普通の国の住人の《》の使い方

[11/29追記あり]


[……]
2) 以下、言及している対象が存在論的カテゴリーであることを明確にする場合、二重山括弧《》を使用する。

imaijaspm2011.pdf - Google ドライブ

今井晋氏が独自にそうしているのか、ポピュラー音楽学会の書式規定が最初から奇妙な《作品名》という表記ルールを採用していないということなのかは知りませんが、二重山括弧《》が、本来の強調の用途で使われて、しかも、論旨からいって強調されるべき文言が強調されることになるわけだから、すっきり納得できる方針ですね。

作品概念をめぐる増田vs今井プロレスの勝敗の行方には一切興味がないけれど、

《》という記号の用法という点において、この記号に特別な意味を付与しようとする人々などこの世に存在しないかのように自著を「」と『』だけでやりくりする増田聡は20世紀後半のニッポンの専守防衛(「平和」の二文字を唱えつづければこの世から戦争がなくなると信じているような)を連想させて、

その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権

その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権

使えるものは《》でも何でも使う今井晋は21世紀風にアグレッシヴなのかもしれません。

よく知らないけれど。

[以下、11/29追記]

つまり、万年野党で理想論を言ってればいい、という意識が抜けない人と、政権党として何にどこから手を付けるか、と現実を動かしたくてたまらない人の差異を感じます。

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で、私が今井晋クンに質問したのは(答えは返って来なかったけど(笑))、

次世代の指導者様は、気に入らない奴を虫ケラのように粛清して何も感じない専制君主の資質を持っていたりするのだろうか、だったら恐いから、今のうちに探りを入れておこう、の意味です。

東大生は、頭は良いけど世界が狭いから、東大生だけで固まって、東大生以外を人間じゃないと考えている、というのは、世の中の基本常識。

彼らが、気に入らない人間を闇に葬る秘密警察とかテロリストとか裏社会のボスさんみたいなのと手を組んじゃったら、それはもう、その国には住みたくない、みたいな社会になるのは間違いないわけで……。

かつて山口修が、渡辺裕や根岸一美を招いて作り上げた東大の大阪出張所みたいな場所は、そういう種類のディストピアだったわけです。(個人として彼らが善人か悪人か、とは関係なく。)あれが全国展開したら嫌だなあ、と私はずっと思っているし、偉い人たちの人事とか人間相関図に関して、私はそこくらいしか興味はないです。

渡辺裕が次の会長に決まって音楽学会での東大の地位は安泰なので、次の獲物はポピュラー音楽学会だ、みたいな話なのでしょう。つまらんことです。

大統一理論みたいなことばっかり言っていた吉田寛が京都在住のゲーム学者に転身して、「聞く/聞かせる」のモードに留まるかぎり人間は司祭の奴隷でいるしかなくなるよ、というニーチェのアンチ・キリストとフーコーの牧人支配論の抱き合わせみたいなことを言うようになったのだから、世の中、悪いことばかりではないわけだが。

(ちなみに、「○○ゲーム論」(○○には任意の行為を代入可、音楽とか言語とか)というのがすべて胡散臭いのは自明ですが、ゲームをゲームとして論じることはきっと大切なことなのだろうと思っています。子供の頃に囲碁にハマったところで止まっていて、ゲーム観はそこからまったく更新されていないので、年寄り臭いことしか自分では言えそうにないですが、

それでも、「定石」という「型」にしがみつくのがゲームの楽しみ方としてつまらない、というところから、「聴く型」とか、和声法・対位法とかにしがみつく人の限界を類推することくらいは当たり前にできるわけで。

対位法の変動・新音楽の胎動 ルネサンスからバロックへ 転換期の音楽理論

対位法の変動・新音楽の胎動 ルネサンスからバロックへ 転換期の音楽理論

音楽理論は普遍ではなく歴史だ、という戦後教育を受けて育ったので、私の対位法に関する興味は、このあたりのパラダイム転換の実際がどうだったのか、というところに尽きています。その後の歴史は、他人に手取り足取り教えてもらわなくても、自力で楽譜を読んだら(=偉い人の「声を聞く」ことをしなくても、自分でプレイしたら)大概のことは当たりが付くのだろうと思っている。私にはそれで十分だ。

「型」の運用の彼岸に存在と存在者を探る、という分析哲学めいたピューリタンの神学はよくわからん。すべてが嘘、フィクションのような気がします。

そんなもので世界を覆い尽くそうとする知性は、根本的に信用しがたい。)

【お知らせ】(18:00追加)
この文章における今井晋は虚構のキャラクターであり、実在の今井晋(とは誰か)とは無関係です。

参照:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20121212/#add