先日、たぶん十数年ぶりだと思いますが音楽学会の全国大会へ行って、一番驚いたのは、十数年前にはそれなりに活発に色々やっていた50代の人たちの影が薄いことでした。
そういえば、音楽学から距離を置くようになった十数年前30代半ばの頃には、時間ができたのでパソコン関係のいわゆる「オフ会」に顔を出すことがよくありまして、そこで思ったのは、同世代のカタギの方々は、既に入社10年以上で中間管理職になっていて、わたくしと違って、人生が安定走行な状態(順当に停年までいくとしたら自分の人生はだいたいこんな感じになるのだろう、と先まで見通せている感じ)なんだなあ、ということでした。
同年代なのに、既に家庭をもっている人は「親」モードに入っているし、そうでない場合も、仕事と余暇のペース配分が確立して、遊び方とかお金の使い方とかがとっても安定している感じで、ああ、社会人というのはこういう感じなのか、と思ったのでした。
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当時、こちらはまったくそういうのではなかったわけですが、まあ、音楽などという水物なことにかかわっている以上、そういうものだろう、と思い、以来十年、順当に、一向に落ち着きなくバタバタしているわけです。
で、批評の仕事などをして、日々演奏会で客席などから拝見する音楽家さん、というのは、事実、いくつになっても「水物」を取り扱う感じな方々ですから、こういうものなのだろうということで、今日に至っております。
いわゆる「音楽学者」な方々でも、少なくともそういう場に姿をお見せになる先生方は同様に浮世離れしているのでこういうものなのだろうと思っていたわけです。
が、実際に学会の場へ行ってみますと、何か雰囲気が違うのですよ。
若い方々は、それぞれに目的があってあれこれ動いていらっしゃったのでしょうが、同年代(以上)の人々の休憩中などの会場での動き方が、たとえば、コンサートホールのロビーでの、限られた時間にそれぞれの人たちがくつろいだ雰囲気を保ちながら手早く必要な人と必要な会話をしながら過ごす鮮度の良い時間の流れではなくて、何か滞留している感じだったのです。
鮮度の良い情報が流れるのではなく、同窓会っぽく既知のものがぐるぐる循環している感じであるとも思えるし、
「仕事」から解放されて、気持ちが緩んでいる気配があり、それで三十代半ばの頃に見聞した「オフ会」を思い出してしまったのでした。
社会人は30代で安定走行へ入り、学者もまた、ひと回り遅れるけれども40代半ばあたりで安定走行(退職までの道を見通して、自分の人生はこれくらい、と収支決算が見えてくる状態)になるものなのか、ちょっと早すぎるんじゃなかろうか、と、思ってしまったのでした。
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秋ごろ、とある場で、「音楽評論家で40代はまだまだ駆け出しなんでしょう?」というような話になったことがありました。(だから、どんどん仕事してください、今度のこの件もよろしく、というような含みのある文脈。)
で、私はちょうど、先般ご紹介した「悪太郎」の解説をまとめる仕事の最中で古典藝能のことをあれこれ調べていた時だったし、例の文楽問題の余韻さめやらぬころでもあったので、
「文楽の大夫さんみたいなもので、70歳でやっと一人前と扱ってもらえるみたいですねえ」
と言ったりしていましたが、
現実問題として、医療が進歩してヒトはそう簡単に死にませんから、40代で「人生のしめくくり」とか考え始めると、あとさらに40年くらいあるのにどうするんだろう、と思うのです。
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バルトークやシェーンベルクが私たちの知っているバルトークやシェーンベルクになるのは、ようやく40歳くらいからです。
吉田秀和が1953/54年の欧米視察の旅へ出たのも40歳頃ですし、我らが恩師谷村晃が音楽学講座を新設するというので阪大へ来たのは1976年ですから49歳。あの人は、それからインドネシア語を勉強してガムランのことをやったり、阪大の最後の頃は、これからは東欧だ、と言ってチェコ語を覚えようとしたりしていました。
そんな偉い人たちのことを引き合いに出しても仕方がない、という考えもあるでしょうが、そうじゃなくて、やっぱり単純に、20世紀になって人は長生きするようになったということだと思うんですよね。
「結論を急ぐ」というのは、いわゆる成果主義の特徴のひとつだと思いますが、人生で結論を急ぎすぎると、若ボケしてしまうのではないか。
音楽学会、大丈夫か?
と、失礼ながら、ちょっと心配になったのでした。
まして、まだ40歳になるかならないかの講師や准教授が、「今の若い人は知らないだろうけど」を口癖にして、どうにか優位を保とうとする、というのは、めちゃくちゃ「くちばしが青い」、「ガキのくせに、背伸びをしすぎ」と言わざるを得ないのではなかろうか(笑)。
30代、40代が早々と我が身の「守り」に入っちゃったら、そら、若いもんは上がつかえて窮屈だから、言動も多少は不自由になることでしょう。
1990年代2000年代に史上最も要領よく学位とポストを得た世代は、こうして世の中の「お荷物」であり続けるのか?!