来」の音を創る部分は、鉄鋼館のスペースシアターに象徴されるように海外と東京の若手・前衛系の皆様の領分。

一方、関西の音楽・芸能関係者は、日本とポルトガルの合作企画「南蛮まつり」@お祭り広場に関西歌劇団とも縁のある伝統芸能関係者が総出演したり、歌劇「地獄変」に十二単の箏が出て、舞踊を含む演出は茂山千之丞さんであったりして、「人類の調和」の部分を、昭和初期以来の和洋折衷路線の集大成の形で盛り立てる役回りだったのではないか。

戦前の貴志康一から、50年代60年代の大栗裕という風に見てくると、そんな気がしてきまして、そういう方向で話をまとめさせていただきました。

あと、大栗裕個人にとっても、万博は、「大阪俗謡による幻想曲」決定稿を仕上げて、1955年のデビュー以来の路線のひとつのまとめになったのかもしれません。歌劇も、万博のあとは西洋オペラのパロディのような「ポセイドン仮面祭」1作だけですから、「地獄変」が(1967年の「飛鳥」とともに)、昭和30年代的な“創作オペラ運動”の総決算になったと言えるかもしれませんし……。

後世の記憶・語り伝えのなかでは、大阪万博というと未来志向の各種展示や、武満徹(よく知られた企業パビリオンでの仕事だけでなく、万博クラシックでは若杉弘・読売日響が「テクスチュアズ」、小沢征爾・NYフィルが「ノヴェンバー・ステップス」を取り上げている)、松村禎三(岩城宏之・N響が「管弦楽のための前奏曲」を取り上げている)などの仕事が一番のトピックになりますが、

実は、お祭り広場での開会式で、開会に先立つ天皇・皇后両陛下ご着席の際には越天楽が(洋楽合奏で)演奏されており、おそらくこれが万博会場に鳴り響いた最初の「音楽」だと思われます。和洋折衷系の音楽・芸能が万博で結構色々と行われていたことは、今後もう少し見直されていいかもしれませんね。

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万博は本当に巨大なイベントで(EXPOパビリオンへ行くと、事業の巨大さを見せつけるように、公式文書類がドカンと積み上げて展示されています)、「学生運動の1968」があれだけぶ厚い書物になるんだったら、万博研究はどれほどの分量になるのか、と思いますし、まだ、語り尽くされてはいないのかもしれないなあ、と、今回、資料を整理しながら思いました。

当時周辺では、「反パク」等のアンチ万博運動もあったわけですし……。(追記:講演では言い忘れていましたが、「戦争を知らない子供たち」という反戦歌も、万博コンサートで初披露されたものだったようですね。ポピュラー音楽系の催しは、このコンサートもそうですが万博ホールで連日行われていたようです。)

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なお、今回は、例によって大阪音大付属図書館大栗文庫の所蔵資料を参照させていただいたほかに、万博の事業自体については公式記録類、記録映画等を参照。大栗裕の歌劇「地獄変」関連資料については、関西歌劇団様にもご協力いただきました。本当にありがとうございました。