演出いろいろ、大栗裕「赤い陣羽織」(武智鉄二/井原広樹)、ウェーバー「魔弾の射手」(シュテークマン)、モーツァルト「フィガロの結婚」(グート)、ヴェルディ「アイーダ」(コンヴィチュニー)

大阪も東京も演出が話題のオペラが相次いでいますね。

大阪では(=50回目になった大阪国際フェスティバル)、ザルツブルク制作をもってきた「フィガロ」が一昨日(4/20)に終わりまして、既に東京で話題になっているコンヴィチュニーの「アイーダ」は今夜です。

とりあえず「赤い陣羽織」(4/15、いずみホール)と新国立劇場の「魔弾の射手」のこと(←大幅に加筆・追記しました、そしてさらにもう少しリンクなど追記)など。

[追記]「フィガロ」のことも書き足しました。[追記おわり]

[さらに追記]コンヴィチュニーの「アイーダ」のことも書き足しました。[さらに追記おわり]

●「赤い陣羽織」

批評を「関西音楽新聞」に書く予定になっているので簡単に。

幕が開くと、金屏風こそありませんでしたが、中央に高い高い脚立があって、その下に四つんばいの「孫太郎」(台詞のない馬の役です)。この数ヶ月の調査中に、何度となく過去の舞台写真でみてきた初演時の武智演出と同じセットですね。第3場には、レコード(朝比奈さん没後にCD再発売された)のジャケットにもなっている、あの赤い「門」(という漢字を巨大化した門←意味わかりますよね)。もうこれが出てきた瞬間に滂沱の涙でございました。

所作を含めて、かぎりなく初演・武智演出に立ち返った演出だったようです。そして初演演出でやると、古典芸能のテイストを盛り込みつつものすごくモダンになる。(鈴木忠志の遠い源流みたいな感じのところもある。)そういう演目なのですね。

●「魔弾の射手」

[最初に書いた文章を一部削除のうえ大幅に追記・加筆しています]

新国立劇場の公演。本番は観ていません。あちこちに書かれている感想を読んだだけなのですが、ひとことだけ。

 序曲が始まる前に、台本にはなかった隠者の庵の場面が設定され、そこで隠者とアガーテがすでに知己の関係にあることが描かれる。アガーテはしばしば、隠者の生活に必要なものを時に届けに来ていることになっている。演出はマティアス・フォン・シュテークマン。

東条碩夫のコンサート日記 2008年04月10日

どうやら今回の演出はアガーテと僧侶(終幕にだけ出てくる)が知り合いであったことを示す場面が最初に付け加えられているらしく、私が目にしたかぎりでは、これが演出家のアイデアと思った方も少なくないようなのですが、事情はもうちょっと入りくんでいる気がしますたぶんこれは、ウェーバーがカットしたキントの台本の序幕を復活させたということなのだろうと思います。(プログラム等には、そうした説明はなかったのでしょうか?)

たぶんこのアイデアのそもそもの「タネ」は、フリードリヒ・キントが書いた台本じゃないでしょうか。

 とはいえ、この隠者が冒頭で悪夢にうなされ悲鳴を上げているというのは、いささか頼りない。

東条碩夫のコンサート日記 2008年04月10日

というところを含めて、台本どおりっぽい気がします。

以下、カール・ディートリッヒ・グレーヴェ(『魔弾の射手』名作オペラ・ブックス15、音楽之友社、15頁)の説明より。

台本では元来、隠者の2つの場面から始まっていた。そしてこれら場面では、〈聖なる〉局外者こと、魔性に満ちた霊界をあやつる〈白い〉魔法師が、心悩ます悪の幻影を見て、また災いを恐れた。そしてアガーテとは、父と娘のような親密な仲とさえなるのである。

要するに、キントの台本は、キリスト教(隠者)=善良、悪魔=悪者というわかりやすい勧善懲悪ではなくて、僧侶(白いバラをもつ、いわば「白い」魔性)と悪魔(薄暗い狼谷に巣くう「黒い」魔性)がせめぎあっているという世界観だったのだと思います。

