音楽論のディスタンクシオン(なのか?):ドイツ音楽の「構築性」を語り続ける家畜について

[話の筋は同じですが、言葉遣い等をあちこち変更]

「ナショナリズム」というキーワードで19世紀後半の世界を輪切りにして、国民国家の正体を見極めようという動きが音楽史記述にも導入されて、今ではかつてのように、イタリア、フランス、ドイツの音楽が「ザ・西洋音楽」であると暗々裡にみなしたうえで東欧・北欧・南欧の音楽と音楽家だけを「国民楽派」と呼ぶ、という見方を慎むようになっています。

近代化を成し遂げた列強の「ザ・西洋音楽」とそれ以外の地域の「国民楽派」の区別(ランク分け)が帝国主義時代の版図であるように、「ナショナリズム」の語で世界を輪切りにするのは、EUの理念、国民国家の連合という現在のヨーロッパ像を過去に投影していると思えないこともないですが、

こういう風にものの見方を取り替えることで、「フランスのエスプリ」だの「ドイツの構築性」というのは、「情熱のスペイン」(←アンダルシアのジプシーのことしか念頭にない言い方)や「ロシアの抒情性」(←ペテルブルクの暇を持てあます支配層のオペラ狂いでこうなったと見るべきでは?)と大して違わない異国趣味のレッテルじゃないか、と疑うことができるようになったんだと思います。

で、ドイツ音楽の「構築性」です。

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はっきり言って(と力こぶを入れて言う必要のない音楽論・音楽研究の常識かもしれませんが)、「構築性」などという曖昧な言葉は、個々の音楽を記述・分析する役に立ちません。もし、研究を標榜する人が「構築性」などという言葉をいまだに大真面目で使っているとしたら、よほど迂闊か、ぐうたらで使えない奴、と思ってほぼ間違いないと思います。

「構築性」という概念のどういうところが使えないかというと、主題・動機関連の話なのか、和声や対位法の組み立ての話なのか、音楽をプレゼンテーションする際のレトリックやイントネーションの話なのか、もっと他の何かなのか、それぞれが自分勝手に都合のいいように使えてしまうからダメなわけですが……、

でも……、この文章を書き始めたときにはもうちょっと具体的な説明を色々予定していたのですけれども、考えてみたら、どの道、こういう言葉を使って平気な人は、おそらくそういう詮索に興味がない、というより、本気で物事を詮索して結論を出したくないから曖昧さを弄んでいるのだろうと思うので、そういう人に説明しても余計で無駄なおせっかいということになりそうですから、これ以上のことは説明しません。

以下、この件に関連して、別の思いつきについて書きます。

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まず確認になりますが、こういう言葉を使う人達がどうしてぐうたらに見えるかというと、

こういう言葉は、正体のはっきりしない曖昧な概念であるがゆえに、ああ言えばこう言う、ああも言えるしこうも言える、というように、いつまでのこの言葉を弄ぶことができて、なおかつ、いつまでこの言葉を弄んでいても一向に話が進まないので、汲めども尽きぬ話の泉の代用品として最適であり、なおかつ、根本のところで、「構築的」でないものに帰依した人間が自分とは関係ない他人事として語るわけですから、当事者意識なしに、お気楽に語り続けることができるわけで、おそらく、そういうのが好きなんでしょう。

そしてこの言葉は、気楽な「クラシック音楽語り」の場を連想させます。

仏教が諸事情から数多くの宗派に分かれているように、ドイツ派とか、フランス派とか、イタリア派とか、新興の英米派とか、色々あって、ドイツ音楽の「構築性」という言葉は、フランス派やイタリア派の人達が、「オレたち、ワタシたちは、あれとは違う」という風に線引きするときに使う言葉だと思います。

狂言の「宗論」では、浄土宗と日蓮宗の僧侶が道で出会って、お互いの悪口を言い合って、南無阿弥陀仏の称名念仏と、南無妙法蓮華経のお題目が飛び交いますが、ドイツ音楽の「構築性」だの、フランスの「エスプリ」だのというのは、そういうものだと思います。

選択本願念仏集―法然の教え (角川ソフィア文庫)

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そういえば加賀/金沢というのは、戦国時代に一向一揆を起こした真宗王国だったから、それを抑えるために大物の前田利家が派遣された、ということですよね。いってみれば、レコンキスタでスペインがカトリック原理主義になったようなものだから、あの土地に生まれた人が頑迷に宗教的なのは、仕方がないところがあるのだろうか……。

蓮如 (歴史文化ライブラリー)

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一向一揆と石山合戦 (戦争の日本史 14)

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もちろんだから、このような言葉を使って学問はできないわけですが、でも、この種の曖昧な言葉を使う人達が一定数いてくれたほうが、学者は助かる、という事情はあるかもしれない、と不意に思い至ったのです。

