京都市交響楽団第500回定期演奏会(の演奏評)

5/12に行われた京響500回目の節目の定期演奏会(京都コンサートホール)。「京都新聞」に批評を書きまして、予定通りであれば、本日の夕刊に出るようです。(出ていなかったらごめんなさい。私自身は京都に住んでいないので、あとで掲載紙を送っていただくまで確認できないのです。)

常任指揮者、大友直人さんの指揮で、モーツァルトの交響曲第41番とR. シュトラウスの「アルプス交響曲」。演奏についての感想は、興味のある方はなんらかの形で掲載紙を入手してご覧下さい。

シュトラウスの音楽のなかで、アルプス交響曲というのは家庭交響曲と並んで、音楽が立派なわりに題材が陳腐(=内容と表現がアンバランス)な作品ということになっていて、私もそういう印象を持っていたのですが、今回は、この曲を面白がる切り口というのがあり得るかもしれないな、と思いながら聴いていました。

タイトルから明かなように登山の音楽で、曲の構成は「夜明け→登山→山頂→下山→夜」。山頂を中心とするシンメトリー。音楽自体が「山の形」になっています。時間経過も夜から次の夜までの一日の出来事という設定で、太陽が、登山にあわせて昇り、沈んでいくんですね。

で、聴いていると、前半の登山の描写はロマン派風で、後半の下山は、嵐になって映画音楽風の特殊音響効果のオンパレードになる。まるで、山頂を境にして、時代が19世紀から20世紀へ転換したかのようにスタイルが転換して、前半が「交響楽」風に格調高く時間が推移するのに対して、後半はジェットコースター・ムービー風に一気に進むんですね。

オペラ作家としてのシュトラウスは「サロメ」と「エレクトラ」で時代の最先端を突き進んだのだけれど、シェーンベルクが無調に突き進んだ1910年代に、いわば急ブレーキでUターンして、無調への橋を渡らなかった、それが「薔薇の騎士」と言われるわけですが、この交響詩も、時代の転換にどういう風に対処するかということを考える中で出てきた曲なのかな、と思いました。

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京響は、昨年夏の創立50周年記念定期でシェーンベルクの「グレの歌」をやりました。これも、19世紀から20世紀をまたいで書き継がれた作品ですから、今回の500回定期のシュトラウスとあわせると、20世紀の初めに対照的な態度を示した二人の作曲家の作品をセットで取り上げたことになりますね。

前の前の常任指揮者の井上道義さんが20世紀の作品を積極的に取り上げた時は、一時お客さんが目に見えて減ってしまったりして大変だったようですが、京響もようやくもう一度20世紀のほうへレパートリーが広がっている、山を少しずつ登っているということでしょうか。