基本的には、ウェーバーもこの世界観を受け入れていたと思われます。例えば序曲の序奏は、前半がホルンの「お祈り」、後半がその後のオペラにも度々現れるトレモロの「悪魔」で、両者が拮抗しています。

しばしば、長くて冗長とされる終幕(カスパールが死んだあとのやりとり)も、「キリスト教=隠者が勝って当然」という世界観ではなく、最後の最後まで、どの立場に決着するかわからないということで進行しているのだと思います。

(様々な立場=キャラクターの応酬が、現代の感覚ではやや不器用な感じでなされるのは、ウェーバーの頃のドイツ・オペラに、複製芸術論で有名なワルター・ベンヤミンが受理されなかった教授資格論文「ドイツ悲劇の起源」で論じたバロック悲劇(哀悼劇と訳したほうがいいのかもしれませんが)のような、リアリズムの性格悲劇以前の、自立した個人の対立ではなく、寓意がせめぎあう一種の運命劇の様式が残っていたからであるとされているようです。「新劇」風の近代リアリズム演劇ではなくて、役の型が舞台上で次々示される「歌舞伎」風なところが残っている出し物、という風に考えればいいのではないでしょうか。)

冒頭の隠者とアガーテのシーンをカットするか否かは、キントとウェーバーの間で激しく議論されたようです。

再び名作オペラ・ブックスから引用。

ウェーバーの妻、カロリーネも、舞台演出の点からも、こう忠告していた。「この場面を取り除くべきよ。民衆オペラの開始なら、民衆の生活を求めては」。これに対してキントは、隠者をストーリーの〈礎石〉として理解しようとし、ハッピー・エンドのためだけに登場させられる〈味のない作りものの神〉とは、認めたくなかったのである。

これだけだと、ウェーバーは、奥さん(自分が指揮者をしている劇場のプリマ)の言いなりで(ありがち)、観客への「ウケ」を重視して台本を切り刻んでも平気だった軽薄な人みたいですが、舞台における作品の「統一」とはどのようにして確保されるべきか、とか、オペラという演劇ジャンルにおいては何が重要なのか、とか、背後にはかなり大きな問題が隠れている、というのが最近の説です。

歌舞伎でも、全幕通し上演のほうが異例ですし、映画だってリアリズム一本槍で筋の一貫性が常に確保されているわけではないですよね。ストーリーの整合性を金科玉条にする近代精神は、ひょっとすると、お芝居を貧弱にやせ衰えさせてしまうのではないか。これは、オペラ演出でも常に問題になるところですね。

(一見、他愛のないおとぎ話みたいな「魔弾の射手」が生まれる過程で、関係者は、けっこう根深い演劇・オペラの根本問題についての決断を迫られていたわけです。最近、わたくしは「赤い陣羽織」をはじめとする関西の創作歌劇が生まれた過程を追いかけつつあるわけですが、関係者が直面している問題の根が深くて、それにもかかわらず、出来上がったものは、観ようと思えば、すっと観れてしまう、というところに、似通ったものを感じております。性癖として、そういう風に、見えなくなってしまっている問題を掘り起こすのが好きな人間なのでしょう……。)

閑話休題。ともあれ……、

[追記おわり]

キントの台本はアガーテと僧侶の会話シーンではじまっていて、それが白いバラなんかを含めて結末の伏線になっていたはず。(このあたりのことは、音楽之友社の名作オペラ・ブックスなどにも出ていたと思います。)映画の「タイトル前」みたいな感じのシーンで、物語としては、この場面があったほうが筋が通るのだけれど、ウェーバーの判断でカットされたようです。ウェーバーは、幕が開くといきなり銃がパンパン鳴って、村人の「Victoria」の歓声が弾ける「ツカミ」、スタートダッシュが重要と考えたのですね。

