外交音痴:TTPをTAPから類推してはいけない

「現代思想」の生き残りみたいな人たちは、20世紀末の「canon批判」のアップデート版として「権威批判」とか「卓越性全般への敵意」という観念を設定して、これが今後の日本でさらに過激に進行するであろう、と予測しているようだが、

そこには、北米の環太平洋戦略(TTPですな)と北米の環大西洋戦略(誰もそんな言葉を使わないが、私はTAPという言葉を提唱したい)の混同があると思う。

http://tsiraisi.hatenablog.com/entry/20160424/1461462567

「権威批判」や「卓越性全般への敵意」のような予測を口にする者は、しばしば、『批評空間』風現代思想を減価償却できない中古品として使い続けていたりするようで、たとえば、SEALDsはラップだ、みたいな見立ては、そのような中古品を研究室で使い続けた大学の先生とその周辺が導き出した、わかりやすい誤作動だと思う。

http://tsiraisi.hatenablog.com/entry/20160428/1461853603

東浩紀とその仲間たちが、『批評空間』とのリンクを一度切ったところで「日本」を語ろうと試みて、90年代を「消費税という間接税の時代」であるとか、「○○の主体化」の○○に次から次へと粉骨化したゲロゲロ(と思われてきたもの)を代入した時代であった、とかいう風に言うのは、環太平洋と環大西洋は別の空間だよね、というところにたどりつきそうな気がする。

環大西洋のロジックを、そのまま環太平洋に持ってくるのは、現実の政治として考えても、「外交音痴」ですよね。

環大西洋と環太平洋が連動し得る、というのは、おそらく、「東西冷戦」という枠組で、中東欧の「壁/鉄のカーテン」と朝鮮半島の「38度線」を類比できたからだが、もはや欧州と朝鮮半島の間に、そのような類比は成り立たなさそうだ。今の総理は、後者を「環日本海」問題とか「玄界灘」問題とか呼べそうなアングルで切り出すことによって、政治家としての足場を築いたと見ることができそうだし……。

[私には、「アベワ、ヤメロ」が東国の音頭に聞こえる。和製ラテンだったかもしれない瀬戸内海文化圏のだんじりの腰の軽さとの接点すら感じられない。今の総理が西国、長州を地盤にする政治家で、彼に浴びせられる罵声が東国風なのは、明治維新の図式に引きずられたものの見方で、単なる偶然かもしれないけれど。]

参考:http://tsiraisi.hatenablog.com/entry/20160220/p4