東京交響楽団オープニング・ナイト

相変わらず原稿が滞っていて泣きそうです。各方面、本当に申し訳ありません。新年度の行事が続いておりますが、寝ている間と、人に会っている間以外は、原稿完成へ向けての作業に費やしております。あとちょっとです。どうぞよろしくお願いします。

さて、東京交響楽団の2008年シーズンテーマは「シューベルト・チクルス」。そのオープニング・イベントが4/9に行われる(http://www.tokyosymphony.com/concert/20080409special.html)ということで、東京交響楽団の月別プログラム集(という位置づけで良いのでしょうか?)の『SYMPHONY4月号』に、「シューベルトの後世への影響」というお題で寄稿させていただきました。
ユベール・スダーンによるシューベルト・チクルスという企画が東京の音楽界でどういう位置づけなのか、私にはよくわからないのですが、こういうテーマで書かせていただく機会はめったにないことだと思って、知っているようで知らない(かもしれない)シューベルト受容史の概略に興味をもっていただけるよう、私なりに頑張ってまとめてみました。

今年はゴールデンウィーク中の「熱狂の日」のテーマもシューベルトなんですね。

リストによるピアノ協奏曲版「さすらい人幻想曲」が著名ピアニストによって数日の間に何回も演奏される、というはほとんど暴挙だと思うのですが(おそらく、過去百年間でこの楽譜が演奏された総回数を、この数日間だけで上回ってしまうのではないでしょうか(笑))、そんなリストの数々の編曲や歌曲のオーケストラ伴奏編曲がどうして19世紀に出てきたのか。そして、前衛運動が一段落した1970年代に、ヨーロッパの作曲家たちがシューベルトを自作に引用したのは、どういう含みがあったのか。ひょっとすると、参考にしていただけるかもしれないと思ったりもしております。

「作品」の「由来と背景」の「詮索」などという「規律訓育型」の音楽談義は、21世紀のメトロポリスにクラシック音楽を溶け込ませる「環境管理」の磁場の強力な発信源として名高い音楽祭には、およそ似つかわしくないということになるのでしょうけれど、そして、「だからクラシック業界の人は……」という格好の踏み台になってしまいそうではありますが、もしよろしければ、ご覧くださいませ。

[追記 2009/7/18]上記エッセイ、ここにアップしました。→http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/tso20080409.html