その結果、「椿姫」の開幕にも負けないくらいの、あのはじけるような第1幕冒頭が生まれた。オペラには筋の一貫性より大事なものがある、とか、ウェーバーの舞台人としての洞察力が発揮された判断、などと評されるエピソードです。(ウェーバーのこの英断がなければ、カルロス・クライバーのデビューCDの目の覚めるような効果もなかったわけですね。ウェーバーに感謝。)

そのウェーバーがカットしたプロローグをわざわざ復活させたうえで、さらに「読み替え」的にリミックスする。私がみかけた感想から判断するかぎりでは、新国(二国?)の演出は、そういうマニアックな処理だったように思えます。[カット部分を芝居としての復活させた今回の新国立劇場の]結果が成功だったのか失敗だったのかは、舞台を観ていないので私には何も言えませんが。

[もうすこし追記]
「魔弾の射手」の時代は17世紀「三十年戦争後ボヘミア」という設定で、日本で言えば江戸時代初期、「火縄銃」が文明の利器だった時代です。「隠者=白い魔性」と「悪魔=黒い魔性」の中世そのままみたいな世界に、狩人の鉄砲という「近代テクノロジー」が入り込んでいるドラマなんですね。(そしてさらに、シェローの「Regie-Oper」風に考えれば、ウェーバーのオペラが生まれた19世紀は鉄砲の改良&歩兵による軍備近代化の時代だったようです。

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代

そもそも「魔弾の射手」の1921年ベルリン初演はワーテルローの対ナポレオン戦勝記念の日か何かだったはずで、「鉄砲」にはさまざまな意味をまとわりつけることが可能だと思います。)

「百発百中」でなければならない狩人の「近代的な使命感」については、Classica What's Newの「魔弾の射手」その2をどうぞ。

「狩人の村にも近代化の波」とか、逆に、「狩人の村を近代から保護せよ」とか考え始めると、悪魔ザミュエルが司令室で村の様子をモニタリングしているコンヴィチュニー演出の「魔弾の射手」に似てきますね。そういう風に考えたくなる素材のつまったオペラではあると思います。ロマン主義って、もともと、文学・芸術における「近代派」ですからね。

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

[もうすこし追記おわり]

●「フィガロの結婚」

DVDになっている(私はNHK-BS2で観ました)ザルツブルク音楽祭のアーノンクールが指揮した公演と同じ演出ですね。

伯爵とスザンナがこのオペラの舞台で演じられる「狂った一日」のずっと前から深い関係で、第2幕にはかなりはっきりした性描写もあるのだけれど、すべては堕天使ケルプの仕業であって、しかもケルビーノは堕天使の分身である。(だからケルビーノの最初の登場は、ケルプと双子のようにそっくり同じ動きであって、すべてが解決して全員が「真実の愛」に「目覚める」と、堕天使が逃げ去って、ケルビーノは生気を失い倒れてしまう。)

舞台上には、オリジナル台本にはないことが矢継ぎ早に起きて、そこには色々と周到な説明がつくようになっているのだけれど、実はすべては「Cherub / Cherubino」という名前をめぐる戯れである、という仕掛け。

なんとなく賢そうなオチではありますが、冷静に考えてみると、これって、ひと頃流行した「謎本」(サザエさんをめぐる「磯野家の謎」とかそういうの)みたいなものですね(笑)。コミックについては、重厚な技術批評が登場したり、東浩紀のオタク論、大塚英志の物語論とかがでてきて、今さら擬制的な「謎ごっこ」に興じる人は少なくなっていると思うのですが、オペラの世界では、まだこういうのが嬉しいのかなあ、とちょっと寂しい気がしました。

舞台上の役者を記号的・説明的にしか動かすことのできない演出家としての才能の乏しさ、もしくは、能力の偏り(舞台上でちょこまか動く人物たちは操り人形にしか見えない)を、頓智のような知的意匠(「彼らは堕天使により操られているのであ〜る!」)で取り繕うのは「物悲しい」し、そういう「物悲しさ」を支えていた知的・文化的・時代的前提は、もうそろそろ崩れつつあるのではないのかなあ、という気がしました。

