箏のこと、大栗裕の「二字目起こし」のこと(「エキスポ・クラシック」 − 音楽家から見た大阪万博 ー:補遺)

昨日ご紹介させていただいた大栗裕の歌劇「地獄変」(1968/1970)は、最初に箏の弾き語りがあります。平安朝の物語に近世邦楽は時代が合わないわけですが、それはともかく、大栗裕生前の2回の公演については、中島警子先生率いる桐絃社社中の皆さんが十二単姿でずらりと舞台に並ぶ写真が残っています。

1999年に関西歌劇団がメイシアターで再演したときには、(ちなみにデビュー直後だった西本智実さんが指揮したのですが)当時まだ大阪音大在学中だった片岡リサさんが大抜擢され、弾き唄ったようです。

曲は、おそらく他の大栗裕の箏曲と同じく、桐絃社の須山知行先生と一緒に作ったのだろうと思います。この歌劇は、バレエがあったり、猿や木菟役が必要であったり、こうして箏曲が入っていたり、牛車が燃え上がったり、大仕掛けで、オーケストラが充実しているのも、歌中心でなく、スペクタクルを見せる演目だったせいだろうと思います。

で、箏や近世邦楽のこともちゃんと勉強せねばと思っているのですが、

とりあえず、明日11/10、新大阪のムラマツリサイタルホールで横山佳世子さんの二十五絃リサイタルがあり、解説を書かせていただきました。伊福部昭です。「琵琶行」と2面の二十五絃による「交響譚詩」。ほかに廣瀬量平「浮舟」など。

あと、もうひとつ、忘れないうちにメモしておきたいのは、大栗裕が歌を書くときの「二字目起こし」の件。

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大栗裕と桐絃社の須山知行先生の交友も、知れば知るほど興味深いと私は思っているのですが……、

晩年の伊福部昭が、野坂恵子さんのために二十五絃作品を残したことは、片山杜秀さんも書いていらっしゃいますが、知ると知らないとで伊福部昭のイメージが変わるくらい大事なことかもしれませんね。伊福部昭の出発点がギターだったことともつながっていますし、「琵琶行」は柄が大きく、作品としても素晴らしいですし。

戦後の作曲家たちと近世邦楽とのおつきあいも、諸井誠風の「研究」とか、武満徹vs三木稔、どちらの主張に部があるか、といったことだけで尽きない広がりが当然あったのだと思います。

邦楽器の「音」を一種のオブジェとして作品の中に置く、というやり方のほうがカッチョイイわけですが、伊福部昭と野坂恵子、大栗裕と須山知行という少し上の世代の場合は、人間的な交流と、そこで出来上がった音楽を切り離せないような印象があります。そういうことを煩わしいと感じてしまうと、入り込めなくなってしまうのかもしれませんね。

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もうひとつは、前にも少し書いた(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101028/p1)「二字目起こし」の件。

狂言の科白まわしの基本として、武智鉄二もあれこれ論じているところで、単純化した説明としては、歌舞伎などでも、本来は上方のイントネーションを活かして第二音節にアクセントを置く様式があり、のちに関東で第一音節にアクセントを置く科白まわしも行われるようになった、ということになるのでしょうか。

で、大栗裕の歌は、「赤い陣羽織」以来、ほぼ常に「二字目起こし」です。

昨日はEXPO'70讃歌もご紹介させていただきましたが(詞:石浜恒夫)、「目を〜あげ〜よ」が2音節目で音を張る特徴的なリズムで歌い始められます。大阪の巨大イベントでも大栗裕は自分の流儀で作曲していると言えそうです。(イントネーションが大阪弁風ではないので、なおさら、単なる話し言葉の反映ではない意識的な朗唱法であることがはっきりする箇所だと思います。)

このあと、同じモチーフを1小節に圧縮する箇所が出てきたりして、EXPO'70讃歌は結構手が込んでいます。万博は、企業パビリオンでスター作曲家の皆様が派手な仕事をしている傍らで、地元の音楽家のこういう丁寧な仕事の積み重ねもあったわけです。

(EXPO'70讃歌の演奏シーンは、日本万国博覧会の公式記録映画で確認することができます。)

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また、初夏の「3000人の吹奏楽」というイベントで今も歌われている「3000人の吹奏楽の歌」(1969年初演時(←この年が初演なのは資料確認済み)のタイトルは「2000人の吹奏楽のために」)は、「あお〜いそら〜」で「あおい(青い)」も「そら(空)」も第二音節の音を張って延ばす形になっています。(ただし、「そら」は音楽上のアクセントが2小節目の頭の「そ」の部分に指定されて、ベッタリしてしまわないようになっています。この冒頭2小節の跳躍&シンコペーションは、エンブレムのように目立って印象・記憶に残ることを狙っているのだと思います。こういう風に平易なメロディのなかにポイントをひとつ作っておくのは、ヒーローものの主題歌などによくある手法ですね。)

こういう朗唱法は、おそらく上方言葉(方言)の問題というだけではなくて、

単語をひとつながりに流さず(サラサラと歌ってしまわず)、音節を意識する語り方を求める譜面なのだろうと思います。オペラの台詞もそうなっています。「こ、ら」「ま、ごたろう〜」というように単語や分節を音節に割ることで、その詞を語る/歌うリズム・テンポ(口調)がカキっと決まる。かっちり決めて語り出す/歌い出すことで舞台上の言葉が明瞭になる、という台詞術の問題でもあると思います。

(「カフェの夜」の、♪おてくさん〜、とか、浅草オペラのなんちゃってレチタティーヴォは同音連打になってしまっていたようですね。意識しないと「二字目起こし」に書くことはできないと思います。昭和30年代の創作オペラの語りが、長木誠司さんに「おたまじゃくしというより孵化する前のカエルの卵の連なり」と酷い悪口を言われてしまう形になってしまっていたのも、そのせいではないでしょうか。関西歌劇団は「音楽が貧しい」と評されましたが、團伊玖磨の気づかない、意識していないところに課題・問題を見出す取り組みであったことを示す一例だと思います。)

武智鉄二が関西の歌劇にインストールした諸問題のなかでは、おそらく、この「二字目起こし」の台詞術と、舞台の所作における「ナンバ」、この二つが基本になっていて、大栗裕の歌劇を見ていくときのポイントではないか、という気がしています。

(舞台写真を見ると、茂山千之丞さんが演出した万博での「地獄変」は演者の姿勢がぴたりと決まっています。日本の衣装で西洋流の棒立ちというありがちな形になっていないわけです。あと栗山昌良さんは、「止め絵」を多用して、(ハラハラ舞い散る桜の花びらとともに)「日本の美」を醸し出している評されますが、栗山演出のポージングはフランス人形っぽいですし、これはまた別の様式観だと思います。「日本」は一つではない(かもしれない)ということです。)