大栗裕「弦楽のための二章」、「オーボエとオーケストラのためのバラード」、「赤い陣羽織」

今日中には仕上げたいと思っている原稿があるので、大阪センチュリー交響楽団の件はあと回しにして、簡単にいよいよ明日に迫った大阪フィルによる「大栗裕の世界」(いずみホール)のこと。

http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20080415

「どんな曲だかよくわからないから……」という方のために少しだけ情報提供。
●「弦楽のための二章」

この曲の成立経緯は、『大阪フィルハーモニー交響楽団60周年記念史』に出ています。この本をお持ちの方は33頁、天王寺商業の後輩で指揮者の泉庄右衛門さんの「大栗先輩の思い出」をご覧下さい。ここで、「エネスコの弦楽合奏曲スコアを徹底的に探求して」書き上げた、と回想されているのが「弦楽のための二章」。大栗裕は、「大阪俗謡による幻想曲」が1956年にベルリン・フィルで演奏された時に、「バルトークに似ている」などと評されたりもしたわけですが、ご本人も、民族的な素材を用いた作曲家を研究していた。それに、ホルン出身の(いかにも吹奏楽に編曲したら効果的な)パワフルなオーケストレーションのイメージが強いですが、弦楽合奏にも挑戦していたのですね。そんな知られざる一面がわかる曲、と思います。国内では、初演以来、久々の再演。

●オーボエとオーケストラのためのバラード

タイトルは「オーケストラのための」となっていますが、編成はオーボエと弦楽合奏(弦五器)です。この曲の成り立ちについては、泉庄右衛門さんの、ちょっとびっくり、のご説明を大フィルの事務局を通じて教えていただきました。これについては、当日プログラムの曲目解説をお楽しみに。書いてしまっていいのかちょっと自信がないのですが、おそらく「日本初演」です。楽譜を見るかぎり、これも、大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」とは違った一面がわかる曲だと思います。この曲がどんな感じになるか、とても楽しみにしています。

[追記]大フィル公式サイトに、曲の解説が追加されていたんですね。(くまぞう雑記帳さんhttp://kumaz.blog57.fc2.com/blog-entry-143.htmlの追記で今気づきました。)そうなんです。どうやらこの曲は、ベルリン・フィルのローター・コッホ(!)から朝比奈隆を通じて大栗裕に委嘱された曲らしいのです。コッホがどこで演奏したのか? コッホはその後ベルリン・フィルのメンバーとして、あるいは室内楽メンバーとしてたびたび来日していますが、はたして大栗裕と直接会う機会があったのか? 等々、現状では詳細を突き止めることまではできていなくて、物証がみつかっていない状況なので研究者的には事実関係を断定することまではできないのですが、カラヤン全盛期のスター奏者と大栗裕の間にそんな縁があったなんて、本当にワクワクさせる話でしょう。そういう意味でも、聞き逃せない作品だと思います。[追記おわり]

●歌劇「赤い陣羽織」

これは理屈抜きに楽しめる喜劇。わかりやすすぎるくらいわかりやすいお芝居なので、予備知識はいらないでしょう。間違いなく、誰が観ても楽しめる曲。逆に、わかりやすいが故に軽くみられているのが残念だなあ、と思うくらいです。

なので、ここでは、初演当時の関係者がオペラ創作に賭けた意気込みみたいなものをちょっとご紹介したいと思います。初演を指揮した朝比奈隆がプログラムに寄稿した文章です。

日本民族の新しい演劇 朝比奈隆

現代の日本の大衆のために何か新しい演劇の様式が生まれなければならないということは長い間私たちの夢であつた。
それは所謂「新劇」ではなくて日本民族の生活と歴史、また数百年の間に発展して来た日本の古い演劇 -- 歌舞伎は勿論、能、狂言その他の舞台芸術を含めて -- の伝統の上にしつかりした根を下ろしたもの、そんなものを考え続けて来たのである。
オペラの仕事に携るようになつてからは別の意味から、この「新しい演劇」への憧憬は熾烈なものになつた。
「ヨーロッパの言語と劇作法の上に組立てられた音楽劇」というオペラの現実は私たちを途方に暮れさせた。少しでも適切に劇的で音楽的な訳詞を作る為に多年懸命の努力を尽したが、所詮限界の壁が固いし、本当に大衆と哀感を倶にするものなるには程遠い感は否めなかつた。
日本の言葉、日本の脚本、日本の音楽、そうして創り上げられる舞台はどんなにか生命に満ち本当に民族の心を揺り動かすであろうかと夢見たのである。
偶々「お蝶夫人」の上演を機として直接、日本古典劇界の方法と技術を閃見するに及んで夢は勇気を伴う信念に変つた。
武智さん[初演時の演出家]からの創作歌劇の提唱はまことにその機に合したもので直ちに私たちは腕を組んで立上がつた。有能な若い作曲家たちも陣営に投じ、早くも半年で今日こゝに二つの作品を舞台に乗せるまでに運んだ。止る処を知らぬ武智鉄二氏の意欲と才能がこの仕事の最も有力な推進力であることは勿論であるが、その又背景に厳として立つ日本演劇、数世紀の伝統と蓄積が力強く私たちの作品と大衆とを結びつけてくれることを確信する。

晩年の朝比奈さんからは想像できない熱い文章。

当時まだ40代の朝比奈さんが、本気でオペラに入れ込んでいた時期に生まれた作品。今でもときどき演奏される演目ではありますが、大フィルが採り上げるのはに久々なのだそうです。

●「大阪俗謡による幻想曲」をどうしてやらないの?

大栗裕といえば「大阪俗謡による幻想曲」。80年代には吹奏楽コンクールの超人気曲だったようですし、大フィルもこの曲をやればよさそうなものですが、昨年の「関西の作曲家によるコンサート」にも、今回の「大栗裕の世界」にも、「俗謡」は入っていません。「やれば吹奏楽関係とかお客さんが入るだろうに」という声が聞こえたりもしますね。

大フィルさんの真意は、もちろん部外者の私にはわかりません。

ただ、最近色々調べて気がついたのは、朝比奈・大フィルは「俗謡」を楽団の大きな節目にしか演奏していない、ということです。大きな舞台に大フィルが「関西代表」的な位置づけで出演する時とか、楽団創設以来の大事業に打って出るとき、などです。

曲のほうも「俗謡」の序奏は雅楽ですし、たぶん、特別なときに演奏する「式典音楽」という意味合いがあるんじゃないかな、という気がします。冠婚葬祭のための「紋付き羽織袴」みたいなもの。

そんな晴れがましい日が来るまで、今はぐっと我慢。

「俗謡」を安売りしないのは、むしろ、大フィルの見識なのではないか、と私は思っています。

いつか再び「俗謡」が晴れがましく鳴り響くにふさわしい日が来ることを待望しつつ、4/15はいずみホールへ集まる。ということで、みなさま、いかがでしょうか?(宣伝)