「読み替え」でも「正統的・学術的」でもいいのですけれど、「標準」(デファクト・スタンダード)や「流行」の真ん中を追いかけてしまうと、ほんの少し周りの状況やバランスが変化しただけで、とたんに色あせる。そういうのが「波乗り」の魅力ではあるのでしょうが……。

アーノンクールのねっとりした指揮で、ザルツブルク音楽祭という場所でやる、ということだと、そのあたりのバランスが微妙に保たれていたのかなと思います。

でも、今回、ピリオド・アプローチのオーケストラとの組み合わせによる大阪国際フェスティバルになると、何か座りが悪い。歌手の皆さんはとても優秀で、オーケストラも決して悪い演奏ではないのだけれど、こんなにセカセカ先へ急ぐ音楽だと、たとえば、一番最後のアンサンブルで堕天使の力が効かなくなる「オチ」の部分が慌ただしくて、腑に落ちないまま幕が下りる感じになっていました(時間が足りず、最後の結論が猛烈な早口になってしまった段取りの悪い演説みたい(笑))。そもそも、その前の伯爵夫人の登場で場の空気が変わる、というところがあっさり流れたので、状況の変化がいまひとつはっきりしなかったですね。

設備面もやや不満。(もう建て替えになるので書いてしまっていいと思いますが)、フェスティバルホールでオペラをやるときはほぼ必ずどこかのタイミングでPAを混ぜて音を補強するのが通例で、せっかく古楽器でやっているこの公演でPAはかなり興ざめ。あと(ザルツブルクをテレビで観ただけなので、断言はできませんが)、照明の微妙な具合が意外に重要で、セットや演技が同じでも、照明の調整が十分にはあまり上手くいっていなかったのではないか、という気もしました。堕天使の登場で光が変わるその配合や、光が変化する速度やタイミング。壁に光で天使の羽や、月明かりを映し出すときの光と影の具合など。この調整で、印象はかなり変わってくる、そういう舞台だったと思います。

(余談ですが、照明といえば、びわ湖ホールの照明スタッフは、たぶん、群を抜いて才能のある人がいるのだろうな、といつも思っています。設備を含めて、おそらく、びわ湖ホールの最大の財産は舞台スタッフなのではないかと、常々思っています。)

●「アイーダ」

「読み替え派」みたいな感じで、びわ湖ホール「バラの騎士」のときのホモキや、上記ザルツブルクの「フィガロ」みたいなのを一括りにして、その運動の中心にコンヴィチュニーがいる、というような粗雑なまとめ方は、もう、そろそろなされなくなりつつあるのでしょうか。

コンヴィチュニーについては、熱心に追いかけて一家言ある方がいらっしゃるに違いないと思うので、わたくしが頑張って書くことではないと思いますが、これは別格、と思いました。圧倒的。もちろん、「政治的メッセージが明確である」とか、そういう通俗的な意味での批判精神やヒューマニズムの問題ではなくて、(突き詰めればそういう意味性と不可分ではあるのでしょうけれど)なによりも「本物の演出家」だな、と思いました。

役者さんは、群衆の怒号や騒音のシャワーみたいな「音」を一身に受け止めながら、傲然と舞台上に立たなければいけないし、コンヴィチュニー的な舞台には、天使ケルプの助け(言い訳?)などありませんから、乱痴気騒ぎをおっぱじめる時には、役者さん自らが「身体を張って」、「キャッホー」と叫んで空気を切り裂かなければならない。

コンヴィチュニー・オペラでは、舞台セット(といっても「壁」と「ソファー」くらいしかありませんが)もただの「記号」ではなくて、「壁」は、その本来の機能であるところの外部(の「音」)を遮断するという役割を、「壁」自らの責任において、いわば「身体を張って」(「壁」は無生物なので「身体」と言うのはおかしいかもしれませんが)なしとげなければいけない。