「音楽語り」をワイワイやっている人達の場をターゲットとして、彼らが使う曖昧な言葉をひょいと取り上げ、その実態を最新の学説で解析すればこのように説明できる、と講釈・デモンストレーションすると、論文らしきものが出来上がるかもしれないからです。

実際、21世紀になっても音楽学者さんたちは、周辺にこの種のぐうたらな物言いをする生物が棲息することに対して随分寛容であるように見えます。

おそらく、「食糧に困ったときには解体して食肉として売り飛ばしたり、自分たちで食べてしまえばいい有用な家畜」として飼育されている、ということなのでしょう。

平時には家畜を放牧するようにエッセイだの評論だのを書かせておけば、この種のぐうたらな生物は勝手に生きてます。そして何年かに一度、共著や共同研究に参加させれば、自分たちは家畜ではなく学問コミュニティの一員として人間扱いされている、と思いこんでくれます。

で、調子に乗って思い上がったときには、「で、その構築性というのはどういうことかね?」と質問して、相手が返答に詰まったところで、有難い学問を講釈すればよろしい。これが学者というものであり、ぐうたらな生物を上手に飼育しておくと、学者が自らの立場を確かなものとするうえで色々役にたつわけです。

で、そのような状態を指して「共生」と言っておけばよろしい。

生物学的には何の過不足もなく「ヒト」に分類されている生物が、そのことだけでフルメンバーの「市民」にカウントされるほど世の中がバラ色なわけではない、というのは、だれもが知っている常識に過ぎませんが、

高度情報化社会が生み出す新しい人類として「動物化」とはまったく違う、いわば、田舎の自営農家の家畜小屋みたいなものが、今も音楽をめぐる知的な営みの周囲で運用されているのかもしれない、ということです。

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そして、もう少しこのような音楽学者とルーズな「音楽語り」の共生現象の発生地を特定できないか、と考えてみると、

ひょっとしたらこの「家畜の飼育も学者の仕事のうちである」というのは、京大あたりにいる、代々続いた学問の家の「家の藝」に含まれるノウハウのひとつかもしれない、という気がします。

関西が大切に守っている昔からの風習なのではないか?

(そしてこのような生態系の中で、飼育されるのが嫌だと言って「野犬」になったのが評論家という生物ですから、たぶん、名称が同じでも、東京の音楽評論家さんとは、実体が随分と違うかもしれませんね(笑)。)

以上、これもまた、十数年ぶりに音楽学会に出て、しかも、京都のお寺でやった学会に行って、何やらモヤモヤとした「嫌な感じ」を久々に体験してしまったので、ひとつずつそれを解きほぐす「厄払い」の一環でございます。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

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でも、日本は草木・動物すべてに「仏性」が宿るとする本覚思想の国ですし、こういう風な仏教の独自の土着化の大元は天台宗の口伝法門だそうですから、関西の知識人は、「人間という家畜」を飼育して何が悪いのか、と思っているに違いないし、いっそ、それが正しい日本の姿であると考えているのかもしれません。それが「京都的なるもの」。何故か知りませんが、京都の「学問の家」の人達は、賢いことに飽きているのか、周囲に、うつけ者を置くのが好きらしいんですよね。

で、そういう生き物の飼い方込みで阪大音楽学に口伝法門を授けたのは、奈良の寺の住職で京都女子大学教授だった中川正文先生のご子息、中川真さんだと思います。

民族音楽学系の院生はみんな、長年研究室の助手だった彼を見て育ったし、それとは別に、岡田暁生や伊東信宏といった京都の大学教授の息子たちには、彼らにしか教えない秘伝めいた「学者のコツ」を伝授していたようです。

そして今や、彼が、ポピュラー音楽学会の「アニキ」であるところの増田聡の直接の上司であることは、皆様ご存じのとおり。

(中川正文先生は大栗裕とも色々一緒に仕事をしているし、正文先生が書いた追悼文には、息子の「シンくん」へある事柄を託そうとした病床の大栗裕の言葉が記されています。当時既に阪大の助手だった「シンくん」は、託されたそれを引き継ぐことにはならなかったようですが……。)

サウンドアートのトポス―アートマネジメントの記録から

サウンドアートのトポス―アートマネジメントの記録から

ちなみに私は、彼が助手から京都市立芸大へ転出したあとに研究室に入りましたし、彼との接触は、これまでに会話が2回(他に10分くらい二人だけで札幌の夜道を歩いたけれども双方ともに一切言葉を発しない、というジョン・ケージの「4'22"」のような時間を過ごしことが一度ある、思えば今回私が音楽学会全国大会へ行ったのは、あの札幌での大会以来かもしれない)、あとはメールのやりとりが1回だけで、私は彼の「圏外」に生きております。