ショパンとスクリャービン

小学生の頃、団地の別の棟に住んでいた先生にピアノを習いはじめたのは、妹が習いたいと言うので「だったらついでに」ということに過ぎず、はじめてみると凝り性なのでそれなりに進歩したが与えられた曲を次々こなすゲームや遊びのようなものに過ぎなかったので、先生から「今度の発表会で弾きたい曲はないか」と聞かれても、与えられた課題以外何も知らないのでそう答えると、先生に随分びっくりされた。

私としては、先生がびっくりするのが逆に驚きで、「音楽というのは、ただピアノを弾いてそれで面白がっているだけの遊びではなく、色々な曲を聴いて、そのなかから自分なりの好みを見つけるものなのか」とそのときはじめて知った。

それからFMでクラシック番組を聞くようになったので、私にとっては、音楽というのは弾くのが先で、聞くのはあとから人に言われて覚えたに過ぎない。

(吹奏楽も、吹くのが先で、そのうち指揮をさせられるようになったが、あの世界は、今でもなかなか、人の演奏を聴かないですね。聴衆の権利、みたいなことを主張する意見がいまいちピンとこないのは、こういう育ち方のせいかもしれない。)

少しずつクラシック音楽/音楽史の様子がわかった頃、午前中の番組をリアルタイムに聞いていたから学校が休みの時期だと思うが、ラジオで2日がかりでショパンの生涯をたどる番組があって、初日はただ聞くだけだったが、2日目はラジカセで録音した。

バラード第4番といえばコルトー、マズルカといえばルービンシュタイン、ソナタ第3番はペルルミュテール、と思ってしまうのはその番組の録音テープを何度も聞いたからだが、そのとき、op.55-2のEs-durのノクターンも、誰の演奏だか覚えていないが、ラジオで流れたのを聞いた記憶がある。

ショパンのノクターンのなかで、最初に知ったのは後期のEs-dur、ということになってしまって、この曲のことはずっと気にかかっているのだけれど、なかなか誰も弾かないんですよね。

この曲のめくるめく感じはノクターンの趣向としては例外的で、いわば「特別な夜」の音楽なのだろう、どういう種類の「特別な夜」なのか、というと、上声のメロディーに、現れたり消えたりする形で内声の第2の声部が絡みつく書法がそれを示唆していて、これはつまり、「二人がほぼひとつに融け合ってしまうような状態の夜」ということなのだろう、ということがわかってきたのは随分あとだ。

(人から紹介されて、院生時代にショパンの曲を有閑マダムと一緒に楽曲分析する不思議なアルバイト(家庭教師?)をしていたことがあって、24のプレリュードを1曲ずつ見たりしていたのだが、さすがに、このノクターンをそこで取り上げる勇気は、わたくしにはありませんでした。逆に言うと、その頃は既にこのノクターンがどういう曲なのか、理解できていたことになる。京都新聞の記者から、批評を書いてみないかと言われたのは、この有閑マダムのご自宅の近所の喫茶店だったので、1994年か95年のことになる。)

たぶん、スクリャービンはショパンのこういう書法の意味がわかっていた人で、スクリャービンの官能的なピアノ書法はショパンの先にあるんだと思う。

19世紀のピアノ音楽にはベートーヴェン派とモーツァルト派があって、そもそも手の構えからして違う。リストは前者でショパンは後者。さらに言うと、ベートーヴェン/リスト系のピアノのつかみ方は、機能(コードネーム)でハーモニーを捉える(つかむ)ワーグナー流の発想と親和性が高いだろうし、ショパン/スクリャービンの減衰する残響をポリフォニックに制御する書法は、ブラームスとは違ったやり方で通奏低音の延長でハーモニーを捉えているように思う。

そういう大きな構図を作っておくと、スクリャービンにつながるものとしてショパンのop.55-2を公然と解説しても大丈夫かもしれない。

そう思って、スクリャービン自身のピアノ・ロールのCDなどを使いながら授業を組み立ててみたら、それなりに話がまとまった。

時と場合を選ぶ話題なので、そう何度もあちこちで話すことはこの先もできないだろうが、積年の宿題を、またひとつ解決した思いである。