インタビューでは、常識ある人間の言葉で、物語やスコアに沿って「解放」を説明していたようですが、一番感動的で圧倒的なところは、舞台のうえにあるものを、意味や解釈の操り人形としてではなく「解放」していることなのではないかな、と思いました。

(舞台のうえに、ヒトがきちんと「存在」していてくれなければ、観客がそれらの「存在」を標的として怒りのトマトを投げつけることすらできず、「誰のため」なのかターゲットがよくわからない数万人の署名(笑)みたいになってしまいますからね(笑)。)

「布」というのは、モノに被せるために存在しているのだから、ソファの上に被せられていて、最後は、逃亡するじいさんが「被る」ために使われる。ドアは「開閉」するためにあるのだから、(照明とのタイミングがわずかにずれた場面もありましたが)バタンと「閉じ」「開く」。

劇場において、圧倒的な数の「群衆」が存在するのは客席なのですから、第2幕の群衆シーンは客席のライトが点灯する。

そして、舞台というのは「一度かぎり」の現在性が本来なので、同じ「モノ/コト」が二度あらわれるときには、必ずそれはとんでもない事件になっている。

ちっぽけな「ゾウの像」(駄洒落、ただし日本語限定)は、二度目に舞台上に持ち込まれるときには戦場を経験して無惨な姿になっていて、舞台後方の壁は、一度目は静かに開いて、「つめかける群衆」&「合唱団はここでこんな風に演奏してますよ」という種明かしという二重の「リアル」を開示して、二度目に開いたときには、都会の夜景へ主人公を解放する「奇跡」が起きる(でも、それは、劇場の外を取り巻く「現実」でもある)。

ものすごくまっとうで、「正統的」で、どこにも無駄な饒舌のない演劇だと思いました。

歌はダメ。オーケストラは、下手ではないけれど、なんだか鈍重。でも、それだって、演出・演劇性に押されて力を発揮できなかった、とか、そういう意味性はあまりなくて、単にダメというだけのことですね。(東京で頑張ったあとだから力を発揮しなかったのか、でも、フレージングとかも雑だし、やっぱり指揮者をはじめとする音楽面がダメだったのでしょうね。)

1957年に武智鉄二演出で関西歌劇団が甲子園球場、大阪球場で「アイーダ」をやったときには(ちなみにこの公演を踏まえて、のちに東京・国立競技場で二期会が武智演出のワーグナーをやったとか、この公演のこと東京のどなたか調べてみては?)、会場が巨大すぎて、演奏は事前に録音したのをスピーカーで流して、歌・オケは「口パク」状態だったそうです。今回は、合唱を壁の向こうに押し込めたので、録音をスピーカーから流してもよかったんじゃないか、的な状態になっておりました。極大は極小に通じる。このオペラに「中庸」はないのだな、という点でも面白く思いました。

かつてヴィーラント・ワーグナー演出のバイロイト引っ越し公演で名を上げた大阪国際フェスティバルの50回目、現会場での最後のオペラがコンヴィチュニーというのは、なかなか良い「締め」だったのではないでしょうか。

(バイロイトではワーグナー家の支配が議論になっており、「読み替え」演出はしばしばそのような文脈と結び付いているようですが、大阪のフェスティバルのほうは……というような恐ろしい話はここではやりませんが(笑)。)

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「オペラは健全な肉体に宿る〈美しい歌(ベル・カント)〉があれば、他には何も必要ない!」と断言できそうな極めつきのイタリア・オペラがなくて、ネオナチさんやカトリック原理主義者さん(イタリアにいるであろうような)が狂喜乱舞するような出し物がなかったのは残念ですが……。良くも悪くも、今は、往年のメトロポリタンが全盛期のドミンゴとパバロッティに一晩で歌わせてしまような「本物の蕩尽」が難しくなってしまった廃墟をなんとか生き延びようとしている、そういうオペラ状況なのでしょうね。

一週間で、大阪にいながらにして、その主要ポイントを一覧できたのは幸いでございました。