フォーキン→サコルスキー→小牧正英:上海バレエ・ルッスの系譜

前に書いたバレエ・リュスの意義についてのお話。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20121008/p1

続報です。大阪音大の井口淳子先生から、11/25の音楽学会での上海バレエ・ルッスについての研究発表のレジュメをいただきました。

発表は、ちょうど私の出たシンポジウムと時間が重なっていて聞けなかったのですが、

(発表とシンポジウムのスケジューリングは微妙なところがあって、これとこれを同時にやったら、お客さんの取り合いになるのでは? が頻出していましたが、誰の意見でこうなったのか、こっそり教えてもらったのでもういいです(笑))

上海バレエ・ルッスとしてフランス租界で興行していた団体にはサコルスキーという振り付け師がいて、彼がフォーキンの弟子を自認していたようです。そして井口先生のお話では、フォーキンがディアギレフのバレエ・リュスを離れてからロシアへ戻っていた時期があるので、そのときに師事したのか?とのことでしたが、可能性は色々考えられそうですね。

いずれにせよ、上海バレエ・ルッスの演目には、「薔薇の精」、「牧神の午後」、「シェヘラザード」、「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、、「カーニヴァル」など、フォーキン時代のバレエ・リュスの演目が並んでいるので、ディアギレフの団体の初期メンバーとつながりがあるのは間違いなさそうに見えます。

フォーキン自身は、スウェーデン・バレエ団の創設にかかわったり、その後は北米でバレエ教師をしたり、ディアギレフの団体での栄光を背負いながらバレエを西の世界に広める後半生を過ごしたみたい。

やっぱり、20世紀のポピュラー音楽(含む映画音楽)はロシア・東欧の楽師が創り、20世紀のダンスはバレエ・リュスが創った、という印象が強まります。

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YouTubeには、カルサーヴィナの映像、というのがいくつかありました。バレエ・リュス時代の写真そのままで若々しいのもあるし、イギリスへ渡ってから「シルヴィア」を踊っているのもある。


英国亡命後のホームヴィデオみたいなのもあって、優雅な生活を送る外交官の奥様って感じがします。こうして、バレエ・リュスの人たちが、良家の子女のお稽古事としての「20世紀クラシック・バレエ」を「創った」んですね。