ワーグナーの音楽史における意義とオペラ史における立場は、区別して考えた方がうまくいきそうな気がする。
サウンドによる作品、とそれを成り立たせる技術(四音和音とか改良楽器の積極的使用とか)は、オペラ史というより、音楽史全般に関わるトピックで、ここに着目してワーグナーは「モダン」(今と地続きの時代)を開いたという風に言われるが、
北方神話で地中海に対抗しよう、のロマン主義とか、「音楽の散文」(いわゆる無限旋律)とか、回想動機の数を増やしてサウンドの海を泳がせると質的に別の体験が可能になる(=ライトモティーフですな)、というのは、オペラ史のトピックだと思う。
で、なるほど彼の音楽劇の出現で、オペラ史における「ドイツ流」はイタリア・オペラから枝分かれしたことが明白になるわけだが、そういう「オペラ史のなかのワーグナー」(=ドイツ派のキーパーソン)と、「音楽史のなかのワーグナー」(=「音楽史の現代」のはじまり)は、別々の事柄であって、
「ドイツ流でなければ、音楽史における現代は開かれない」
などという風に両者を混濁させると、おかしなことになる。
……という発想で「ワーグナーのドイツ」をもう一回、眺め直すと、どうなるのかな。
書斎の議論と劇場の議論を分けて考えたほうがいいだろうという年来の思いを、こうするとワーグナーに具体的に適用できそうな気がするのだが。
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こんな風に、「オペラ史」はワーグナー(ドイツ)を切り離した状態でも論述可能なのだから。